第42話 最悪の偶然
「今のは浄化の気配……まさか、呪いを斬った、のか? ハンク……お前は一体…………」
長剣を鞘に納めて民家から出て来たハンクに向かって、イザークが呆然としながら口を開いた。
「剣を向けない方法もあったんだろうけどな……」
ハンクは、ちらりとイザークを一瞥してから、自らの右手に視線を落とす。
確かに、ハンクはイザークの言葉通り、ノーライフキングの呪いそのものを”斬った”。だが、直感として解るそれが、実感を伴った感触を持つ事は無い。
もしハンクが、何かしら感触の様なものを得たとすれば、それはきっと魂に刻まれるほどの強い記憶や未練を視ると言う事である。
――だからこそ、ハンクは咄嗟に剣を使ってしまった。
無意識の防御反応だったのかもしれないが、実際それは上手くいった。そして、剣を介する事で、少女の魂に触れずに済んだことを安堵する自分がいる。
しかし、まるで汚物でも扱うかのような、触れたくないから物を使うという自らの行為に、ハンクは思わず後ろめたさを抱いた。
その後ろめたさが、少女のゴーストから感謝の念を伝えられたハンクに、それを突っぱねるような言葉を口に出させた。無限に続く苦しみから彼女を解放したにもかかわらず、ただ、ハンク自身その方法に納得がいかないと言う理由だけで。
(――ホント、お礼も素直に聞けないなんて、拗らせ過ぎだろ俺……)
我知らず、ハンクが小さなため息をつくと、
「ハンク。自分がどれ程の事をしたのか解ってないのか?」
怪訝な顔のイザークが、軽く目を見開いてハンクをじっと見つめた。
「そう言われてもな……ちゃんと考えはしたけど、納得いく方法じゃなかった。まあ、あの子の魂が呪いから解放されはしたけど、俺としては、なんか釈然としないな」
ハンクは、ちらりと暗闇を抱える民家の奥を見た。少女のゴーストがいなくなったその場所には、もう、何の気配も無い。
「まったく……凄いよお前は。ヴェロニカ……エルザの姉だが、お前達みたいな人種を、天才と言うんだろうな」
懐かしい者を思い出す様に、イザークは遠くを見つめ、ダークブラウンの瞳を細めた。
引き合いに出された、エルザの姉でヴェロニカと言う存在が気にならなくもないが、リンとエルザが攫われてから、既にかなりの時間が経過している。彼女たちの気配は、変わらず街の中央にある朽ちた城から感じるが、だからと言ってのんびり立ち話をしている場合では無い。
なにより、イザークの喩えに面映ゆいものを感じて、ハンクは「買いかぶりすぎだろ?」と肩を竦めて歩き出した。
「何言ってるのさ。さっきハンクが前に出て、女の子のゴーストを浄化するまでに、普通じゃ有り得ない事ばかり起きてたんだよ? 僕に言わせれば、あんなの天才って言われてもまだ足りないくらいじゃないのさ……」
そんなハンクの背中に、口を尖らせたハッシュの言葉が刺さるが、ハンクは「時間、無いんだろ? 夕方になっちまうぜ」と前を向いたまま言葉を返すと、左隣を歩くアリアが小さく溜め息をついた。
「ホント、キミは頑固者ね。私がさっき言った事、忘れたの?」
「いや……そうじゃないんだけど、なんていうか……少し、後ろめたさが残ってるんだ」
「……じゃあ、私がキミを許してあげるわ。方法なんて関係無い。キミは、あの女の子を救ったのよ」
「その……なんていうか…………あり、がとう」
アリアの言葉に胸の奥がジワリと熱くなる。しかし、同時に照れくさくなって、ハンクが思わずそっぽを向くと「そこも変わらないわね……」と言う呆れ声が耳に入った。
ハンクは歩を進めながら、内心で「ほっといてくれ!」と毒づいた後、街の中央にある朽ちた城と、そこへ続く緩いS字を描いただけの一本道を視線で辿っていく。
この街の大通りであったであろう、緩いS字を描いて城まで続く一本道は、アンデッド襲撃の際、一番の激戦区になったはずだ。そうでなければ、一本道の周辺に建っていたであろう建物のことごとくが、これほど無残に倒壊するはずがない。
しかし、ハンクは心の片隅で、戦火の爪痕が色濃く残ったその風景に、ほんの少し安堵感を覚えた。
なぜなら、倒壊した建物のほとんどが、午前中の日光に照らされており、暗闇をその内に留める事が出来ない状態だったからである。これなら、しっかりと形を維持した城の内部に入るまでは、アンデッドに遭うことも無いだろう。
それは、心の整理を付けたいハンクにとって、願っても無い時間だ。
正直、アリアが許しをくれた事で、ハンクの心はかなり軽くなった。だから、あと少しだけでいい。落ち着くための時間が欲しかったのである。
気が付くと、急ぎ足で歩き、ちょうどハンクの右隣まで追いついて来たイザークと目が合って、先ほど彼が言った言葉を、はたと思い出した。
(――なんでイザークはあれが浄化だとすぐに解ったんだろう? エルザの姉って人とも比べてたし、そう言う方法を、過去に見て知ってたのか?)
「なあ、イザーク。ひょっとして、俺がやったみたいな浄化法を、そのヴェロニカって言うエルザの姉さんも使えたのか?」
「……ああ。だが、ヴェロニカが出来たのは、自分の武器では無く、他者――主に神殿騎士の武器に浄化魔法を付与すると言う魔法だった。その魔法の前では、霊体に物理攻撃を可能にする司教の祝福が、霞んで見える程だ」
「……かなりの使い手なんだな。で、そのヴェロニカはどこかで司教でもやってるのか?」
なんとなく、ふと思っただけの素朴な疑問だ。特に深い意味など無い。寧ろ、気になるとすれば、ヴェロニカが他人の武器に浄化魔法を付与した時、何を考えていたのだろうか? と言うことである。
だが、ハンクのその言葉に、イザークが目を見開いてポカンとした。まるで、どうしてそんな事も知らないんだ? と言わんばかりだ。
「まさか……勇者ヴィリーの傍で、彼を守護する聖女ヴェロニカを知らないのか!?」
「ん? 知らないけど……それって、かなり有名人って事か?」
イザークの素っ頓狂な声に、ハンクは何となく既視感を覚えた。それは、先ほど、少女のゴーストに出会う前に感じたものと同じだ。
ふと、後頭部に刺さるような視線を感じる。きっと視線の主はアリアだ。間違いないだろう。
(……俺、あんまり喋らない方がいいかもしれない)
そーっとハンクが左隣を振り返ると、フード越しに満面の笑みを浮かべるアリアと目が合った。
……自分で何とかしろと言う意思表示だ。そう何度も助け舟を出してくれる程、アリアは甘く無いようである。
ハンクが思わず苦笑いを浮かべていると、慌てた様な声色で、後ろを歩いていたハッシュが助け舟を出した。
「あのさ! イザーク。ハンクは記憶喪失なんだ。僕達と2か月前に大森林で出逢ったんだけど、それより前の記憶が無いんだ! だから、普通だったら知ってるような事でも、すっかり忘れちゃってるんだと思う。ね、シゼル。仕方ないじゃないのさ!」
「ん? ……ああ。そうだ。お蔭で、俺達もいろいろ苦労した」
ハッシュの言葉に、シゼルがうんうんと大袈裟に頷く。
――あれでは疑ってくださいと言っているようなものだ。
ハンクは、頭を抱えそうになる衝動を必死の思いで抑え込んで、イザークへと視線を向けた。
歩く速度はそのままに、イザークが胡乱な視線をシゼルとハッシュに向けている。――当然だろう。
だが、それも数秒の事。前を向いて一つ咳払いをしてから、イザークは真面目な顔に戻り、そのままの向きで口を開いた。
「…………ハンク。お前の周りでは出鱈目な事ばかり起きる。それこそ、人外レベルでだ。それに、シゼルやハッシュの態度も妙だ。どう見たって、何かを隠している。俺個人としては、アンデッドを浄化させたお前が、冥界神の手先だとは思会えない。なにより、冒険者相手に過去を洗いざらい話せなどと言う気は無いが、俺が思いつく限り、お前のような存在に心当たりは1つしかない」
そして、イザークは「もし、俺の想像が正しければ、一瞬で伸されたのも納得がいく」と続けて、自嘲めいた笑いを浮かべた。それは人外の存在に対して、ただの人間であるイザークの諦念から出たものだったが、ハンクが彼の心の内を知る術は無い。
それはさておき、ハンクにとってイザークの言葉は、まさに一大事だ。
彼は婉曲的に、ハンクが生命核を所有する存在――つまり、勇者や魔王だと言っているのである。
イザークが、何を根拠にその結論に至ったのかは謎だ。
間近で人外の力を見たとはいえ、ほんの数回。にもかかわらず、イザークはハンクが何者であるかと言う事に、自力で辿り着いた。
既に、ハッシュとシゼルがその事を誤魔化そうとして、あっさりと見破られている。これ以上、徒に誤魔化したり、しらばっくれたところで不信感を煽るばかりだろう。
それに、これからリンとエルザの元に向かうにつれて、アンデッドとの戦闘は増える一方のはずだ。勿論、2人の救出後も、それは言うに及ばないだろう。しかもその上、ノーライフキングとの戦闘だってあり得る。
ヴィリーに見つからないよう力を制限した状態で、戦闘の度エルザとイザークの目を気にしながら戦うなど、自殺行為も甚だしい。
ならば、下手に誤魔化すより、ある程度肯定した方がお互いの為なのではないだろうか?
ハンク自身、毎度このやり取りに嫌気が差していたと言うこともあって、彼の口から出た言葉は、ある程度の肯定どころか、ほとんど肯定と取れるものだった。
「……もし、そうだって言ったらどうするんだ?」
「やっぱりか、と思うだけだ。強者の気配とでも言うのだろうか? ハンクとヴィリー様はそれが似ている。今思えば、ルクロで向かい合った時のお前は、まさに同じ気配だった。言うなれば、地上から巨大な雲を見上げる様なものだ。本当の大きさなど推し量る事すら出来ん」
イザークは大きく1つ溜息をついてから、5年前の事だ、と前置きして勇者ヴィリーの事を語り出した。
当時、帝国領土を魔王の手から取り返したヴィリーは、ヴェロニカを伴ってパルメイア連合国を訪れていた。当然の事だが、2人がパルメイア連合国に来た詳しい理由を、一介の神殿騎士であるイザークは知らない。
その後、用事を済ませた2人が帝国に戻る直前、ヴェロニカがエルザに会いたいとヴィリーに懇願したのだと言う。ヴィリーはそれを快諾し、ヴェロニカとエルザの姉妹を再会させた。
イザークはその時既に、神殿騎士としてエルザの護衛についていた。
てっきり、姉妹が再会している間も、イザークは2人を護衛するものだとばかり思っていると、そこへヴィリーが声を掛けて来たのだ。
ほんの挨拶程度の会話だろうと思っていると、ヴィリーはイザークを中庭へと連れ出し、突然、稽古をつけてやると言い出した。
勇者から直に稽古をつけて貰えるとあって、イザークは内心で快哉を上げ、二つ返事でそれを受けた。
勿論、結果はイザークの惨敗である。あの時、何故ヴィリーは、一介の神殿騎士であるイザークに稽古をつけてやると言い出したのか、今でも真意は謎だ。
ただ、稽古の後、中庭で仰向けになって倒れたイザークは、余りに掛け離れた彼我の実力差に、空に浮かぶ雲を見ながら、しばし呆然としたのだそうだ。
「まあ、ハンクが勇者であると言うなら、ミズガルズ聖教会はお前に絶対の忠誠を誓うだろう。神の御使いだからな。だが、もしお前が魔王であると言うなら、たとえ敵わなくても俺はお前に剣を向ければならん」
そう言ってイザークが話を締めくくった時、5人はコルナフース城前に到着していた。
城を囲う城壁が所々崩れ、城門のあった場所には瓦礫の山が出来ている。石造りの城壁が破壊されて露になったコルナフース城は、やはり所々崩れており、全ての鎧戸が閉められていた。そして、半分だけ焼け落ちた正門から見える城内は、べったりとした暗闇に塗りつぶされていた。
リンとエルザの救出まで、あと少し。目の前のコルナフース城に潜入するだけである。
だと言うのに、イザークが話し終えた後、5人はしばらく無言だった。勿論、それはイザークの語った内容が思いもよらぬものだったからだ。
なんと、エルザとイザークは勇者ヴィリーと面識があった。しかも、エルザの姉ヴェロニカはヴィリーと共に行動している。いくらエルザとイザークが天上神を信奉するミズガルズ聖教会の人間だからと言って、この偶然は最悪だ。
勿論、ハンク達がヴィリーの名前を出した事は一度も無い。
ハンク達の事情など露も知らないイザークが、ヴィリーとの過去を話したのは、ハンクが勇者であってほしいと言う願いからだろう。
だが、その願いも虚しく、ハンクは勇者では無い。この世界で守護者と呼ばれる存在である。しかも、ハンク達がこれからしようとしている事は、ヴィリーに対する明確な敵対行為だ。
元々、サラを誘拐したのはリガルド帝国である。しかも、ヴィリーはその帝国に身を置き、少年の精霊使いヴァンに冥界竜の生命核を移植して、アドラス王国東端の街ドルカスを焼き払おうとした。使い方はどうあれ、精霊使いを軍事目的に利用したヴィリーが、サラを取り返そうとするハンク達を黙って見過ごすことは無いだろう。
それに、”元”とはいえ、リンは魔王である。
過日、リンとヴィリーはエルダー山で刃を交えた。勿論、面も割れているだろう。この事実がある限り、どう言い繕ったところで誤魔化すのは不可能だ。
リガルド帝国に属するヴィリーと、エルフ王よりグラン・オーダーを受注したハンク達。2者間の利益は相反関係にある。しかも、ヴィリーに付き従うヴェロニカはエルザの姉だ。
もし、ハンクが勇者であったなら、ミズガルズ聖教会は仲裁か不干渉、どちらかの態度を示したただろう。
……だが、ハンクは勇者では無い。
これでは、どう転んだところで、いつの日かエルザとイザークを敵に回す事は明白である。
――結局のところ、アルタナの掌の上だ。まんまと戦いの道を選ばされている。
「ふざけるなよ…………思い通りに動くと思ったら、大間違いだ」
ぽつりと呟いたハンクの言葉に、意図を量りかねたイザークが怪訝な顔をした。
「イザーク。悪いけど、俺はお前が期待する様な勇者様じゃない。だけど、魔王でもない。アルタナにこき使われてる、しがない転生者だ。勿論、それを証明する物なんて無い。でも、今は依頼通り、エルザとイザークを守る。だから、俺を信じてくれないか?」
「どちらでもないだと? しかもアルタナ? まさか……守護者……創造神アルタナの御使い……」
呆然とするイザークに向かって、ハンクがニッと笑みを浮かべた。そして、その向こうでは、シゼルとハッシュが口を開けて驚愕の表情を浮かべている。
決してヤケクソになったわけでも、投げやりになったわけでもない。反骨精神に火が点いて、ちょっとやる気になってきただけだ。
700年前、勇者と魔王が各地で争い、その戦いの激しさに人間、魔物、精霊のバランスが崩れ、さらには、天使や悪魔と言った存在が地上に介入することで、世界は崩壊の寸前まで追いやられた。
その時現れたアルタナの依代は、そう言った者達をことごとく打ち払い、世界の均衡を取り戻した時、守護者と呼ばれた。
きっとアルタナが試練を与えるのは、自分を過去の守護者と同じくらい強くする為なのだろう。
それなら、アルタナの望み通り強くなってやる。そして、圧倒的な力で以て、他の勇者や魔王に、挑むこと自体が無駄と思わせればいい。
勿論、そうなったところで世界から争いが消えてなくなることは無い。寧ろ、そんな事が出来ると思っているのなら、それはただの傲慢だ。
だけど、もし自分が過去の守護者と同様に世界最強の存在であれば、手の届く範囲の仲間を守ることに何の障害も無い。
自分が何者かと問われる度に、嘘で誤魔化すのは、もうお終いだ。
「俺はハンク。アルタナの眷属で守護者だ。世界を守ろうなんて気はさらさらないけど、手の届く所に居る大事な人たちは絶対死なせない。それを侵そうとする奴は、勇者だろうが魔王だろうが等しく敵だ」
ハンクは、自分に向かって言い聞かせるように、静かな声でその言葉を口に出した。
「ホント、キミは頑固者ね。なにもそこまで言う事無いでしょ……」
清々した顔で笑顔を浮かべるハンクに向かって、呆れた口調のアリアがため息まじりに言った。だが、フードの中の金髪碧眼は心なしか微笑んでいる。
「はは……悪い。でも、コソコソして嘘を重ねていくのが嫌だったんだよ。それに、アルタナの掌の上で踊らされるのは癪だしな。俺は、堂々と平穏に楽しく生きてやるって決めた」
そして、ハンクは自身の魔力制御を解除した。同時に、気配探知でリンとエルザの位置を確認する。
――その瞬間、全身が粟立つ程の強烈なプレッシャーを感じた。
場所は、コルナフース城正門と崩落した城門の間にある前庭。
「ふふ……。やっとやる気になったか。ならば、傍観はやめだ。望み通り試練をくれてやろう。だが、トラウマはもういいのか? 後から泣いて許しを請われても、我にそのつもりは無いと心得よ!」
いつの間にか前庭の中心に現れた、漆黒のバトルドレスを纏った黒髪の少女が、ハンクを見据えて不敵な嗤いを浮かべた。




