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第3話 アサとヒルとヨルのヴァクト

 ポーラにヨルの診察を任せて、ランナは自室へと戻った。それからリビングで何があったのかは知らない。

 ランナは昼12時から夕方5時まで、ポーラは夕方5時から夜10時までの診察を担当。途中で休憩を挟むが、二人は毎日5時間ずつ働いている。

 夜10時を過ぎたので、ランナは自室から診察室として使っているリビングへと移動する。


「姉さん、お疲れ様。夜食作るね」


 ランナはテーブルに座っているポーラの背中に向かって声をかけるが反応が返ってこない。

 不思議に思ってテーブルの正面に回ってみると、ポーラは呆然と自分の左手を見つめている。


「ポーラ姉さん、どうしたの……」


 ランナもポーラの左手に視線を合わせると、その薬指には漆黒の指輪がはめられていた。

 その指輪を目にした瞬間にランナの心臓が不穏に振動する。思わずポーラの左手の手首を強く掴んで引き寄せる。


「その指輪、どうしたの!? 誰からもらったの!?」

「……ヨル様」


 ポーラはランナの方を見向きもせずに、漆黒の指輪を見つめながら独り言のように呟く。その黒い瞳には光も感情も宿っていない。

 テーブルを挟んで正面に立つランナは、今度はポーラの横に移動する。そしてポーラの両肩を掴んで強引に自分の方に向かせた。


「姉さん、何かおかしいよ! しっかりして! それも呪いの指輪なの?」

「呪いじゃない。愛の指輪よ……私はヨル様と結婚するの」

「な、何言ってるの……」

「もうすぐヨル様が迎えにくるわ。ランナも一緒に行きましょう……」


 感情のない虚ろな瞳で語り続けるポーラが怖くなったランナは手を離すと一歩後ろへ下がる。

 ポーラは普段からクールで口調も表情も穏やかではあるが、明らかに様子がおかしい。それこそ魔法か呪いにかかって人格が変わってしまったかのように。

 その瞬間、ランナは自分の左手の指輪の存在を思い出した。ヒルからもらった指輪は明るい金色だが、ヨルからもらったというポーラの指輪は禍々しい闇色。

 どちらも呪いの指輪かもしれないが、ランナには異変がない。


「姉さん、その指輪、外して!!」


 ランナは再びポーラの左手を掴むと、強引に指輪を引き抜こうとする。

 しかしランナの金の指輪と同じで、ポーラの黒の指輪も全く動かない。どんなに強く引っ張っても外せない。


「ランナ、やめて! やめてっ!!」

「きゃっ……!?」


 ポーラは左手を守るように引くと、もう片手でランナの体を突き飛ばした。その勢いでランナは後方に倒れて床に尻餅をつく形になった。

 穏やかなポーラが本気で人を突き飛ばすなんて初めてで、その衝撃でランナは体の痛みよりも心が痛く震える。


「姉さん……」

「あ、ごめんなさい……私、ちょっと疲れたみたい……もう寝るわ」


 ポーラは少し正気を取り戻したのか、申し訳なさそうに目を伏せると背を向けて奥の部屋へと向かっていく。

 床に座ったままリビングに残されたランナは、ゆっくりと立ち上がる。リビングと繋がっている小さなキッチンの前へと行くと、深呼吸をして心を落ち着かせる。


(姉さん……本当に疲れているだけ? それに、この指輪……)


 ランナは改めて自分の左手の金色の指輪を見るが、相変わらず黄金の煌めきが瞳に映るだけ。

 何にしてもポーラは5時間働いた後なので何も食べずに寝る方が心配だと思う。ランナは患者から診察代としてもらった野菜を使ってスープを作り始める。

 きっとポーラはまだ寝ないと思うので、食事を寝室まで持って行こうと思った。




 次の日の朝。薬師の姉妹はいつも7時くらいに起床する。

 寝間着から白いワンピースに着替えたランナが寝室を出てリビングに行くと、そこには同じ服装、いつもの顔をしたポーラがキッチンに立っていた。

 薬師としての診療は昼の12時から開始で、それまでは二人で洗濯や掃除などの家事を行う。

 ランナは、キッチンで朝食のパンを切るポーラの手元ではなく顔色を覗き込む。


「姉さん、大丈夫……?」


 心配そうに問いかけると、ポーラは手を止めていつもの微笑みを返す。


「ごめんなさい。昨日の事、あまり覚えてなくて。やっぱり疲れてるのかしら」


 ポーラは左手で自分の頬に触れながら首を傾げるが、その薬指には暗黒の指輪がはめられている。ランナの黄金の指輪と比べると禍々しく見えてしまう。

 ランナは昨晩、自分の指輪を外そうとして腕力も聖力も使って奮闘したが効果がなかった。やはり物理的な問題ではなく呪いの類だと思われる。


(姉さんが変になったのも、絶対にこの指輪のせいよ! ヒル様もヨル様も何者なの!?)


 ランナはそう思うが、今はそれを声に出してポーラを刺激したくない。ヒルは『また来る』と言っていたので、その時に問い詰めるしかない。

 それに昨晩のポーラの発言を聞く限りではヨルも再び来るらしいが、どちらが先に来るのかは分からない。

 その時、玄関のドアの外から呼び鈴が鳴り響いてきた。古びた木造の家ではあるが、狭いリビングは玄関と繋がっているので来客に気付きやすい。


「こんな朝早くに誰だろう? 私が出るね!」


 ランナが玄関まで駆け寄って鍵を開ける。そしてドアを開けると、目の前に立っていたのは見知らぬ男性。見た目は20代前半くらいだろうか。

 この街の患者なら大抵は顔見知りだが、その男はどう見ても貴族。ウエストコートもその上に羽織っているコートも白、さらに銀髪。瞳だけは差し色のように赤い。

 何者かという疑問よりも先に、神々しいとまで思える純白の輝きと美しさに目を奪われて息を呑む。しかしハッと我に返る。


「あ、診察は12時からです。申し訳ありませんが、また後ほど来て……」

「おはようございます。清々しい朝ですね」


 男性は、まさに朝日のように眩しく清々しい笑顔で挨拶をしてきた。庶民に敬語を使うとは紳士的な貴族だが、その微笑みの視線の先はランナの顔ではなく左手の薬指。

 ランナはその視線を不思議に思ったが、男性が帰ろうとしないので今度は眉を下げて困った顔をしてみる。


「どちら様でしょうか? 何か御用でしょうか」

「はい、用があります。この家にはもう一人女性がいませんか?」

「ポーラ姉さんに御用ですか? 失礼しました、私は妹のランナです」


 ランナが振り返ってリビングを見ると、ポーラはテーブルの上にトーストを乗せた皿を置いていた。


「姉さーん! お客様!」


 狭いリビングなのでランナの声はすぐにポーラの耳に届いた。ポーラがすぐに急ぎ足で玄関に来るが、ドアの外に立つ男性の姿を見ると怪訝な顔をする。


「えっと……どちら様ですか?」

「え? 姉さんの知り合いじゃないの?」


 ランナが横のポーラに顔を向けた瞬間、男性は玄関の中にまで進んでポーラの左手の手首を掴み上げる。その薬指にはめられた黒い指輪を確認すると、すぐに手を離した。


「きゃっ……何ですか?」

「失礼しました」


 男性は軽く一礼するとすぐに顔を上げる。ランナは改めて男性の顔を見るが、初対面なのに既視感がある。彼から感じる生気にも。

 こんな辺境の街の薬師の元に、立て続けに貴族が三人も訪問してくるのは偶然とは思えない。おそらくこの男性も……そんな予想が頭をよぎる。

 その予想に応えるかのように男性は再び一礼をしてから天使のような微笑みを姉妹に向ける。


「申し遅れました。僕の名前はアサ・ヴァクトです」

「アサ……ヴァクト様?」


 ランナは呆然とその名を復唱する。これで『ヴァクト』を名乗る貴族の男は三人目。

 三人のヴァクトは髪の色も性格も全く違うが、見た目の年齢は同じくらいで特徴的な赤い瞳は共通している。三人のヴァクトは兄弟かもしれない。

 疑問を浮かべる姉妹の表情を見たアサからは笑顔が消えて、ため息をついた。


「残念ですよ。国王の名前をご存知ないなんて」


 そう言いながら、アサは数歩下がって玄関の外に出た。すると入れ替わるようにして次々と武装した兵士が家の中へと入ってきた。

 身構える間もなく、ランナとポーラは兵士によって拘束されて家の外へと連れ出される。急に視界に飛び込んできた朝日で目が眩むほどに一瞬の出来事だった。

 家の外にはアサが乗ってきた馬車が停車していて、その周囲には10騎ほどの騎兵が控えている。

 兵士に挟まれて両腕を掴まれているランナは、自由の利かない身で正面に立っているアサに向かって叫ぶ。


「アサ様、あなたは一体!? 私たちをどうするの!?」


 アサはまるで見物客のように腕を組んで涼しい顔をして微笑んでいる。


「僕はジョルノ国王ヴァクトです。あなたたち姉妹を逮捕・連行します」

「なんで……私たちが何をしたっていうの!?」

「僕を殺そうとした罪です」


 アサが何を言っているのか分からない。確かにこの国、ジョルノ国の王の名はヴァクトという名前だと聞いた。

 もし、それが真実で目の前の男が国王だとしても、ランナとポーラには立たされている状況と真実が見えてこない。


 だが、この時のランナとポーラは最も驚くべき真実を知らなかった。

 朝に出会った紳士なヴァクト、昼に出会った陽気なヴァクト、夜に出会った冷酷なヴァクト。

 銀髪のアサ、金髪のヒル、黒髪のヨル。赤い瞳を持つ三人のヴァクトは全て『同一人物』であるという事実に。

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