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第86話 最深部へ降りる階段
石段を、いくつ降りただろう。数えようとしたが、すぐに分からなくなった。降りても、降りても、段は尽きない。一段踏みしめるごとに、濡れた石の表面に、誰のものとも知れぬ言葉が滲み出しては、足が離れると同時に、ほどけて消えていく。まだ戻れる、と読めた段もあった。これが運命、と。引き返せ、と。ようこそ、と。けれど、どれが何段目だったのか、もう、思い出せなかった。
階段の降り口には、二人の足跡が水で濡れたまま残っていた。その足跡は、迷うことなく前へ進んでいる。
「翔太君……私、怖くない」
香織が、翔太を見上げた。
「もう、人間には戻れないかもしれない。でも……」
「僕もだ」翔太が、彼女の言葉を引き取る。「君の中に流れている水が、僕の中にも流れてる。亮介大叔父さんの魂が、僕を呼んでる」
香織と翔太は、もはや巫女と犠牲者ではなかった。互いの記憶も、血も、水も、混じり合って流れている。過去の誰とも違う二人として、彼らはここに立っていた。
最後の段には、文字がなかった。代わりに、深い溝が一本。これから刻まれる言葉のための、空白だった。
階段を降りきると、黒い石の巨大な扉が待っていた。表面には、水時計の精密な図面が彫り込まれている。触れた瞬間、扉は音もなく開いた。抵抗もなく。まるで、ずっと二人を待っていたかのように。




