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第七話

 ちりん……。ちりん……。

 風鈴が、軒先で揺れている。

 緑色の風鈴。あの男のような、気紛れで綺麗なものだ、、と美月は思った。

 きっと、夏が過ぎれば忘れてしまう。そんなもの。美しいだけの、過ぎ去るだけの、ただの想い出。

 既に夏は過ぎようとしている。

 夏祭りの夜の後から、ぱったりと碧は美月の元を訪れなくなった。前には時折、様子を見に来ていたハジメも顔を出さなくなった。

「……つまらない」

 叶は、ぺたりと縁側に倒れこんだ。夏と同じ浴衣姿である。それでは流石に寒くなってきた。もう秋が近い事を風の冷たさが知らせている。

「あの人にとっては、一夏の想い(アバンチュール)、という奴だったのかしら……」

 きっと、碧はただの遊びで美月に構って。だから、自分も遊びだったのだと少女は己に言い聞かせる。

 彼の事など、忘れられると。たった一夏、少しの間だけ一緒にいた男なんて忘れられると。

 ちりん……。

 それでも、緑色の風鈴はしまわれないまま。一ヶ月が過ぎようとしていた。




「美月」

 呼ばれた声に、美月の胡乱な意識が覚醒する。いつも通り、縁側でうたたねしてた。目を薄く開くと、日が暮れていた。視界が利かない。

「……ハジメ?」

 問う美月の言葉に、久し振りの声が聴こえた。

「碧だ。お前、俺とハジメを間違えるな」

「……碧?」

 ぱたり、と美月は慌てて身体を起こした。久し振りの男を視界に捉えて、少女は戸惑ったように視線を逸らす。

「何故? 私に構うのは飽きたのではなかったの?」

「これね。書いてた……校正前だけれど、お前に見せたくて」

 碧は、紙の束を寄越した。文字が印刷された紙の束。

 長い、小説だった。

 美月は、あらすじに目を通した。

 沈黙が訪れる。

 碧は黙って、小説を読む美月の横顔をじっと見つめていた。

「恋愛小説?」

「そう。俺と、お前の恋愛を小説にした」

「……馬鹿」

 思わず泣き笑いながら、美月は言った。

 少女の涙を、男が指で拭ってやる。少女は軽く男を叩いた。

「私を置いて、何を書いているのですか」

「都会の編集から……せっつかれて。どうしようもなくて。夏の間、お前と遊び過ぎた、ので。叱られて……」

 碧は肩を竦めた。その身体に、浴衣姿の美月が凭れ掛かった。薄い生地を通して、互いの体温が感じられる。

「『やは肌のあつき血汐にふれも見で』」

「『さびしからずや道を説く君』……何だ、急に与謝野晶子など」

「ろくに触った事もない女との恋の話を書くのは、大変ではなかった?」

 大人っぽい発言とは真逆に、子供っぽく、くすくすと笑う美に、碧は大真面目な顔で答えた。

「大変だった。何度、お前に触れるのを夢に見た事か」

「なら……」

「おっと、これ以上は、男から言うものだ。……俺と来い、美月。幸せにしてやる。で、とりあえずお前に触れたい。こんなに頑張った俺に御褒美をくれ」

 大真面目に言う碧に、美月は笑って、瞼を閉じた。

 微かに触れる互いの唇と唇。触れるだけで、それだけで。夏の名残の味がする。

 緑色の風鈴が、二人の頭上で涼やかに鳴っていた。




 村には一日に一本しか電車は走っていない。

 寂れた駅に、三人の人影があった。

「美月、元気で」

 ハジメが泣きそうになりながら、少女を抱き締める。

「ハジメ、都会に遊びに来てね。きっとよ」

「ああ。遊びに行く。きっとだ。美月は私の家族なのだから」

「……ハジメ、有り難う」

 少女――叶美月――は鮮やかに笑った。

「こほん」

 三人目の男。碧が咳払いをして二人をジト目で見遣る。

「美月は、俺のものだから。言っておくが、もう俺のものだからな」

 ハジメはにこやかに笑って、美月を離すと碧に言葉を返した。

「わかっていますよ、碧。碧も私達の家族に加えてあげますから」

「だから、俺が美月の恋人だと言うのだ! お前はただの兄みたいなもの!」

「はあ? 私の方が美月と長い付き合いですし。それに、二人の仲を取り持ってやったのを覚えてないんですか?」

 男同士のなんとも言えない喧嘩に、美月が割り込んだ。

「二人とも、馬鹿!」

 少女が笑いを堪えた罵倒をはいて、二人の男の背中を叩いた。

 嬉しそうに笑う美月は、爽やかな緑色のワンピースを着ていた。それを見て、碧は満足そうに頷いた。

「では、行こうか。俺の女王様」

 手を差し伸べる碧に、つんと澄ました顔で美月が手を乗せる。

「行ってあげても良くってよ。私の王子様」

「女王様に王子様とは、微妙にアンバランスですね」

 ぷ、と笑うハジメ。笑う表情とは裏腹に、何処か寂しそうな声だった。

 そして、秋の訪れる頃。少女と小説家は小さな村を出て行った。

 これが二人の物語の序章であった――。


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