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それぞれの夢  作者: 姉子
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赤の後に

夢がある、とても叶いそうにない夢が。



真奈美が入院して、早7ヶ月となった。

初めは単なる風邪かと思っていたが、頭痛、吐き気は日を追うごとに強くなっていき、特に朝方は起き上がることさえ困難な程酷くなっていった。しかし真奈美は病院には行かず、薬局で買った薬でどうにか誤魔化かしていた。


真奈美が病院に行かなかった理由のひとつは経済的なことだった。両親は真奈美が19歳の時に事故で亡なり、唯一頼れる親戚はもうすでにいないか、借金を抱え逃げ回っているか、親交がまったくないのどれかだった。友人に相談するも、皆無難に「大丈夫だよ」と声をかけてくれるだけで、卒業と同時に連絡は取れなくなった。頼れるものは何もない、と自分以外は信用できなくなっていた。


しかしそんな真奈美にもたった一人、大事な肉親がいた。妹の10歳の香奈穂である。真奈美にとって香奈穂だけが救いとなっていた。しかし当然のことながら、小学生なのでお金がかかった。両親の保険金だけではさすがに無理で、真奈美はがむしゃらに働いた。それでも香奈穂がいてくれるだけで、真奈美はどうにか毎日を苦労しながらも幸せに暮らすことができたのだ。



「グリ・・・オーマ?」



聞いたこともない病名に、真奈美は首をかしげた。そもそも病名にすら聞こえなかったが、医者の説明から考えると、それが妥当であった。



「神経膠細胞の腫瘍のことです。簡単に言えば脳腫瘍のことですね。岡崎さんの場合、グレード3のため一刻も早く手術が必要です」



その後何やら小難しいことばかり言っていた医者の説明は一切真奈美の耳には届いていなかった。時々「難しい」「生存率」「抗がん剤」という単語だけが耳元で回り続けめまいがした。脳神経外科を紹介された時点で嫌な予感がしていたが、ここまで重い病気だなんて考えもつかなかった。



「ご家族は?」

「妹が・・・一人」

「そうですか・・・」



医者は哀れみにも似た表情で真奈美を一瞥し、「入院手続きは明日にしましょう」とだけ言いって真奈美を解放した。それから真奈美が考えるのは香奈穂の今後の生活についてであった。香奈穂はまだ17歳で真奈美の稼ぎなくして暮らしていくのは無理だった。普段も香奈穂がアルバイトをし始め少しだけ余裕ができていたが、真奈美としては少ない学校生活を満喫してほしいばかりであって、ここで「病気だから学校をやめて働いてほしい」などと言えるわけがなかった。

しかし真奈美に頼れるものは何もない。その事実が真奈美に大きく圧しかかり、真奈美は死ぬと言う選択を本気で考えていた。



「お姉ちゃん?!」



真奈美が気づいたときにはすでに自宅のキッチンで包丁を手首を切り裂いていた。幸い深い傷ではなくて香奈穂の帰りがたまたま早く、発見、処置がすばやかったので大事には至らなかった。ただ、真奈美の頬は香奈穂の平手打ちで赤く腫れることとなった。



「どうしてあんな真似したのよ?!どうして勝手に決めちゃうのよ?!」



泣きじゃくる香奈穂の背中を、真奈美は「ごめん」と何十回と言いながらさすり続けた。



「お姉ちゃん・・・病気になっちゃったんだ」



ようやく絞り出した声は小さく、一瞬香奈穂も聞き取れなかった。しかしもう一度「病気になった」と告げると香奈穂は真奈美の頭を胸で抱きしめ、最初以上に大声で泣き始めた。「ごめん」と、今度は香奈穂が何度も叫び続けた。



「香奈穂・・・学校はちゃんと行かせてあげるから心配しなくていいのよ」



真奈美がそう言うと、香奈穂は瞬時に泣き止み真奈美の前で正座した。



「お姉ちゃん、今は病気のことだけ考えよう。あたし、学校よりお姉ちゃんの方がずっとずっと大事なんだよ」

「だめよ、あなたはまだ高校生でしょ。友達もたくさんいる」

「だから死んでお金作るつもりだったの?」



香奈穂のストレートな言葉に真奈美は目を伏せた。行為について無意識だったとはいえ、考えていたことは事実であった。でもそれはすべて香奈穂のためであった。



「あたしのためだとか思ってる?だったら大きな間違いよ。お姉ちゃんがもし自殺なんかしたらあたしは一生自分を許せない。一生幸せになんかなれない」

「でもこの病気は手術後も莫大な費用がかかるし完治も難しいのよ。それじゃいっそのこと・・・」



言葉にはできなかった。死ぬとわかっていても言葉にして自分の耳で聞くのは過酷であった。



「お姉ちゃん、あたしずっと守られてきた」



今度はあたしが守りたい、と香奈穂は再度真奈美を抱きしめた。



「たった2人きりの家族でしょ?お姉ちゃん」



真奈美は恐る恐る香奈穂の背に腕を回した。そして今まで守ってきた小さな妹の大きな背中が、ただ愛しくて涙が溢れてきた。そこで改めて真奈美は香奈穂に支えられ守られていたことを感じ、いつの間にか泣きだした香奈穂と疲れ果てるまで泣くのだった。両親がいなくなって真奈美が香奈穂の前で泣いたのはこれが初めてであった。そして最後だった。






真奈美には夢があった。とても叶いそうにない夢が。



「ああ・・・空を飛んでみたい」



注意して聞いていないと聞き取れない程の大きさだった。香奈穂は窓の外を見つめる真奈美の手をとり明るく言った。



「そうだね、治ったらスカイダイビングでもしてみる?」



真奈美の症状は治るどころか悪化していくばかりだった。医者にしてみれば「もう長くないかもしれない」といったところだったが、香奈穂は決してあきらめていなかった。言葉数は激減したが、しっかりと話す声にいつも安心させられていた。



「香奈穂・・・空がきれいだね」

「そうだね」



もうすっかり夕暮れで、真っ赤な太陽がゆっくりゆっくりと沈んでいた。強烈な赤色が病室を、真奈美を染めている。香奈穂は目がくらみ、真奈美の手を離そうとした。



「離さないで・・・お願い」

「ああ、ごめんね。ちょっとまぶしくて」



もう一度強く握ると、真奈美はにっこりと微笑んだ。そのやせ細った手のひらがやがて暗闇に飲まれると、香奈穂は電気をつけるために真奈美の手を離した。そのときは数秒前のように「離さないで」とは言わなかった。電気をつけると真奈美は目をつむり眠っていた。



「寝ちゃった・・・」



香奈穂はもう二度と目覚めないだろう真奈美の頬に手を寄せ、それからしばらく見つめていた。



「苦しく・・・なかった?空・・・飛べるといいね」



香奈穂は永遠に眠り続ける真奈美を抱き寄せ大声で泣いた。感謝と、これからの孤独に耐えるために。



真奈美には夢があった。それは、いつか叶いそうな夢が。



完結です。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。他の作品もどうぞのぞいてみてくださいね。

それではー

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