第6話
「一緒に……ってそれは、一緒の部屋で、とか……そういうことじゃないんだよね?」
「そうよ。私のベッドで、二人一緒に寝ようって言ってるの」
ひなたは改めて言葉にした。そのせいで、顔の紅みが葵にも伝播する。
そう言われるのではないかと、葵も思っていた。ひなたの表情を見れば想像することは容易だった。それに、一緒の部屋でという意味なら、葵が家に泊るということが決まってからそういうことになっている。今更頬を赤らめる必要はない。
「……どうして?」
理由を問われたひなたは、少し悩んでから質問を質問で返した。
「嫌……かな?」
「嫌、じゃないけど……」
葵は一瞬、ひなたのベッドを見る。ベッドが狭いから、と言って理由を付け回避することは出来なかった。ひなたのベッドは一人用にしては少し大きい。頑張れば二人寝るくらいは出来そうだ。ひなたも葵も細身で、ベッドの幅が極端に足りないということにはならなそうだった。
理論的な説明が出来ない葵は、自分の正直な部分を話すことにした。
「で、でもさ……俺達今日会ったばっかりだし、同じベッドで寝るっていうのは……ね?」
正確に言えば、初めて会ったのは昨日だが、きちんとした自己紹介を交えたのは今日なので、初めて会ったという表現は間違いではないだろう。葵にはひなたに対する明確な嫌悪などなかったが、どうしても高校生なりの倫理観という部分で引っかかってしまったのだ。
「そう、だね。ごめんね。布団敷こっか。私も手伝うよ」
ひなたは少し残念そうな反応だったが納得したようで、布団のある場所を葵に教えながら、一緒に部屋に布団を運び込む。
「じゃぁ……電気消すよ?」
「うん」
電気を消すと真っ暗になる。豆球も、廊下から漏れてくる光も無い。
「おやすみ。葵」
「おやすみなさい」
挨拶を交わして、葵も布団へと潜り込んだ。
それから、無言の時間が続く。部屋に響くのは壁掛け時計のカチコチという音だけだった。しばらくの間、ひなたは寝返りをうったりしていたが、やがて規則的な寝息が聞こえるようになった。
気持ち良さそうに寝息を立てて眠るひなたとは対照的に、葵は眠れずにいた。一つ上の年齢の女子高生と同じ部屋にいるということではなく、慣れない場所であったということと、光も音もほとんどない空間にいるせいで、不安に襲われたからだ。
両親の安否、自分自身のこれから先の不安。
布団に入って一時間ほど経ってーー葵の実感としてはもっと時間が経過していたがーー葵は布団を抜け出した。このまま黙って布団を被っていても眠れる気がしなかったからだ。少し身体を動かしでもすれば、不安が取り除かれ眠れるようになれるのではないかと思った。
階段を降りると、まだひなたの両親が起きているのか、居間の電気はついたままだった。その居間の隣を通り抜けて、玄関へ行き、靴を履いて外へ出る。
さすがは夏というべきか。パジャマ姿で外へ出ても、あまり寒くなかった。
空を見ると、星がはっきりと見えていた。それを見て、葵は思い出す。
「そっか……今日、七夕だったよな」
そして、両親の結婚記念日。
「毎年毎年欠かさずに……まったく……」
思考が言葉となって漏れ出す。
結婚して何年経っても仲の良いままで、幼い頃、夜中にトイレに起きた時に見た二人のやりとりは衝撃的だったことは今でも覚えている。
「俺が一人っ子なのが不思議なくらいだよ……」
七夕は、年に一度織姫と彦星が出会える日。一年に一度しか会えないカップルは、その大切な日になにをするんだろう。
「…………」
咄嗟に考えてしまった卑猥な想像に、葵は自分で呆れた。
「再会したら弟か妹が増えてました……なんていうのはやめてくれよ」
届くはずのない声を、空へと向かって飛ばす。呟くように言っているので、葵以外には聞こえていない。
(増えててもいいけど、今は……無事で居て欲しいのが一番かな)
願望を口に出すと叶わない気がして、葵は、言葉にしなかった。
「何してるの?」
背後から声をかけられて、葵は振り向いた。
「起きたらいないんだもん。びっくりしたよ」
「ごめん。何か……眠れなくてさ」
ひなたはその理由を訊かなかった。いろいろなことが考えられたからだ。
「……そっか」
背後から隣へと移動するひなた。葵と同じように、空を見上げる。
しばらく無言の時間が続いたが、葵が先に口を開いた。
「あのホテルにはね……、俺の父さんと母さんの結婚記念日を祝うために行ってたんだ」
どうしてこの話をしようと思ったのか、葵にはわからない。夕食の時には曖昧な言い方にしたのに、今は詳細に語る気になった。
「昨日の晩、火事から逃げる途中で、子供がいなくなったって言う母親に会ってさ。父さんが探しにいくって言って、母さんはそれについていって、俺だけ逃げたんだ」
「……その途中に、私を助けてくれたんだね」
昨日の深夜から今日の未明にかけての出来事なのに、凄く昔のことのように感じた。それは葵だけではなく、ひなたも感じていることだった。
「ひなたは?どうしてあのホテルに泊まってたの?」
「私はね、美術で書いた作品がなんだかっていう賞の大賞に選ばれて……。それがなんか大きい賞らしくて授賞式があるから、参加しようと思って。家族で行ったの。智樹は受験生だから行かなかったけど。ホテルに泊まったのは、せっかく少し遠いところまで行ったから……っていうことで。今だから言えるのは、行かない方が正解だったかな、っていうことだけよね」
「たまたま行ったホテルがあんなことになったら、そう思うよね。そりゃ」
そーなのよ……と、苦笑気味にひなたは笑った。
「葵の両親の結婚記念日っていつなの?」
「今日。毎年、前の日に行って、一晩中ベタベタイチャイチャするんだよ」
呆れながら言う葵。途端、ひなた表情は明るくなる。
「今日なんだ!じゃぁ、織姫と彦星にお願いしよっか」
「えっ?」
「今日が結婚記念日の二人の無事をお願いするのよ。今日は織姫と彦星にとってめでたい日なのよ。同じ日にめでたい立場の二人の無事を祈れば、きっと叶えてくれるわ」
随分と乱暴な理屈だと、葵は思ったが、その事は口には出さず訊いたのは別のことだった。
「短冊もないのに叶えてくれるかな?」
「大丈夫よ。きっと、そのくらいサービスしてくれるわ」
サービス、という節句に似合わない現代語を耳にして、葵は、ぷっと吹き出した。つられて、ひなたも笑う。
「それで、短冊なしのお願いはどうすれば叶えてくれるの?」
若干ふざけた葵の問いに、ひなたは少し悩んでから答えた。
「うーん……空に向かって手を合わせれば大丈夫じゃない?手のひらをこうやって、合わせるの。合掌?」
そう言って、ひなたは合掌の形を葵に見せる。
「仏教みたいだね」
「日本だからきっと仏教よ」
「神道かもよ?」
「神道も合掌するから一緒よ。きっと。織姫も彦星も日本人だから合掌で大目に見てくれるわよ」
ほらほら早く早く、とひなたに急かされ、葵は空へ向かって手を合わせる。祈るのはもちろん、両親の無事だ。
その隣にいるひなたも、空へと向かって手を合わせていた。
三十秒ほど手を合わせて、葵は合掌を解く。ひなたが合掌をやめたのはその数秒後だった。
「ひなたはなにかお願いしたの?」
葵と違い、ひなたには祈らなくてはならないことはないはずだ。
「私も、葵のお母さんとお父さんが無事だといいな、と思って。それともう一つ……」
「もう一つって?」
本来なら、両親の無事を祈ってくれたことに関してお礼の言葉を言うべきだったんだろうが、葵はもう一つのお願いが気になってしまった。
「ふふっ。内緒!葵、そろそろ戻ろう?」
ひなたの笑顔を見て、葵は思う。もっと一緒にいたい、と。
「ひなた……あのさ、俺……この家でしばらくお世話になっていいかな?」
「それは、一緒に暮らしたいってこと?」
葵の言葉を聞けば、それは容易にわかるはずだったが、ひなたはもう一度訊いた。
言葉で答えることはせず、葵は頷いた。その動作を見て、ひなたは葵を抱きしめる。その瞬間、葵の脳裏に今日のホテル跡地での出来事が思い出される。既視感。あの時も感じた暖かさ。
しかし、今回はひなたが薄着のせいで、身体の柔らかさが強く感じられた。
「もちろんよ。葵がもう大丈夫、って思えるまで、お父さんお母さんの無事がわかるまで、一緒にいていいんだよ」
抱きしめられた状態のまま、葵は返答する。
「ありがとう。よろしくね。ひなた、苦しい……」
胸が柔らかいおかげで実はそこまで苦しくもなかったが、柔らかい胸に触れてドキドキしている現状はひなたに知られてもいいことはないので、 てきとうな理由をつけて離れようとした。
「ごめんね?」
ひなたの胸から離れるということに、少しの名残惜しさを感じながら葵はひなたに向き合う。
「大丈夫だよ」
「そろそろ部屋に戻らない?もう夜も遅いわよ」
言われるとなんとなく眠気に襲われるから、不思議だ。
ひなたの先導でひなたの部屋へと戻る。居間の電気はもう消えている。
「ひなた……一つお願いがあるんだけど」
葵はさっきまで自分が寝ていた布団に入らず、ひなたの方を見る。
「なに?」
「一緒に……寝てもいい?」
ひなたのあの暖かさを、もう一度味わいたかった。
「いいよ、おいで」
「葵、狭くない?」
「うん、大丈夫」
狭くないのは、密着することを避けようとしていないからだ。ひなたの布団に潜り込んだ直後は、気を遣って隙間をつくろうとしていたが、ひなたがその事に気づいて、その隙間を埋めようと葵のことを引っぱって現在に至る。柔らかい感触、暖かい体温がはっきりと伝わる。
「暖かいね」
葵は正直な感想を口にした。しかし、ひなたからの返答は返ってこなかった。
しばらく経ってから、ひなたは口を開いた。
「ねぇ、葵、私のお願いもきいてもらっていい?」
「いいよ。なに?」
同じベッドで眠るという、今日出会ったばかりにしてはいささか無茶なお願いをしているのだから、滅多なことでなければ断らないつもりで葵は訊き返した。
「私のこと、『お姉ちゃん』って呼んでみて?」
「智樹くんがいるじゃん」
ひなたの願いは弟のいる姉としては、珍しいものだろう。
「智樹に呼ばれるのと葵に呼ばれるのとでは全然違うのよ。ね、お願い、一回だけでいいから、ね?」
「わかった……」
葵は、息を一度吐いた。
「お姉ちゃん、大好き」
「……!!」
ひなたの目が驚きで染まる。
ひなたの反応を見て、葵は自分がとんでもないことを口走ったことに気がついた。大好き、などと言うつもりはなかったのだが、緊張と焦りのせいで、言ってしまったのだ。
「ありがとう……私も大好きよ」
ひなたのその言葉が、葵をさらに羞恥へと追い込んだ。葵は逃げるように、布団を頭まですっぽりと被る。
だから葵は、小声で放たれたひなたの言葉を聞き逃した。
「ほんとに、大好き、なんだから……」