第32話 ちょっとやってみたかっただけなんです
ハンク達5人とエルザが見つめる中、床の上に寝かされた男が目を覚ました。
髪と同じダークブラウンの瞳が宙を彷徨う。ややあって、自分が置かれた状況を思い出し、ハンクを見ながらその男――イザークは渋面を作る。
「その若さで、あの強さ。人外だな」
「悪いな。俺にもいろいろあってね」
ハンクはニッと笑ってから、右手を差し伸べて、イザークの上半身を起こす。イザークは軽く溜め息をついて「完敗だ」と短く言うと、腹部を抑えて蹲った。
どうやらかなり痛むらしい。うっすらと額に脂汗の様な物が浮かんでいる。
(やりすぎたかな……)
そんな後悔がちらりとハンクの脳裏をかすめると、それを見越したようにアリアが口を開いた。
「キミ、骨折ったりして無いわよね。これから一緒に戦おうって言う戦力なのよ」
「う……でも、そういう感触はしなかったから、多分、大丈夫だと思う……」
アリアのプレッシャーにたじろぎながらも、ハンクは先ほどの手合わせの一部始終を思い返した。
エルザの制止も聞かずに外へ出て行ったイザークを追って、ハンク、シゼル、ハッシュの3人は宿屋の外へと出た。もちろん、アリアとリンは「私たち、ここで待ってるから」と、エルザを椅子に座らせ、3人で談笑を始めてしまった。
宿屋の入口で待ち構えていたイザークに導かれるままに、3人は宿屋の裏手へと回り一言、二言、彼と言葉を交わす。内容は曖昧だが、「度胸はあるようだな」みたいなことを言われた気がする。今思えば、自信の表れだったのだろう。
結局、イザークの相手をハンクが務める事となり、2人は5歩ほどの距離を開けて向かい合う。
そして、シゼルの合図で立ち合いが始まった。
イザークは抜剣の後、礼の様な仕草を取ってから、裂帛の気合いと共にハンクへ長剣を打ち込んできた。流れるような淀みのない動き。生半可な腕前の者であれば、彼の剣を受けることすら出来ないだろう。
だが、ハンクはその打ち込みを無造作に打ち払い、イザークの腹部に拳の一撃を叩き込んで気絶させた。
勿論、ハンクは人を殴って気絶させたことなど無い。さっさと終わらせる為にはどうすればいいかと考えた結果、奥村桐矢であった頃、アニメやラノベで見たシーンをマネしたと言うだけの話である。当然、力加減など分るはずもないが、ボキリといった骨が折れるような感触は無かったはずだ。
(――ちょっとやってみたかっただけなんだけどなぁ)
そこまで思い出してから、ハンクはゆっくりと瞼を開いた。
「内臓損傷。それか、破裂だったら一大事だね」
ハンクの不安を煽るように、リンがそっと呟く。まるで、待ち構えていたかのようなそのタイミングにハンクが絶句していると、ハッシュが慌てて口を開いた。
「大変じゃないのさ! 急いでエルザに治療してもらわなきゃ!」
アリアと言い、リンと言い、自分の心が読めるのだろうか? だが、それはさておき、イザークの内臓に損傷を与えてしまったのであれば、軽傷どころでは無い。重傷である。しかし、手合わせしろと言ったのはイザークなのだ。当然、怪我をする事も承知のはず。
とはいえ、痛みに悶絶するイザークを見ていると、こちらも何となく胸に痛いものを感じる。罪悪感だ。
他力本願だが、その痛みが取れるのであれば、今はエルザの回復魔法に頼る他無いだろう。
まんまとリンに乗せられて、ハンクは思わずエルザを見つめてしまったのだった。
「何言ってるんですか皆さん……普通の人間に殴られただけで、内臓が破裂する訳無いじゃないですか。イザークさん。自分で撒いた種なんですから、自分の所為ですからね!」
「クッ、分ってるよ……」
「回復魔法があるからって、毎度無茶しでかさないでくださいよ」
まったく、と呟きながら一つ息を吐いて、エルザは胸の前で手を組んで目を閉じる。その瞬間、青白い燐光がエルザの周囲で揺らめき、組み合わせた両手に温かな光が溢れた。
エルザの両手から溢れた青白い燐光が、纏わり付く様にハンクの周りを漂う。
――魔力の光だ。
ハンクは、その青白い燐光を右手でいくつか掬い上げた。勿論、ハンクにとって日常的に見えるこの光景は、彼以外の誰にも見えていない。
ハッシュと初めて逢った時、ハンクはこの光に触れる事で、彼の構成した拘束魔法を読み取った。
だが、不思議な事に、今回はそういった事が起きない。魔力の光からは特に何のイメージも伝わってこないのだ。それどころか、その光はハンクに触れると拒絶するように弾けて消えた。なんでだろう? ハンクの顔に疑問符が張り付いたが、今の自分はそれに対する回答を持ち合わせてはいない。
そんなこと考えていると、エルザの回復魔法が発動した。
「天上神よ、慈悲深きその御心にて彼を癒し給え。《ヒール》」
祈りの言葉と共に発動した回復魔法は、柔らかな光となってイザークを包み込んだ。しばらくすると、苦痛に歪んだイザークの表情が穏やかになり、それと同時に回復魔法の光が消失した。
「大したことないって思ってたけど、筋肉に軽い損傷があったみたいですね。ハンクさんは武術の心得でもあるんですか?」
「いや、そう言う訳じゃないんだ。なんて言えばいいかな……」
「ただ単に、キミがバカ力なだけでしょ」
アリアの突っ込みに、ハンクがぐっと言葉を詰まらせた。エルザは「見た目は普通なのに、不思議ですね」などと言いながら首を傾げている。
若干納得がいかないが、この際仕方ないだろう。本当の事など言える訳が無い。とはいえ、言ったところで信じでもらえることも無いであろうが……
「それで、イザーク。俺達の実力は認めてくれたか?」
「ああ。むしろ、俺が足手纏いにならない様にしなければならないな」
「謙遜することは無い。動きを見ればお前が只者じゃない事くらい判る。よろしく頼む」
なぜだろう? 堅い握手を交わすシゼルとイザークが同類に見える。思わず目を擦りそうになって、何度も瞬きをしていると、その2人を半眼で見るアリア達が目に入った。――どうやら同意見らしい。
頬が引きつるのを感じながら、意気投合する2人を眺めていると、ふらりとリンがハンクの隣へ来た。
「ハンク。あなたと私は教会に行かない方がいい。シゼルとハッシュはアリアに頼んどいたから、私達は買い出しって事で」
「わかった。でも、なんで?」
「教会は、天上神のテリトリーだから」
声を潜めたリンの言葉に、ハンクも小さな声で「そっか」と答えた。はたと、エルザが回復魔法を使った時に現れた燐光が、ハンクの手に触れると弾けて消えてしまった事を思い出す。
(そりゃそうか。異教徒に手を貸す神様なんていないよな)
この世界の天上神がどうかは知らないが、正義を振りかざし秩序を重んじる神は、大抵の場合、自らの教義に従わないものに対して残酷である。勿論、それを信奉する者達も、正義と秩序を維持する為、神々の意志に追随するはずだ。
大いに偏見が含まれているような気もするが、警戒するに越したことは無いだろう。
依頼の為とはいえ、のこのこ教会に付いて行くべきではない。
そんな事を考えていると、ちらりとこちらを見たアリアと目が合った。フードの奥から様子を窺うようなその碧眼は、何か言いたそうにも見える。
だが、これ以上の内緒話は返って怪しい。エルザ達にいらぬ疑いをいだかせない為にも、控えた方がいいだろう。ならば、必要最低限でいい。ハンクはアリアに小さく頷く。すると、アリアはそれを見て、目元を緩ませた後、再び前を向いた。
そろそろ、切り上げ時かもしれない。イザークに小言を言うエルザを見ながら、ハンクが口を開いた。
「イザークも大丈夫そうだし、依頼は無事成立って事でいいかな? それなら、明日教会へ顔を出すから司教に話を通しておいてくれないか?」
「はい、ありがとうございます! 必ず、司教様に伝えておきますね。ところで、教会の場所は分りますか?」
「ああ。鐘がぶら下がって、いかにも教会って建物は1つしかないしな。大丈夫だよ」
「そう、ですね。確かにその通りかも。あはは……」
ハンクがルクロの教会へ行くとは無いのだ。エルザの笑いが少し引きつっているが、気にしないでおこう。ハンクはそれに知らない振りを決め込んで、シゼルに「場所、大丈夫だろ?」と問いかけると、短い肯定の言葉が返ってきた。
その後、簡単な別れの言葉を交わして、エルザとイザークはルクロの教会へと帰っていった。それから、夕方までハンク達はめいめいに装備の点検や補修などをして、一緒に夕飯を摂った。
そして、翌日の朝。宿屋の扉前に5人が集まったところで、リンが出し抜けに口を開いた。
「わたしとハンクは教会へは行けない。だから、出発の準備してくるね」
「え? なんで行かないのさ?」
「私とハンクは強いからね。それに、私は元魔王だよ。ハッシュなら解るでしょ?」
リンはにまっとハッシュに微笑んだ後、「よし、行こう」と短く言って、ハンクを引っ張って宿屋の外へと出て行ってしまった。ハンクが何やら言っていたようだったが、当然、リンはお構い無しである。
2人が出て行った宿屋の扉を、ハッシュが呆然と眺めていると、不意に誰かが肩をぽんっと叩いた。シゼルだ。
「この3人で行動するのも久しぶりだな。大森林以来か?」
「はは……ホントだね。ハンクに会ってからとんでもない事ばかりだったから、なんだか懐かしいくらいじゃないのさ」
「そう言えばそうね。まだ、2か月と経ってないのに、もっと時間が経ったみたいな気がするわ。
…………さあ、私達も教会へ行きましょ。報酬、奮発して貰わなきゃ」
明るい声で言ってから、アリアがフードを被ると、シゼルとハッシュがそれぞれ短く言葉を返した。
そして、アリア達3人は宿屋から出て、エルザの待つルクロの教会へと向かったのだった。




