依存という病。
『 依存ってさ』
バイトを終えたタイミングで不意にそんなメッセージが届いた。こんな何の脈絡もないメッセージを突然送ってくる人間は彼女しかいない。
『うん、なに?』
彼女のメッセージにすぐに返信すると、すぐに既読がついた。
『依存ってさ、私とあなたの関係のことを言うんじゃないかな』
彼女の唐突なことばに、たまにドキッとさせられる。
『まあ、それは否定できないな。』
そう返信してスマホをポケットにしまい歩き出す。
彼女-――加奈子は世間的に見れば本当にクズ人間だ。常に男に無条件の愛情を求め、自分に好意的な男は使える限り使い、その男が愛情の見返り(肉体関係をとくに嫌がる)を求めればすぐに切り捨てる。そういう人間なのである。しかし、そんな彼女であろうとも自分にとって「生きる意味」そのものであり、絶対的な“神”であった。彼女を好きになったきっかけなんて覚えていない。覚えていることといえば、彼女に長年片思いしていたら、彼女が急にこちらに歩み寄ってくれたということぐらいだった。その後、彼女はこの崇拝に似たおぞましい気持ちを気味悪がらず、むしろ「うれしい」と言って特別甘えてくれるようになった。彼女に頼られることがこの上なく嬉しかった。彼女の頭の片隅に自分がちゃんと存在していることが、彼女に愛されていることであるような気さえした。そんなふうに考える自分はきっと異常なのかもしれない。実際、友人には「異常だ」と言われたこともある。しかし、結局どういわれようが関係ないのだ。誰かに愛されたい彼女と、彼女を愛したい自分のような存在。需要と供給が一致しているとはきっとこういうことを言うのだろう。
ポケットの中で不意にスマホが振動する。振動の長さからいってどうやら電話のようだ。相手はわかりきっているため、名前を確認することなくスマホを耳にあてる。
『急に電話してごめんね。バイト中だった?』
申し訳なさそうな彼女の声が耳に届く。
「いや、今ちょうど終わったとこ。すごくつかれたから、加奈子の声聞けてすげーうれしい。」
『ほんとにー?だったらうれしいなぁ』
彼女の声が少し明るくなるのが分かった。
「ほんとだよ。俺は今日一日バイトだったけど、加奈子は?なにしてた?」
『私は…おでかけしてたかな?』
おでかけ、という言葉に恐らく他の男と買い物に行ったのだろうということを瞬時に察してしまう自分が憎たらしい。しかし、ここで嫉妬してはいけないのだ。自分にはそんな資格などないのだから。
「そっか。そういえば、さっきのメッセージの真意は?」
黒く染まりかけた思考をぬぐいさるように話題を他のものにうつす。
『ああ、あれね。そのまんまなんだけど、なんとなくそう思ったの。』
「なんとなく、俺のこと考えてくれたの?」
さっきまであんなに黒く染まっていた思考が一気に明るくなる。自分のこういう単純さは正直ありがたい。
『いつもね、辛いことがあったときに真っ先に思い浮かぶのはあなたの顔ばっかりだなぁって気づいたの。私はきっとあなたに依存してるんだなーって、その時思った。』
「俺も、辛いときとかすぐ加奈子のこと考えるよ。まあ、俺の場合はそれ以外の時もだけど。」
『かわいいこというのね?』
「加奈子のほうが何倍だってかわいいよ」
なにそれー、という彼女の声が先ほどよりもさらに明るくなっている。よかった、今日も彼女の気持ちを明るくできた。彼女の役にたてた。
『そろそろお風呂入らなきゃだから電話切るね?』
自分が話したいことを終えると彼女はすぐに電話を切る。無駄な話をする間が苦手なのだといつか申し訳なさそうに言っていたことを思い出す。
「ああ、またいつでも連絡しろよな。…なあ、加奈子」
なぁに?と彼女は不思議そうに尋ねてくる。しかし、彼女はこの後何と告げられるのかなんて本当は知っているはずなのに。いつも、そうやってのらりくらりとかわしていくのだ。
「…愛してるよ。」
電話の最後に、自分はいつも告げる。彼女への変わらぬ気持ちを。
『うん、ありがとう。じゃあ、またね。』
彼女はそう告げ、電話を切った。ツーツーというむなしい音が聞こえたことを確認し、スマホをポケットに押し込む。
アパートへ向かう足を進めながらふと考える。自分は彼女を無条件に愛していると思っているが、本当はそうではないのかもしれない。いつも告げる“愛してる”に彼女は“ありがとう”と答える。その瞬間、どうしようもないむなしさが自分の胸をいっぱいにする。
本当は、彼女にも“愛してる”と言ってほしいと思う自分がいることなんてずっと昔に気づいていた。ただ、気づくたびに気づかないふりをしているだけで。そうしなければ、彼女の捨て駒になってしまうような気がして怖かったのだ。
彼女は“お互いに依存しあっている”と言っていた。しかし、本当にお互いに同じ比重で依存しあっているのだろうか。自分の方が、はるかに彼女に依存しているのではないかーーー。
不意に聞こえたクラクションの音にはっと我に返る。どうやら、いろいろなことを考えているうちにアパートの近くまで来ていたようだ。
ぐだぐだ考えたって仕方のないことなのだ。所詮、彼女にとって自分は駒の一つでしかないのだから。だったらせめて、一番優秀な駒でありたい。
「愛してるって、直接言えることがきっと幸せなことなんだ。」
その言葉が自分に言い聞かせるような響きをともなっていることには、気づかないふりをした。