表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/42

第7話 ポーラは陛下の夜の妻

 足を止めたランナは金縛りにでもあったかのように暗闇の廊下の真ん中で立ち尽くしている。

 その金色の目線の先には、壁に背をつけて立ち視線を突き刺してくる漆黒の男。ラフな黒いシャツのボタンはいくつか外れていて喉元と鎖骨の肌が露出している。

 彼の黒い前髪は乱れて水気を含んでいる。湯上がりか、激しい運動後の汗にも見える。男性なのに今のヨルは『妖艶』という言葉が相応しい。

 ヨルは壁から離れると、素早い手つきでランナの片腕を掴んで強く引き寄せる。


「あっ……!?」


 ランナの体はバランスを崩すが、倒れる前に背中は窓側の壁に押し付けられていた。ヨルはランナの体を挟む形で両手を壁について逃げ道を塞ぐ。

 鼻先が触れそうなほどの至近距離で、漆黒のヨルは金色のランナを見定めるようにして視線を移動させる。


「なるほど、ヒルが選びそうな女だな。……だが」


 ヨルは片腕を壁から離すと、その手でランナの顎を掴んで固定する。ここでようやくランナの意識が働いて心と体が動きだす。

 しかしヨルの腕の力は強くて、両手で掴んで押し返そうとしても全く動かす事ができない。そしてヨルは瞳を交わすように唇を交えようと近付く。


「貴様は必ずオレを選ぶ」


 唇が触れる直前に囁かれたその言葉の意味が分からない。純粋に口説き文句だとしたら、ランナはヒルの呪いにかかっていないと見透かされている。

 危機的状況ではあるが、こんな時でも聖女の能力が無意識に働く。ヨルの腕を掴んだランナの両手から伝わり、脳内に流れてくる情報で一瞬だけ意識が飛ばされる。

 それはヨルの生気の色と性質の情報だが、混沌とした複数の色が混ざりあい暗雲のように不気味に蠢いている。


(ヒルくんの生気の色とは全く違う……!)


 ヒルとヨルは同じ体なのに、人格が変わると生気も変わる。まるで別の生命体のように。複数の色が重なる様はヒルと同じだが、ヨルの色の方は黒味が強く禍々しい。


(この人はヒルくんじゃない!)


 意識が現実に戻ったランナは確信する。同時に顔を背けてヨルの口付けと呪縛から逃れようとする意思を見せる。


「やっ!! やめて……!!」

「貴様はオレに会いにきたのだろう?」

「ちがう、夜這いみたいに言わないでよ! 私はポーラ姉さんに会いたいの!!」


 気付けば無意識に声を振り絞って大声を上げていた。ここまで必死に抵抗している自分自身に驚いてしまう。

 それはヒルの妃だからとか浮気になるとか、そういう理屈の通った感情とは何かが違う。

 そもそもランナはすでにヒルとキスをしている。同一人物で同体だが、別人格とキスをする事は『体の浮気』なのだろうか……そんな背徳的な疑問も生まれる。

 ただ、『オレだけを愛せ』と真っ直ぐに告げた、あの時のヒルの瞳と言葉がランナを突き動かした。


「ふっ……いいだろう」


 ヨルは僅かに口角を上げるとランナから離れた。解放されたランナはそのまま逃げ帰ろうかとも考えたが、なぜか背中を向けたヨルから目が離せない。

 その漆黒の背中は、壁側の反対側に位置する扉の前で止まった。薄暗くてよく見えないが、その扉の繊細で優美な装飾は芸術品のようで目を見張る。


「ここがオレの部屋だ。ポーラに会うといい」


 ヨルは少しだけ扉を開けると中には入らずに横に移動してランナに道を開ける。恐怖よりも何よりもポーラの様子が心配なランナはゆっくりと扉の中へと入る。

 廊下以上に薄暗い室内は、数カ所の壁に掛けられたランプのみで照らされている。不気味というよりは怪しい雰囲気であった。

 間取りはヒルの部屋と同じ。リビングにはポーラの姿がないので、奥の寝室へと進む。部屋の中央にはキングサイズのベッド、その上に横たわる毛布の膨らみが見えた。


「姉さん、起きてる……?」


 ランナはベッドに近付きながら小声で呼びかけてみる。返事の代わりに毛布が動き出したのでポーラは起きている事が分かった。

 その毛布の中から這い出るようにしてポーラが顔を出して起き上がる。捲り上げられた毛布はポーラの両肩に引っかかると滑り落ちていく。


「姉さ……」


 ランナの瞳がポーラの全身を映した瞬間に言葉が途切れる。薄暗い闇の中、ランプの光を受けて浮かび上がるのはポーラの全身の肌の色。

 ポーラは服を纏っていない。艶やかに濡れた長い黒髪は乱れて頬に張り付いている。光の宿らない闇色の瞳は虚ろでランナを映してはいない。


「あ、あ……」


 ランナは恐ろしいものを見たかのように声と呼吸を詰まらせながら数歩後ろへと下がる。

 そういう行為の経験がないランナでも分かる。姉の変わり果てた姿を見て、これがどういう状況なのかを嫌でも理解してしまう。

 ヨルの濡れた前髪を思い出したランナは、思わず両手で自分の口を覆って荒い呼吸を飲み込む。

 顔面蒼白に近いランナに向かって、ベッドの上に座る暗黒のポーラは妖艶に微笑んで追い打ちをかける。


「ランナ……見て。私、ヨル様に愛されて幸せよ」


 目の前のポーラはもう以前の姉ではない。指輪の呪いで正気ではないのだと理解しているはずなのに、見せつけられた現実に感情が追いつかない。

 ランナの衝撃と心に渦巻く不快感は、ポーラとヨルの行為そのものに対してではない。ヨルの唇も身体もヒルと同体なのだという背徳的な事実。

 現実から目を背けるようにしてランナは身体を反転させて駆け出すが、すぐに行く手を阻まれて足が止まる。寝室のドアの前にはヨルが立っていた。


「来い。貴様も愛してやる」


 ヨルが何を言っているのか分からない。闇の中で鈍く光る赤い瞳には感情も愛の色も見えない。

 ただ、ヨルはポーラだけでなくランナも手に入れようとしているのは分かる。


「なんで、私を……?」

「アサとヒルを殺すには貴様も必要だ」


 それは愛ではなく利用価値だった。ランナは迫り来るヨルから逃げようと後ずさるが、後方にはベッドがあり、そしてポーラがいる。

 ランナの視線は正面のヨルにあるが、一歩後ろへ下がるたびに後方から語りかけてくるポーラの声が神経を刺激して足を震わせる。


「ふふ、ランナも一緒にヨル様に愛されましょう……」


 それがポーラの口から紡がれた言葉だと認めたくない。呪いに支配されたポーラはヨルの愛の奴隷となり服従しているだけで、そこに理屈や感情は存在しない。

 ランナはポーラの今の姿を自分に重ねる。もし自分もヒルの呪いにかかっていたらと思うと恐ろしくて、ポーラから目を背けてしまう。

 おそらく妖艶に微笑んでいるポーラと目を合わすのが怖くて、でも前方の冷酷なヨルとも目を合わせたくない。ランナは顔を伏せて左手を右手で強く握りしめる。


(ヒルくん……私、どうしたらいいの? 助けて……!)


 昼人格のヒルが助けに来る事はない。それでも左手の金色の指輪だけがヒルとの繋がり。ヨルに詰め寄られて、すぐ前に気配を感じた、その時。

 背中側でも正面でもない、どこからか全く別の存在の気配を感じた。それはランナとヒルの横から二人の間に素早く入り込んできた。

 それが誰かを認識するよりも早くランナの身体が感じたのは浮遊感、次に疾走感へと変わり目の前の景色が一瞬で変わる。


(えっ……カレンさん?)


 ランナをお姫様抱っこして走るのはメイドのカレンだった。ヨルの体を避けて部屋を出ると、廊下へと出てヒルの城の方向へと走り続ける。

 カレンはメイド服を着てはいるが、やはりメイドとは思えない。素早い身のこなしだけでなく夜目が利くのか、暗闇を恐れる事も足取りが迷う事もない。

 ヒルのお姫様抱っこの時の何倍ものスピードでカレンはヒルの城、そしてヒルの自室へと辿り着いた。

 リビングでようやく床に下ろされると、ランナは今までの恐怖を忘れてカレンと向かい合う。


「カレンさん、私を助けてくれたの……?」


 そうであれば、夜だからと言ってカレンはヨルの味方という訳ではなさそうだ。

 ランナを抱きかかえて走ったのにカレンは少しも息を切らしていない。感情のない漆黒の瞳で真っ直ぐにランナの金の瞳を見据える。


「私は中立を守っただけでございます」


 肯定とも否定とも取れる曖昧な言葉。カレンはランナを守るためではなく、自分の信念を守るために動いている。

 しかしメイドがヨルの前からランナを連れ去るなんて、身の程知らずではないかと心配になる。


「カレンさん……あっ……」


 ランナはまだ何かを言おうとしたが、急に膝に力が入らなくなって倒れそうになる。咄嗟にカレンが再びランナを抱きかかえてベッドへと運ぶ。


「大丈夫です。眠れば朝が来ます。安心しておやすみください」


 少し微笑んだ気がしたカレンの目元は優しさを含んでいるようで安心を与えてくれる。

 カレンはランナが眠りにつくまで、ずっとベッドの横で何も言わずに見守っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ