1.幽霊
夜23時30分。
人通りのほとんどない小さな商店街を歩く人影が一つ。
商店街の商店はこの時間ほとんどが閉まっており開いているのは「カラオケ」とネオンを光らせているスナックだけだ。
スナックは昼は閉まっておりネオンが点いてるのを見たのは数年前に家族で外食をした帰りがけに商店街を通った時以降はじめてだ。
今は自分しか歩いていないと思うと明日菜は恐ろしいようなそれでいてワクワクしているような不思議な高揚感を感じた。
走ってきたが家を飛び出してから商店街に来るまでに10分はたっただろう。
「お母さんもお父さんも気づいていたら大騒ぎだろうな。
まだ気づいてないかな。
2人ともすごい顔して怒鳴りあってたもんなぁ。」
少し恐ろしい気持ちを払うように明日菜は口に出して呟いた。
小学3年生の弟をあの家に残っていることを思うと少し可哀想に思うが、今は顔を合わせる勇気がなかった。
両親が怒鳴りあっている原因が明日菜自身だからだ。弟の瑛太もそれがわからない歳ではない。
『お姉ちゃんのせいだぁ!!お姉ちゃんのばかぁ!!』
両親の言い争いを見て瑛太は泣きながら明日菜をぶった。
しがみついて腕をブンブン振り回す瑛太に明日菜は何も言えなかった。弟の腕を払うと玄関のコートかけにかかっている分厚い黒のパーカーを引っ付かんで飛び出したのだ。
本当に嫌なことは重なるものだ。
明日菜はふぅーとため息をついたところで、ふと耳を澄ませた。
自分のペタペタとした足音に他の足音が混じっているような気がしたからだ。
自然に額から冷や汗が流れる。
女の子にしては短すぎるベリーショートの髪のせいか頭だけ妙にスースーとして、11月上旬の肌寒い夜、流れる汗にゾクリと背中に悪寒がはしった。
そっと後ろを振り返ってみると電柱3本後ろのところにフードを目深にかぶった人物がいるのが目に入った。
フードからのぞく顔は不自然に青白く真一文字に閉じている唇まで真っ青だ。足元まで覆われたコートのようなもののせいで男女どちらであるかはわからないものの不審者としか言い様のない出で立ちだ。そんな人物がじっと明日菜の方を見ていた。
明日菜はグレーのスエットの上下に黒い分厚いパーカーを羽織っており短すぎる髪型もあり少年のように見えるはずだが少年が不審者につけ回されるという注意も小学生の時に聞いた気がする。心臓がドクドクと胸を叩くように鳴っているのがわかる。
『くそ!竹刀持ってくればよかった。』
玄関先に置いてある竹刀を思い浮かべたが、今さらだった。
商店街はもうすぐ終わり住宅街になる。明るい商店街から見ると住宅街の道は真っ暗。
この住宅街を抜け目当てのコンビニまでは走っても5分はかかる。明日菜の足ならば3分で可能だろうか。
明日菜は振り向かずに走り出した。
普段全力で走ることはほとんどない明日菜だが全力で走れば同学年の男子にも負けない。明日菜自身あんな足元までのコートを着た人物に追いつれるハズはないと思っている。
走りながらも何か武器になるような棒状のものは無いかと目をうろうろさせるが住宅街でそのようなものは見当たらない。
商店街から直進して二つ目の角を右に曲がり、後は真っ直ぐだがコンビニの灯りはまだ見えない。
明日菜は口を引き結び走る速度緩めることなく走りに走った。
が、障害物も何もない目の前の道路にフードの青白い人物が突如表れた。それが目に入った瞬間、明日菜は急ブレーキをかけたがその反動で後ろに尻餅をついて倒れてしまった。
その現れかたは瞬間移動としか言い様がない。
明日菜は心臓が痛いくらいに胸を叩くので思わず胸を右手で押さえた。
助けを呼ぼうにも声は出ず、はっはっという自分の呼吸の音が耳の奥で響いている。
明日菜はオバケが怖いという性格ではなかったが全く人間離れしているこのフードの人物には今までに感じたことの無い恐怖を感じていた。
フードの人物はフードをつかむと頭から外した。
顔は恐ろしいくらいに青白いが白に近い金髪は足元まで伸びている。顔立ちは明日菜が見てきたどんな人よりも美しく整っている。日本人というよりは西洋人のような顔立ちだと感じた。ただ中性的な顔立ちをしているため男女の区別はつかない。
「ウヌスル アヴ サラシン シアー」
青白い人物が口を開いた。
声は透き通るという言葉がしっくりくるキレイな声だった。高くもなく低くもなく、やはり男女の区別はつかない。
ガタガタと震えている明日菜の耳に入ってきた言葉は全く聞き覚えの無いものだったが明日菜の頭には言葉としてストンと落ちた。
『お探し申し上げておりました。』
全く理由はわからないが今幽霊が言ったことがわかった。
幽霊だと外国語でも通じるのだろうかと、恐怖に震え後退しようとする自分とは別の脳ミソで疑問が浮かんだ。
幽霊は固まる明日菜の肩に、そっと手を伸ばし話しかけた。
『さあ、エバルスへ参りましょう。どうかシシーアを我らの民に!』
明らかに聞いたこともない言語が明日菜の脳ミソで勝手に変換されていく。
明日菜はその何もかもが恐ろしく自分の声は出無かったものの左手を幽霊の前へかざし幽霊から伸ばされた手を遮った。
「いや!くるな!」
ようやく出てきた声は震え、かすれている。
幽霊は整った顔をわずかに歪め悲しげな表情を作った。
『申し訳ありません。しかし、私どもの国へ早くお連れせねば。シシーアは薄れきっております。この分身もいつまで保てるか...
さあ、エバルスに着いたらゆっくりご説明させて頂きますからね。』
明日菜の震える左手を幽霊の手が掴んだ。
「...っだぁ!」
捕まれた左手から電気が流れたようにビリビリとしたものが身体中を巡った。若干の痛みと痺れを感じた。口も上手く開かず頭はクラクラとしてきた。
「インテル ハウマシン グル サラナシン マカルク メジャミ...」
幽霊がブツブツと言葉を発しているが今回は変換されることはなかった。意味のわからない言葉に捕まれた左手、明日菜はとてつもない恐怖の中で強烈な吐き気を覚えた。
『気持ち悪い。幽霊の手を振り払わなくちゃなんかマズイ気がする。』
明日菜の脳ミソは今までに出会ったことの無い異質な存在に対して警鐘をならし続けている。
口の中が酸っぱい。喉の奥から熱いものが迫ってきている。
明日菜は堪えることもなく口を大きく開いて地面にぶちまけた。
幽霊は目を見開き驚いた表情になり、呟いていた言葉を一瞬詰まらせていた。
頭はクラクラとして涙目の明日菜だったが幽霊の一瞬のスキを見逃さず、左手を力強く振り払った。
今度こそ幽霊は驚愕の表情になった。
『いけない!今離しては!』
幽霊が叫んだと同時に明日菜は再び不思議なものを目にした。
幽霊が後ろの何かに吸い込まれるように渦を巻いて回ったかと思うと一瞬にして消えたのだ。
明日菜はごしごしとパーカーの袖で口元を拭いて涙をぬぐった。
そして消えたのが幽霊だけじゃないということに気がついた。
立ち上がってぐるぐるとその場で回ると、明日菜はもう一度腰を下ろした。
そこは住宅街の道路ではなく、巨大な木の根っこにあたる部分だった。
周囲にあったはずの家々はなくなり、変わりに巨大な木々があちこちにあり、見渡す限りの森になっていた。




