猫耳千秋さん
ある日の朝。
いつも共に暮らしている執事の千秋が、急におかしなことを言いだした。
「京子さん。俺、ついに猫になってしまいました」
ほら、おかしい。
昨日の夜からだ。彼の様子がおかしくなってしまったのは。
昨日の夜も、遅くに帰ってきたというのに、“ただいま”も、“遅くなってしまい申し訳ございません”も何も言わずに、さっさと自室へと引きこもってしまったのだ。
今まではこんな事は一度だってなかったのだから、さすがの私も心配した。
けれど、朝になったら、千秋さんはこんな調子で。
「何それ? 馬鹿にしてる?」
拳を構えつつ、彼に尋ねてみるが、彼の表情は変わらず、読み取れない。
しれっとした顔をしているが、こいつはなかなかのアホだ。
しっかりしているように見えて、実はポンコツ。加えて、不運体質。
私の事を守る、とか言っておきながら、自分の方が危ない目にあっていたり、とか。
全く、執事のくせに。
心の中で彼に悪態をついていると、千秋は不自然に被っていた黒のニット帽と、薄い革製の手袋を外した。
そうして、隠されていたものが露になる。
「猫、耳……?」
千秋の髪と同じ茶色の猫耳に、手のひらにはピンク色の肉球。そして、鋭い爪。
注意深く見てみれば、千秋の口からも猫のような鋭い牙が見え隠れしていた。
本当に、猫みたい。
千秋は、信用していただけました? と言いながら、頭を傾けて可愛らしさを演出した。
ノリノリで猫に成りきっているのだろうか。あざとい。
彼も、イケメンの部類に入る人間だ。一応、女である私は不覚にもときめいてしまった。
「尻尾はないの?」
私はこれでも、不可思議な出来事に遭遇したことが何度もある。
千秋の猫化なんて可愛いものだ。
これぐらいならば、すぐに適応してやるさ。
そう思いながら、私は千秋の肉球をしっかりと堪能する。
うん、ぷにぷにして良い感じ。
「あります。でも、京子さん遊ぶでしょう?」
「うん。だからほら、隠してないでさ」
よこせ、ほら。
目で訴えながら、右手は肉球を堪能したまま、左手だけを千秋の目の前に差し出す。
ほらほら、尻尾もよこせ。どうせ可愛いんだから。
嫌ですよ! 肉球を差し出しただけでも良くないですか?!
と主張する彼の意思なんてものは無視していこう。
千秋の背後に回ろうとするが、逃げられる。
じり、じり。
私が一歩進めば、千秋は一歩下がる。
もう一歩私が進めば、千秋は今度は二歩下がった。
「……おとなしく差し出しなよ。そうしたら痛い思いはさせないよ」
「それ、貴方が言われる立場だと思っていたんですけどね」
引きつる顔を必死に動かし、苦笑いで私に説得を試みようとするが、失敗。
残念。私、一度決めたら最後までやり通すの。
「覚悟ォ!!!!」
「お許しください!」
無駄に広いこの家の中に、私と千秋の声が響く。
その直後、今度は走り回る音も、数十分程度おさまることはなかったとさ。
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「結局、捕まえられなかった」
「危なかったですけどね」
(二人のDEX値は同じである)