おっさんの科学的思考法を晒してみる。
こんにちは、いつも好き勝手言っているおっさん、黒井です。
今日は科学的思考とはなんぞやという点について考えてみます。
色々なエッセイを書いてランキングに乗ったお陰か、他の作者さんや読者さんと方と語ることが多くなった結果、皆さんが意外と科学的思考のやり方を知りたいと思っている、そして出来ていると思っている人がちゃんと出来ていないと思ったのが切っ掛けです。
ただの無学な素人のおっさんに科学的に考えてどうです?などと、私に聞いてくる方もいらっしゃいます、この様に科学的考証で作品作りで困っている方も居らっしゃるようです。
このような藁にもおっさんにも縋りたい方に、なにか少しでも何かのお役に立てればと思いまして、拙作を考えた時の状況をネタにして、どのような考えで結論を導き作品を書いたのか例にして語ってみたいと思います。
ですが、先程言ったとおりただの無学なおっさんの考え方です、数ある思考の一つの方法で、これが真理では無いという事は先に明示させて頂きます。
以下は拙作『異世界の飯テロについて、味噌醤油はありまぁす。(あるとはいっていない)』で異世界で味噌を再現出来る可能性について、安易なメシテロを否定するアンチの私が、異世界でのメシテロ系主人公が味噌を再現出来る可能性、その可否を考えてどうやって結論に辿り着いたのか文章にしたものです。
今回この問題を考えるにあたって使用した、否定による割と一般的な方法です。
①まず異世界で再現したい味噌とはなんぞや?
『問題の定義を定める』
大豆を原料とし、米や麦などに麹カビを発生させた一次発酵したものに塩を混ぜ自己融解させ澱粉を糖に分解する酵素を抽出し糖分解を発生させ、それを柔らかく煮た大豆に混ぜあわせ、糖を餌に空気中に存在する細菌(乳酸菌等)によって二次発酵させるものです。
②絶対に同じ材料でなけれ再現不可能か?
『事実による否定』
いいえ、豆に関しては別の豆(有名なのは海外産のひよこ豆)で再現されている日本メーカーがあり、麹についても海外で使われている近似種(紅酒や豆板醤などに使用する紅麹)で日本メーカーが日本の製法で作っています、どちらも味は日本人が味噌と定義される範囲に入っており、その道のプロが味噌であると売っている点も踏まえ十分味噌と言えます。
塩についても主に日本で大量生産品で使われている精製塩、一部味噌蔵で使われる昔ながらの天塩や岩塩に至るまで使用可能と言えます。
③日本の主な気候(温帯、亜熱帯)でないと再現不可能か?
『事実による否定』
いいえ、海外で(私が知っているのはアメリカ、イギリス)自作をしている方が存在し、けして日本ではないと出来ないとはいえません、また日本にも一部亜寒帯に類する地域があり、利用する菌の生存範囲はそれなりに広いと言えます。
④麹の発見に現代知識や科学は絶対に必要か?
『事実による部分否定と部分肯定』
いいえ、味噌は古くからあり該当する時代に科学は存在せず、人間の普段の生活の中から発見され活用されてきました。
しかし菌の発見やその製法について偶然から導き出すのは時間が掛るため、人間一人の寿命内でゼロベースからの再現の場合、ある程度の知識や経験は必要であると推測します。
⑤麹が特定地域でしか発見されないと断定できるか?
『事実による否定』
いいえ、仮に特定の地域でしか発生しないものであったとしても、動物、特に人間の活動を媒介にして伝播する可能性は否定できません、現代に関しても麹を移動し海外で作る人が居ます、そうでなくても荷物や衣服に付着して移動する可能性は他の菌の感染例を見れば明らかです。
⑥麹が現在存在し、活用されている地域は主に温暖から熱帯気候であるが、特定地域でしか生きられないと断定できるか?
『事実による否定』
いいえ、環境に関しても人間というイレギュラー要素が気温や湿度を住みやすい様に工夫しており、その温度は麹カビが繁殖するのに適した環境でもあります、人間の生存圏内であれば該当地域から外れたとしても麹が生存し、繁殖可能であると思われます。
⑥そもそも麹でなければ再現できないのか?
『科学的根拠による否定』
いいえ、麹はあくまで科学的に言えば澱粉を糖に分解する酵素を抽出する方法です、別の手段さえあれば麹に拘る必要性が無いと言えます。
⑦では、別の手段(この場合は別の澱粉を分解する酵素を出す菌と設定しました)が異世界にないと断言できるか?
『証明論を立てる基本原則からの否定』
いいえ、証明すらせずに否定をするのは非科学的な思考です、無いと証明していない以上あると考える、又は無いと証明するに値する情報を提示すべきです。
⑧では違う材料、違う麹又はそれに準ずるものを使って再現した時、味が日本人が定義する味噌の範囲に入った場合、それは味噌といえるのか?
『ここまでの事実と照らし合わせての肯定』
感情的に言えばいいえ、ですか科学的に言えばそうであると答えるべきです。
味噌とは調味料であり複雑な物質の集合体で、その出来栄えを左右する一番重要なファクターは味です、そこがクリアされた以上感情はノイズでしか無く、②番で提出された材料や麹の違う味噌を認めているケースを考えれば、出来た複合物質を味噌であると認めるべきでしょう。
総論
味噌が異世界で再現できる可能性は存在する、だがそれなりの知識と経験が必要であり、同時に再現にあたって知識に固執しない柔軟性も必要である。
となりました、例えば皆さんの周りには味噌や麹は結構な種類があります。
ですが、その違いを分かる人は稀です、作る地域は国内だけで限定しても沖縄の亜熱帯北海道の亜寒帯まであり、大豆の生産地域もまちまちで特に味に拘る方以外そこまで拘る人は居ません、味噌と呼ばれる製品の製法も幅広く西京から八丁まであり、更に複数を混ぜあわせた物まであります、そして老舗の味噌蔵などの昔ながらの方法、工場生産の現代的な方法、更にそこに科学的に抽出した調味料を添加する方法など、多くの方法がそれぞれ日本人に味噌と認められています。
味噌というのは私達が主観で考えている以上に、柔軟性を持って作られ売られています。
味に関しても人によって西京は味噌ではなく甘酒だと揶揄し、八丁はエグみがあって塩辛く不味いから味噌では無いという人も居ます、ですがこの部分は個人間の感情で再現には関係無い部分です、他の大多数はそれぞれを味噌だと認めるからです。
我々は普段から感情で考え、己の主観で思い込んで生きているのです、これはあくまで好みの話であり、科学的な思考をする際は除外すべきファクターになります。
ここまで偉そうな事を言っていますが、今回の私の総論を科学的な思考をする学者さんが見た時、感情の混ざった論であると定義するかもしれません。
ですが否定するにあたっては、より科学的な推論や証明を当然提出され、その上で否定をされるでしょう。
この部分証明部分を端折って、このエッセイのやり方は科学的ではないとか、味噌を作る筈だ違う物を作る方法だと考える方がいましたが残念ながら、その感想は理論のない思いつきの感情論で、理論的回答は殆どありませんでした。
私は作中の最後で語った言葉、ちゃんとアンチをしましょうという持論について、このような感情的回答が、自らの理論付けを補強するに当たる証明も同時にしています。
あくまで科学的に思考したらこうだと感情的に受入れやすく、又は感情的に反証を立てたくなるように心がけて書いた自分の目論見通り、自分なりに思考した結果を感情的に書く読者さんが多く現れたのです。
ここについては面白い結果で、拙作や他の方の作品問わず、こういった味噌などの再現に感情的評価している方の多くはご自身が科学的に思考していますと仰り、大体の方が味噌についての歴史的観点を無視し、科学が無いと再現不可能と結論付けて持論を打ち立てるのです。
その論調ですと日本には大昔に科学やそれに準ずる研究施設があり、そこで麹が発見され味噌が作られなくてはいけません、こうなると最早オカルトやトンデモ科学ですが、ご自身の知識に固執し柔軟性を持たないままあからさまな自己矛盾を起こしていると気付かず持論を書かれます。
これは公平な科学的思考だと語るアンチの方が主観の篭った感情で人を叩く姿が見える結果なんです、それではアンチは嫌われて当然なのではないのでしょうか?
感想を書く時は主観であるなら自ら正直に主観であると伝え、私は○○が好きなので○○しませんか?と建設的に訴えるべきなのです、無論主観なので通る事の方が稀ですしそのつもりで書くべきでしょう。
異世界で味噌を作るにあたって何をどう探せば良いかを考え、それについて提示や相手が定義した物事に関して危険性を語るのが正しいアンチであると私は思います、根拠や証明がある場合は作者側も間違えを認め直ちに訂正する、これが良いアンチと良い作者であると作品を通じて伝えたいのです。
実際、わざと開けておいた穴をきちんと指摘してくださったアンチの方がいました、その方は科学的ではないとは一切言わず、冷静かつ科学的にこの問題点を否定をしてくださいました。
その姿は正しいアンチであると思い、私は一つ開けていた穴についてアンサーを書いています。
科学的思考には時として感情が大きく邪魔をする時があります、そういう時ほど逆の立場に立ち、相手の可能性を考えてみる方が感情を廃し易く、結果としてより良い答を導く事が出来ます。
なので自己理論の否定による相手への証明をしていますし、他者にもその方法を推奨するのです。
どうしても人間ですので結論ありきで考えます、なので推論や実験結果を重ね、その上で持論を語るとある程度の公平性が担保され、より相手に認められやすくなると思います。
私のように無学で情熱だけに頼って作品を書くようなおっさんでも科学的思考が出来るのです、皆さんにやってやれない事は無いと、この作品を読んで思いませんか?
注意すべき点は感情が籠もると皮肉になりやすく、本来伝えたい事が濁り、結果としてただの皮肉になって相手に届かない事、そして間違った科学盲信を捨て正しく科学的思考を行い、その結果をどうすれば他人がそれなりの納得が出来る文章として書けるかを考える事です。
その行動ができた時、そこにはきっと多くの方が賛同して下さる結果が見えてくるでしょう。
この駄文が皆様の創作のお役に立つ事を願い、今回はここで筆を置こうと思います、ここまで読んでくださってありがとうございまいました。