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第4話

 葵は無言で目の前に立つ彼女の姿を見つめる。

「キミは……どうしてここに?」

 近づいてきて、女の子はそう訊いた。骨組みしか残っていない建物の前に、人が立っていればそう訊いても不思議ではない。

「両親を、探しに……」

 葵のその答えで、彼女は何かを察したのか、

「そう……」

 と、言っただけで、それ以降しばらく会話が途切れる。


 背後には、悲しすぎる現実が。目の前には、昨日一緒に逃げた女の子が。

「じゃぁ……失礼します」

 葵はそう答え、ホテルの敷地から出ようと歩き出した。

「待って」

 彼女の隣を通り過ぎようとした時、呼び止められる。立ち止まるだけで、それ以上の反応はしなかった。

「大丈夫?」

 彼女のその一言で、葵の心は大きく揺れる。


「大丈夫ですよ。ちゃんと生きていけますから……」

 必死に平静を装い、答える。

 その偽りを彼女は、すぐに見抜いた。

「……本当に?辛くない?淋しくない?」

「……大丈夫です」

 彼女に肩を掴まれ、面と向かうような位置関係になり、さらに大きく変化する。

「えっ……」

 葵はそう声を漏らす。

 彼女との距離は、ほぼゼロ。それ以上に近いかもしれない。葵は彼女の腕の中へ引き込まれた。

 暖かい体温に抱きしめられる。

「無理しなくていいんだよ?泣いてもいいし、誰かに頼ってもいい。それは私でもいいの。大丈夫。大丈夫だよ」

 その暖かさで、氷が溶けたように、葵の目から涙が零れ落ちる。

「ああ……ああっ……」

 葵は声を上げて泣いた。彼女はその頭に手を置いて撫でる。


 それからどのくらい時間が経ったのか、葵にはわからなかった。

「ごめんなさい、服が……」

 ある程度落ち着きを取り戻した葵が開口一番言った。葵の言う通り、彼女の服は葵の涙で濡れている。

「大丈夫だよ。それより……」

 彼女は、ポケットからハンカチを取り出す。そのハンカチで。葵の涙を拭う。

「可愛い顔が台無しだよ?」

 昨日の会話で、彼女は葵が男であることを理解しているだろうが、それでも彼女は可愛い顔、と言った。

 綺麗になった葵の顔を見て、彼女は微笑む。


「キミ、名前は?」

「葵。矢吹葵です」

「葵、か……。顔とおんなじように可愛い名前だねっ」

「よく言われます……」

 ここで、葵はようやく微笑んだ。

「やっと笑ってくれたね」

 葵の顔を見て、満足そうに彼女は微笑んだ。

「ねぇ、葵、今から私のお家に来れない?昨日のお礼がしたいの」

 葵は一瞬考えてから、首肯した。叔母に連絡を取る必要があったが、今すぐにということもない。それに、今日は日曜日だ。サービス業に携わっている叔母は、多分今日は仕事だろう。家を訪ねるにも、電話をするにも、もう少し後の方がいいかもしれない。

「行きます」

「良かった。あっ、そういえば……自己紹介がまだだったね。私は、藤堂ひなた。よろしくね」


 彼女ーーひなたの案内で、葵は最寄りの駅へと移動した。この場所が地元ではない葵には、どの電車に乗ればいいのかわからない。そもそも、ひなたの家の最寄り駅が何処にあるのかすらわからない。葵はひなたについて行くしかないのだ。

「はい、これ切符」

 ひなたから切符を受け取って、お礼を口にする。

 普段なら、葵は頑なにお金を渡そうとしたかもしれないが、今日は素直に引いた。持っている所持金は警官の宮島に渡された五千円札だけで、小銭は持っていない。今から五千円を崩してくるのも面倒だし、素直に厚意に甘えることにした。


 電車内では、一言も会話をしなかった。ひなたが、公共の場で会話を躊躇うような性格なのか、それとも気まずさに直面したのかは わからないが、一言も会話をしなかった。ひたすらに降車する駅にたどり着くのを待つ。

 六駅ほど移動した頃、席に座っていたひなたが立ち上がった。葵もそれに合わせて立ち上がる。

  道を歩きながら、葵はひなたの昨日の怪我のことを思い出していた。階段で避難できないほどの怪我だったにも関わらず、今は割と平気そうに見える。


「ここが私の家よ」

 ひなたは一軒家の前で立ち止まった。表札には「藤堂」と書かれている。

「ただいまー!」

 玄関の扉を開け、ひなたは帰宅を告げる。その声に反応して、台所の方から、ひなたによく似た女性が出てきた。

「ひなた、お帰り。足大丈夫だった?あら、その子は?」

 ひなたは、母親からの問いに、少し悩んでから答えた。

「友達だよ。夕食、この子の分も作れる?」

「大丈夫よ」

「じゃぁ、お願いね。葵、二階の私の部屋に行きましょ」

 玄関を上がったところの真っ正面にある階段を上って行くひなたを見ながら、葵はひなたの母親に頭を下げる。

「お邪魔します」


「葵、そこ座ってくれる?」

 ベッドを指差しながらひなたは言う。

 初対面の人が普段使ってるであろうベッドに座るということに若干の抵抗があったが、ベッドの使用者であるひなたが言うのだから従うほかなかった。

 葵が腰を下ろしたすぐ隣に、ひなたも座る。一度息を吐くと、ひなたは口を開いた。

「葵、昨日は、本当にありがとう。月並みな言葉しか言えないけど、昨日あなたが助けてくれなかったら、私はきっと死んでいたわ……。ありがとう、葵。ありがとう……」

 ひなたは立ち上がって、葵に向かい、頭を下げた。


「いや、うん……。無事でよかったよ」

 正面から深く頭を下げられて、逆に困惑した葵はそう言うことしかできなかった。頭の中ではもっと明るいリアクションもシミュレーションしていたりもしていたが、口から出てきたのはこれだけだった。

 ひなたは再び葵の隣へと腰を下ろした。

「家族とは……会えたんだね」

 葵がポツリと、ひなたに言う。

「うん。葵と別れた後、治療の途中にお父さんが迎えに来てくれたの。私がまだホテルの中にいるかもって知った時は、戻るって言って大変だったらしいけど。お母さんが必死になって止めたんだって。探すのなら外にいる人混みを探すべきだ、って言って必死に説得したって」

 それはそうだろう。自分だってホテルの中へ戻り、両親を探そうとしたーーそう言いかけて、やめた。

 その話をしてしまうと、ひなたに気を遣わせてしまうと思ったからだ。せっかく家族と再会できたのに、気持ちを沈ませる必要はない。

「よかった……」

 だから、葵はその一言に留めた。

「ところで葵、さっきはなんであのホテルに居たの?」

「それは……」

 ひなたからの問いに、葵はどう答えようか悩んだ。自分でもどうしてもあのホテルの焼け跡に行こうと思ったのかよくわかっていないのだ。まさか両親を自力で探そうと思っていたわけではない。消防隊員が探して見つけられなかったのに、素人の自分が見つけられると思っていたわけではない。無意識に、行かなければいけない、そんな風に思っていただけだ。


「ひなた、晩御飯できたわよー!」

 その声で、葵は現時刻が午後六時をまわっていることを理解した。

「葵、下に行きましょ」

 階段を降り、一階のリビングへと葵は案内された。食卓には既に料理が並べられている。

 葵達の側から見て手前側に椅子が三つ、奥側に椅子が二つおかれていた。

「あれ、智樹は?」

 ひなたが母親に訊く。

 リビングには、葵とひなた、ひなたの両親の姿しかない。椅子の数は五つ。葵の分が加えられているとしたら、椅子は一つ余る。その余った椅子の主が智樹と呼ばれた人物だろう。

「まだ帰ってきてないわ。部活じゃないかしら?何時に帰ってくるとも聞いてないし、先に食べてましょう。今日は、お客さんも来てるし……」

 ひなたの母親は、葵を見て言う。どうしていいかわからなかった葵は、両親に向かい、軽く会釈した。

「葵は、私の隣に座ってね」

 ひなたは手前側真ん中の椅子に座る。葵はその左隣に座った。葵の対面がひなたの父親、斜向かいがひなたの母親だ。

「さぁ、食べましょうか」

 母親の一言をきっかけに藤堂家の面々は食べ物に箸をつける。葵も遅れながらそれに加わった。


「ただいまー」

 玄関の方から声が聞こえる。数秒後、ひょっこりと男の子が居間に顔を出した。坊主頭だ。

「あれ、姉ちゃんの彼氏?」

 男の子の発言で、場が凍りついた。その主な発生源は葵の対面に座っているひなたの父親だ。

「えーっと……」

「彼氏かどうかは別として、二人はどういう関係なの?」

 ひなたの母親が問う。母親からは、プレッシャーを感じなかった。

「葵はね……昨日の火事で私を助けてくれたの。今日、私あのホテルに行ったんだけど、そこでたまたま、また会って……お礼が言いたいと思ってウチに来てもらったの」


 ひなたのその言葉で、ひなたの父親の箸は止まる。

「そうか……君が、昨日ひなたを助けてくれたという……」

 ひなたの父親は、席を立ち、葵のそばへ寄り目を合わせる。葵も父親にあわせて立ち上がった。

「ありがとう。ありがとう……。気がついたらひなたとはぐれていて……。まさか足を怪我してたなんて。なんとお礼を言ったらいいか……」

 ひなたの父親の目には涙が浮かんでいる。

「娘さんが無事で何よりです……」

「あっ、なるほどね。その人が昨日姉ちゃんを助けたっていう人か」

 場を凍らせたまま何処かへ消えていた男の子が、リビングに戻ってきた。制服から着替えて、部屋着姿だ。

「はじめまして。藤堂智樹です。姉ちゃん……ひなたの弟です」

「はじめまして……あっ」

 そこまで言って、葵は、自己紹介をしていないことを思い出した。智樹と、ひなたの両親のどちらもが視界に入る位置に移動してから改めて挨拶する。

「矢吹葵です。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

 葵の遅すぎる自己紹介を聞いて、最初に反応を示したのは父親の方だった。

「ひなたの父親の藤堂勝です。昨日は本当にありがとう」

「母親の智代です。まだまだ料理ならいっぱいあるからたくさん食べて行ってね」

 勝、智代、智樹。三人の視線がひなたに向く。

「わっ、私はいいよ。さっき自己紹介済ませたし。ねっ、葵?」

「うん」


 一通りの自己紹介を済ませ、食事は再開された。智樹の座る位置は葵の右隣だ。

「しっかし、姉ちゃんも災難だったよなー。たかだか美術の授業で作った作品のせいで、火事に巻き込まれるなんて」

「本当よ。私別に美術部員じゃないのに。行くんじゃなかったわ」

 もう美術で作品提出なんてしないわ、とひなたは言う。

「葵君」

 思い出したように、勝が葵に声をかける。

「君は、どうしてあのホテルへ?」

「……あのホテルの支配人が父親の友人で、この時期になると両親が毎年泊まりに行くんです。今年は僕も一緒に」

 両親の結婚記念日の話はしなかった。気恥ずかしかったから。

「そうだったのか。ご両親、怪我とかなかったかい?」

 勝の何気ない一言に、葵よりも敏感に反応したのはひなただった。心配そうに葵の方を見る。

「両親、行方不明なんです」

 嘘を言うわけにもいかず、葵は真実を話した。ひなた以外の三人の目が、驚愕に染まる。

「そうだったのか……。無神経にいろいろ訊いてしまって……申し訳ない」

「いえ、大丈夫です……」

 食卓に再び気まずい空気が流れる。そんな空気を破ったのは、ひなたの一言だった。

「葵、これからどうするつもり?」

 その問いが、葵のこれからの生活を示していることは、この場にいる皆すぐにわかった。

「……一人で暮らして行こうと思ってる。叔母さんがいるんだけど、結婚が近いんだ。だからさ、このタイミングで甥っ子の面倒をみなくちゃいけなくなった、ってなったら厄介なことになるから」

 色々あった後、ようやくまとまった結婚なのだ。葵としては、邪魔はしたくなかった。


「葵、なら……私の家で一緒に暮らさない?」


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