「死」について。
「死ね」なんて言ったら母が泣きながら叱ってくれました。冗談でも言って欲しくないそうです。
「
平和な国でぬくぬくとつまらない日々を生きている子供たちは言う。『死にたい』と。
危険な国で日々怯えて生きていく子供たちは言う。『生きたい』と。
平和な国で暮らしてるお前らは言う。『死ね』と。
危険な国で暮らしてるアイツらは言う。『共に生きよう』と。
俺らは『平和』というのが当たり前過ぎて、『幸せ』であることがわかっていない。だから簡単に『死ね』なんて最低なことが言える。『死』というのをどこか軽んじている。……俺は思うわけだ。『平和』であり続けるためには、『死』というのを軽く見てはいけない。一時だけの『平和』を作ることは簡単だ。その時だけ我慢すればいい。だけど『平和で居続ける』というのは難しい。ほら、良くいうだろ? やることはできても、それをやり続けることは難しいってな?
あ? 俺か? 俺はできねぇよ。むしろ俺にやり続けることを求めるな。俺の飽き性を舐めんなよ?
とにかく、最近の若い人はよぉ何かある度に人に『死ね』だの『死んでしまえ』だの何だのかんだの……馬鹿じゃねぇの? 『死』というのを軽く捉えるな。お前が言ったその言葉でもし目の前のやつが本当に死んだらどうする? 『僕のせいじゃない! アイツが勝手に死んだんだっ!!』って言うのか? 無駄だろ? お前の言葉でアイツは『死』んだってことになるんだよ。言い逃れできねぇし、言い訳なんてしても世間の目は冷たくなるだけだ。と、まあ、もしもの話なんだけどな。だからよぉ、『死ね』っていう時はそれなりの覚悟持てよ?
と、言うわけで、補習のせいで『死』にそうなので帰りマース!!
」
「補習で人は死なないよ!? 逃げんな!!」