投げと先生と勝敗
「やっぱり、勝てなかったぁ! 恐るべし空……」
空を真っ直ぐ指差しながら、新羅は悔しそうに左の拳を固くした。
今回の野球は3対0で空のいる庵チームが勝った。
決して新羅のチームが弱かったわけではない。むしろ普段なら庵チームより強いだろう。
だが、その中に空が入ることで一気に立場が逆転してしまうのだ。
なぜか……。それは空が『投げることが得意』だからだ。いや、得意という言葉では足りない。
天才、『投げることの天才』が正しいだろう。
中学3年生にして、158kmもの剛速球を投げることができ、寸分の狂いもなく狙ったところへ投げられる……。
これを天才以外にどう例えればよいのだ。神か? はたまた悪魔か?
どうでもいいが、彼曰くボウリングは転がすの分類に入るらしく、そこまで得意ではないらしい。
だがそんなことは問題ではない。むしろ関係ないのだ。
なんせ彼は野球部であり、豪腕ピッチャーとしてスポーツ雑誌にもよく取り上げられているからだ。
打つのと走るのは人並みだが、それ以上に投げることがすさまじいのだ。
「次は俺たちのチームに入ってくれるよな」
まだ悔しそうな新羅が空の肩に手をまわす。空はそれを快く引き受け、庵に許可を求めた。
「まあ、公平にするためにはそれがいいな。うん、じゃあいいよ」
大きく腕を伸ばし両手の親指を立てた。その顔には勝ったことの喜びが満ち満ちている。
「さてと、じゃあ終わりの挨拶しようぜ」
空と肩を組んだまま、庵に挨拶の催促をする。
だがその庵は親指を立てていた両手を下げて小さくため息をつき、催促に対しこう言った。
「そうしたいのは山々なんだけどさ、あれ見てよ」
大げさに肩を落としながら示した先には、横になっている二つの影があった。
「ま、さか……」
「またなんだね」
「そう、今回もだよ」
苦笑いを浮かべる新羅、妙に落ち着いている空、首を振る庵。
その光景はすぐに他のクラスメイトにも見つけられ、思い思いの反応を示したが、最終的には皆呆れてしまった。
「……空、お願いするよ」
庵に肩を叩かれ、新羅は肩を組んでいた手をそっと離して、空の行く方向を見据えた。
「任せといてっ!」
笑顔で答えると、横になっている影のところへ小走りで行き、一応顔を確認した。
「間違いない……ね」
確信を持った空は――否、最初から持っていたであろうが――横になっている親友の耳元に口を近づけ、あの時のようにある人物名を囁いた。
「はっ! どこに、どこにあの人はいるんだ! 空!」
寝起きとは思えないほどの俊敏さで空の両肩をがっちりつかむと、バイブレーションのように小刻みに空の肩を揺すった。
「お、落ち着いてよ瑞高。うぅ……キモチワルイ」
運動終わりの身体に振動を受け、見る見るうちに顔が青くなる。
「ん? ああ。すまんな空」
我に返った瑞高は肩から手を離し、そのまま大きく欠伸をした。
「あれ? ってか授業は終わったのか?」
状況が飲み込めていない瑞高は真面目な顔をして聞いた。
顔色が元に戻った空はしばらく沈黙し、こう答えた。
「……瑞高」
「何だ?」
「やっぱり、保健室で寝ようか」
「そうか……、そう言ってくれるとは、さすが親友だな」
呆れられていることに気づいていない瑞高は、眠そうな顔のまま空を褒めた。
そしてまた欠伸をして、ゆっくり保健室に向かって歩いていった。
空はフラフラしている瑞高を追いかけようとしたが立ち止まり、振り向いてこう言い残した。
「じゃあみんな。いつもの通り、お願いするよ」
いつの間にか周りに集まっていたクラスメイトに軽く頼み、瑞高を再び追いかけていった。
頼まれた周りは仕方が無いという――だが、どこか楽しそうな――顔で承諾し、先生の一歩手前まで進んだ。
「さてさて、みなさん。お手を拝借!」
庵が掛け声をかけると、全員が拍子を打つ構えをした。
「よぉーっ!」
大きな拍手と共に、新羅が叫んだ。
「後藤田先生! 起きてください! 授業はもう終わりましたよ!」
「う……ん? あれ。一体何が……」
最初は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、自分の周りを囲んでいる生徒を見て、少しずつ状況を理解してきたようだ。
「あ、まさか。また……だったのですね」
「そうです。また、です」
庵がジェスチャーを交え肯定する。
「…………」
「気をつけ。後藤田先生、ありがとうございました」
始めの挨拶と同じように締めくくり、騒ぎながら教室へ戻っていき、その場には後藤田一人だけ残った。
そして、感情がこもったため息をし、少し俯きながら職員室へ向かって歩き出した。
なぜか今回も誰一人として、先生や瑞高を揺すって起こそうとはしなかった。
今回も野球の話が出ていますが、僕はあまり詳しくないので
気分が悪くなった方は、申し訳ありません。