第40話 帝国軍野営地にて
エルザ達3人が、何処とも知れない牢屋を脱出したちょうどその頃、トンネル状の大型テントの中でハンクは目を覚ました。
もぞり、と起き上がってから、ゆっくりと周囲を見渡す。
等間隔に並んだ半円形の骨組みに、防水処理を施された布が被せられたテント内部は、10畳ほどの広さがあり、帝国兵用の寝袋を借りたハンク達5人が並んで睡眠を取るのに十分な広さだ。
ハンク以外の4人は、それぞれ心地よさそうな寝息を立てて熟睡している。
(夜明けまで戦ってたんだ。そりゃあ、疲れるよな)
昨晩の出来事を思い出しながら、他の4人を起こさない様にそっと立ち上がって、ハンクはテントの外へと出た。
深呼吸をしてから、ぐっと1つ、大きく伸びをする。太陽の位置から察するに、3時間も寝ていないだろう。だが、思ったより疲労は感じない。というか、転生してこの身体になってから、睡眠不足でも割と平気だったりする。
こんな時、見た目こそ普通の人間にしてもらったが、中身は人外の構造だと言う事を実感させられる。
(――見事に人間やめちまったな、俺……)
そう心の中で独りごちてから、改めて周囲を見回した。
ここは、コルナフース街門前に展開する帝国軍野営地の一角だ。周辺には、ハンク達が睡眠を取っていたテントと同じトンネル状のテントが、いくつも並んでいる。時折、見回りの兵士を見かける以外は誰もおらず、周囲はしんと静まり返っていた。
帝国兵達も、昨晩は夜明けまでアンデッド達と戦闘を繰り広げていたのだ。生き残った者達は、疲れ果てて泥のように眠っているのだろう。
現在、ハンク達の目的は、コルナフースへ向かいエルザを救出する事である。しかし、それ以前に彼等は冒険者として、リガルド帝国に囚われた先代預言者サラ=アウテハーゼの奪還を、エルフ王アルヴィスより依頼されている。
当然ながら、ハイエルフのアリアにとってリガルド帝国は敵だ。勿論、エルフ達に味方する以上、ハンク達にとってもそれは同義である。
その為、昨晩の戦いで、アリアはフードを被ったまま弓とショードソードで戦い、精霊魔法は一度たりとも使わなかった。その後も、ハンク達以外とは誰とも関わろうとせず、自ら喋ることもしない。
徹底的ともいえるその振る舞いは、寧ろ当然の事だ。何せ、目の前にいる彼等は帝国軍の兵士達である。ほんの少しの油断が、仲間や自らの命を危険に晒す。
成り行きでアンデッドとの戦いに加勢し、休息の為にテントを借りたが、本来の目的から考えると、ハンク達が此処に長居するべきでは無い。毎夜繰り広げられるアンデットとの戦いに疲弊した帝国兵達にとって、現時点でハンク達は、司祭達への補給に訪れた「単なる冒険者」なのだから。
(帝国兵達が起き出す前に此処を出ないとな……)
気持ちを入れ替えるように、ふうっと1つ息を吐いてから、未だ熟睡している仲間達を起こす為、ハンクはテントの中へと戻った。
昨晩、ハンク達はアルタナと別れて馬車を出発させた後、何度かアンデッドの部隊に遭遇した。
ルクロの教会でデニス司教から、予断を許さない状況ではあるものの、帝国軍の包囲によってアンデッドの流出は起きていない、と聞いていたのに現実は逆である。
それはつまり、状況が変わる何かが現在進行形で起きていると言う事に他ならないのだ。リンがエルザを守っているのだとしても、のんびりしている場合では無い。
そうなると、アンデッド達をいちいち相手にしている訳にもいかない。
そこで、街道に陣取って通行の邪魔になっているアンデッド達はハンクとハッシュの攻撃魔法で薙ぎ払い、それ以外のアンデッド達は放置して彼等はコルナフースへと急いだ。
「マズイな。帝国兵とアンデッド達が街門前でドンパチの真っ最中だ。このまま突入したら狙い撃ちだぞ」
5人を乗せた馬車が、両脇に木々の茂る街道を抜けて開けた場所に出た。そこで、帝国兵とアンデッド達の戦闘に真っ先に気が付いたのは、御者を務めていたシゼルだった。
両者はコルナフースの街門前で乱戦状態になっており、このまま馬車で突入すれば、アンデッド達の注目を一気に集めてしまうであろう事は想像に難くない。
大量のアンデッド達に殺到されたら、木造の馬車などひとたまりも無いだろう。もちろん、馬車が無残に破壊されてしまえば、司祭への補給物資のみならず、自分達の命の保証だって無い。いかに上級冒険者と言えど、軍隊と戦闘を繰り広げる大量のアンデッド達を、数人で何とかできるものでは無いのだ。
このまま直進すれば、5人を乗せた馬車はコルナフースの街門へ向かって進み、その前に展開した帝国軍を後方から追い抜く形となる。
「この状況なら、司祭たちは後方で回復支援がセオリーだろう。予定通り彼等に補給物資を届けた後、俺達は徒歩でコルナーフースへ侵入するのが一番目立たないだろうが、アンデッド達は街の外でこの兵力だ。上手くコルナフースに入れたとしても、街の内部には、さらに十数倍のアンデッド達が待ち構えているだろう」
イザークは悔しそうに言ってから、どうすることも出来ない圧倒的な物量に、「クソッ!」と短く吐き捨てた。
「夜間にコルナフースの中へ行くのは自殺行為ね……朝になって、アンデッド達が消えるまで待つしかないわ」
「そうだな。街の何処にいるかもわからないんだ。下手に突っ込んだ所でミイラ取りがミイラになるだけか……」
アリアの言葉にハンクがそう答えると、きょとんとした彼女の顔が目に入る。よく見ればシゼル、ハッシュ、イザークの3人も同じ表情だ。ハンクは咄嗟に「ああ、その、俺が住んでた場所の格言? みたいなもんだよ」と誤魔化した。
「相手が相手だけに、的を得ていると言うか……でも、いくらリンだからって、そんなに大量のアンデッドからエルザを一晩守り続けるなんて無茶苦茶じゃないのさ! 何とかする方法はないのかな……」
「大丈夫よハッシュ。リンが本気出したら、火の手は今頃コルナフースの内部から上がってるはずよ」
「それもそうだね……」
「でも、リンはアンデッド達にあの怖がりようだったから、エルザが結界を張って二人でどこかに身を潜めてるって可能性も十分にあるけど……」
「はは……それは、なんか笑えないじゃないのさ……」
肩を竦めて言うアリアに、ハッシュが苦笑いを返すと、それを見たイザークが不満げに口を開いた。
「そんなに信用しているが、本当に大丈夫なんだろうな? あのリンとか言う冒険者は下級冒険者だろう? お前たちの中で一番弱いんじゃないのか?」
ムスッとした表情でいうイザークに、ハッシュが怒りをあらわにする。その勢いのまま、ハッシュがイザークに食ってかかろうと口を開きかけるが、ハンクがそれを止めた。
「さっきのリンを見ると、そう思うのも無理は無いけど、リンは俺と同じ位強い。あの竜巻の魔法だって、相当手加減してあの威力のはずだ。本気だったらコルナ山の形が変わってただろう。だから、リンを侮らないでくれないか?」
真剣な表情で言うハンクに、「なっ……!」とイザークが絶句した。ハンクの隣では、ハッシュが腕を組んで、大袈裟に首を縦に振っている。
冷静に考えてみれば、普通、下級冒険者が20体近いアンデッドを、ものの数秒で蹂躙する魔法を修得している事などありえない。そのような魔法、中級冒険者だって使えるかどうか怪しいだろう。それなのに、ハンクの口からあの魔法は相当手加減していたなどと聞かされては、イザークが言葉に詰まるのも無理は無い。しかも、リンの戦闘力は、自らを一瞬で打ち負かしたハンクと同等だと言う。それが本当ならば、最早、人外の領域である。
「そう言うつもりじゃなかったんだが、すまない。エルザを攫われて焦っていた」
そう言って、イザークが素直に一言詫びると、ハッシュの顔にパッと笑顔が浮かんで「解ってくれれば問題無いに決まってるじゃ無いのさ!」と明るく答えた。
そんな3人のやり取りを御者台から眺めながら、シゼルもニッと笑みを浮かべ、
「話が付いたようだな。では、後方支援の司祭達の所へ向かうぞ」
そう言って、馬車の進路をコルナフース街門から、帝国軍の後方へと向けた。
その後、ハンク達は後方で傷ついた兵士たちを治療する司祭に補給物資を届けたところで、タイミング悪く襲撃に巻き込まれて交戦に入った。途中、街の内部の様子を見ようと、戦いながらコルナフースの街門近くまで移動してみたが、大量のアンデッド達に阻まれて、街の内部を見ることは出来なかった。
結局、ハンク達が夜明けまで戦い続けてへとへとになっていると、気を利かせた司祭の一人が帝国の将校にテントを使わせてくれないかと掛け合ってくれたお蔭で、彼等は安眠する場所を得る事が出来たのだった。
※
「それでは、お気をつけて。司祭エルザが、無事、助け出されることを天上神に祈っております」
馬車の荷台に乗り込んだハンク達に、1人の青年が、少し残念そうな表情で声を掛けた。
彼の名前はエリック。ルクロの教会より派遣された司祭だ。そして、彼こそが、ハンク達にテントを一つ使わせてくれるよう、帝国の将校に掛け合ってくれた「気を利かせた司祭」なのである。
その為、ハンクはテントに戻ってアリア達4人を起こした後、エリックの元へ行き礼とすぐに出発する事を伝えた。ハンク達の戦いぶりを見ていたエリックが、此処に留まってアンデッドとの戦いに協力してほしいと懇願するが、彼等にもエルザを救出する目的がある。ハンクがそれをエリックに説明し、行き先はコルナフース内部だと伝えると、彼はハンク達を引き留める事を諦めたのだった。
「エリック殿、俺が付いていながらこのような事になって申し訳ない。必ずエルザを助けてみせる」
「エリックさんのお蔭でゆっくり休む事が出来たよ。ありがとな。じゃあ、行って来るよ」
馬車の荷台の後方に腰掛けたイザークとハンクがエリックに別れを告げると、ゴトリと音を立てて馬車の車輪が動き出した。
「皆さん! 必ず無事で帰ってきてください。何か嫌な予感がします! 司祭エルザが攫われた事や、街道や山間部にアンデッド達が現れるようになった事も、無関係とは思えません! どうか、お気をつけて!」
エリックは胸の前で両手を組み合わせて神に祈りを奉げてから、遠ざかるハンク達に手を振った。ハンク達も、それに手を振って応えると、シゼルの操縦する馬車は一気にスピードを上げ、コルナフース内部へ向けて走り出した。




