お告げ
私には夢がある。
高校2年の夏休みから今まで付き合っている翔との結婚。小さなころからの夢のひとつ、大好きな人と幸せになることは24歳の今現在まで叶っていない。
忘れもしない去年の七夕、翔はそれまで必ず電話かメールをしていた習慣に突然終わりを告げるように音信不通となった。まさか病気?などと思い、次の日に翔の家に行ったがすでにいなかった。その日は帰ってくるまで待つつもりで、翔のベッドに寝転びながら携帯を握り締めていた。
「あかり?」
体をゆすぶられ覚醒すると、目の前には翔がいた。
もうすっかり夜で、人工的な光が目に突き刺さった。どこに行ってたの?なんで連絡くれないの?と、いろんな言葉が頭の中で回っていたが、私はそのまま泣きながら翔に抱きついた。
「ごめん、ちょっと実家に帰ってた」
泣きじゃくる私の背中をぽんぽんと叩き、それだけ言うと翔は後は何も言わなかった。なんだかとてもめんどくさそうだった。でも触れる手は優しいままで、私は聞くこともできずに黙ったまま翔に身を委ねた。
それからだ、なんとなく翔が私を遠ざけ始めたのは。
連絡は3日に一度あればいいほうで、頻繁だったお泊りも今はない。一回だけ最近どうしたの?と聞いてはみたが、翔は「別に」とだけ言ってコーヒーばかり飲んでいた。まるで何も聞くなと言わんばかりに、不機嫌そうにずっとコーヒーを飲んでいたのだ。居たたまれなくなった私は何も言わずに席を立ったが、翔は追いかけるどころか言葉をかけることもなく私を見送った。いや、見送ったのではない。見ただけだ。
私たち、終わりなのかな。
そしてそれが決定的となり、連絡を取ることなく1ヶ月が過ぎた。もちろんその期間顔もあわせていなかったし、声も聞いていない。寂しさなんてものはとっくになくなり、逆に怒りが芽生えた。自分に非があったのかと落ち込んだことさえも馬鹿らしく感じる程だ。
「ばーか、翔のばーか」
ソファの上に仰向けになり、腕を伸ばして携帯の待ちうけを見る。初めて一緒に撮ったプリクラだ。しかもいわゆるチュープリと言われるもので、我ながら恥ずかしい産物である。しかし何故か変える気にはならなかった。今更変えるのも少し寂しいような気もしたのだ。それに画面の人物は高校生の自分たちだが、まったく別の人間に思えたので申し訳ないというか、失礼というか。
「うわっ!」
微弱な振動とともに映し出された翔という文字に、思わず壁に投げつけてしまいそうになった。そして恐る恐る見るとそれはメールではなく電話のようで、数秒考え込んだ後出ることにした。
「あかり?」
もしもしなんて言葉はすっ飛ばし、いきなり呼ばれたことに思わず反応できなかった。うれしかったのだ。しかしそれはすぐに怒りに変わった。無言のままなのを気にすることもなく、翔は唐突に言い放った。
「親父が死んだ」
それは予期せぬもので、「死んだ?」と鸚鵡返ししかできなかった。
「去年の七夕に倒れたんだ。それで実家に帰ると家を継いでくれなんて言われて。もちろん俺はきっぱりと断った。やりたいことあったし。でも俺の家代々続いてるみかん農家でさ。親父が誇りを持ってるのも知ってたから、随分悩んだ。でも俺、家を継ぐことにした」
そこまで言い終わると、翔は大きく息を吸い込んでまるで誓いのようにささやいた。
「俺、あかりと結婚したい」
さすがにそこで鸚鵡返しは無理だった。何しろ今度こそ考えもしなかったからだ。「別れてくれ」と言われるとばかり思っていたのに、いきなりのプロポーズだ。
「身勝手なのはわかってる。俺はあかり以外との結婚は考えられない。でもこのままあかりを幸せにする自信がなかった。いきなり農家の嫁にさせられるなんて苦労するのは目に見えてるし嫌だろうなって。だからいっそ嫌われたらいいなって」
そこまで言うと、とうとう黙ってしまった。ザーっと耳元で電話が沈黙を伝えた。
「・・・農家」
「ああ」
「みかん・・・よね?」
「みかんだ」
ぽつりぽつり喋ることに丁寧に返答する翔。いつもなら考えられない。それだけ必死だということだろうか。
「どうして家継ぐことにしたの?」
それは、と言うと先ほどとは打って変わって小さな声で「夢で親父までの先祖に家を継げって怒られた」と拗ねた子どものように言った。そしてそれがあまりにも面白くて、電話口でお構いなしに爆笑した。
「そ、それで家継ぐことにしたんだっ?」
「笑うなよ!すっげえ怖かったんだからな!なんか鍬とか鎌とか持って追いかけられたんだぞ!」
もはや上戸を盛り上げるための話にしかならなかった。当人には恐ろしい悪夢だったかもしれないが、聞く方にしたらただの面白夢日記だ。歴代の先祖が、鍬や鎌を持って自分の子孫を追いかけながら家を継げと攻め立てる。どう考えても笑い話にしかならない。
でも翔はそれで家を継ぐことを決意したのだ。もちろん夢で殺されそうになったからだけじゃないのはわかっている。悩んだのだろう、それこそ誰かに構ってる余裕などない程に。
「そ、それでさ、もうひとつ聞きたいんだけど」
「なんだよ」
少し落ち着いたのを見計らって話すと、あからさまに不機嫌な声が聞こえてきた。それさえもなんだか懐かしく感じた。
「その夢に私は出てきた?」
「ああ、俺と一緒に逃げてた。でもお前笑いながら逃げてたよ」
あの状況で笑えるなんてお前はすごい女だな、とあきれ口調で翔が言った。夢に出てきた女を、さも本人かのように語る口調にもう一度笑った。しかしそのおかげで決められた。
「私、翔と結婚する」
また耳元にはあの不快な音が響いた。でもさっきよりかは幾分マシな沈黙だ。かすかに向こうから息を呑む音が聞こえた。
「い、いいのか?そんな簡単に決めて」
「いけないの?翔から言ってきたんでしょ?」
「それはそうだけど・・・」
うれしいらしいが複雑で、その後何度も「いいのか?本当にいいのか?」と問い掛けてきた。それもそうだろう、本人には決定的な言葉はなかったようなものだ。しかし、決めたのだ。決められたと言っても過言ではない。
「それよりいいの?建築士になりたかったんじゃないの?」
「いいんだ、最近妙に興味が沸きだしてさ」
「先祖の呪いの効果だね」
「やめろよ、冗談に聞こえない」
再び声を震わせる翔に「泊まりに行っていい?」と聞くと、「いつも勝手に来てるだろ」とぶっきらぼうに言われた。いつもの口調で、本当に元通り、それ以上の関係になれたことを感じた。
「一緒に逃げてるんだからこれは結婚しなくてどうするよーって感じ」
「あ?何か言ったか?」
「なんでもないよ」
そしていつものお泊りセットを持ち、翔の家に行くべく扉を開けた。




