表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神獣の在るべき姿は〜不遇の王子に懐いたら、とことん溺愛されました〜  作者: 白凪珠希


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/19

4_不思議な感覚

 胸の奥が強く鳴る。

 それが自分の名前だと、胸の奥ではっきりと理解していた。


 アルディスの瞳を見上げる。


 仮面の奥にある紫の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめていた。逃げることも、視線を逸らすこともできない。

 まるで何かに引き寄せられるように、イグニアはその瞳を見つめ返していた。


 やがてアルディスが小さく息を吐く。


「……変な猫だな」


 ぽつりと呟く。


「名前を呼んだだけで、そんな顔をするのか」


 その声に、はっと我に返った。

 猫扱い。

 そうだ。自分は今、ただの猫だと思われている。イグニアは思わず鳴いた。


「ニァ」


 アルディスが一瞬だけ目を見開く。


「……返事をしたのか?」


 イグニアはもう一度鳴く。


「ニァ」


 アルディスの目尻が、ほんのわずかに下がった。

 それは笑ったと言っていいほどの、小さな変化だった。


「そうか」


 指先が、イグニアの頭をそっと撫でる。


「イグニアか」


 名前を確かめるように呟く。


「気に入ったか?」


 イグニアはまた鳴いた。


「ニァ」


「そうか」


 アルディスは静かに頷く。

 そして、イグニアを軽く抱え直した。


(……それにしても)


 神殿の奥にあるこの部屋は、ひどく静かだった。壁は白い石で出来ているが、装飾はほとんどない。小さな机と椅子、粗末な棚があるだけだ。

 王子が使うような部屋とは思えないほど質素だった。


 イグニアは改めて周囲を見回して思う。


(……こんなとこが、王子が使う部屋? ここの神殿はそんなに困窮してるの?)


 アルディスはイグニアの背を撫でながら、ぽつりと言った。


「つまらない部屋だろう」


 まるで心を読んだかのようだった。


「王子の為に用意された部屋とは思えない」


 呆れたようにアルディスは苦笑する。


「まあ、慣れた」


 その言葉は、あまりにもあっさりしていた。そして同時に、この部屋がアルディスに敢えて用意された部屋だとイグニアは気付く。


(慣れたって……一国の王子がこんな扱い……)


 いくら神殿とはいえ、王子にこんな不当な扱いをするなど本来ならばあり得ない事だ。それなのに目の前の王子は、そのあり得ない事が当然かのように気にも止めていない。

 イグニアの胸の奥が、少しだけ痛む。アルディスは続ける。


「この神殿には、人が多い」


 窓の方をちらりと見る。


「だが、ここにはあまり来ない」


 指がゆっくりと背中を撫でる。


「だから気楽だ」


 少し間を置いて、アルディスは言った。


「猫と話していても、誰も見ない」


 イグニアは耳をぴくりと動かす。


(……この人)


 やはり、孤独なのだ。

 アルディスはイグニアの顎を軽く指で持ち上げた。


「しかし、お前は変な猫だ」


 紫の瞳が近づく。


「逃げない」


 普通の猫なら、もうとっくに逃げている距離だった。


 イグニアはその瞳を見つめ返す。


「怖くないのか」


 その声は静かだった。


 イグニアは答えるように鳴いた。


「ニァ」


 アルディスは少しだけ笑う。


「そうか」


 その笑みは、先ほど兵士と話していた時の顔とはまるで違っていた。


 柔らかい。

 そして、どこか少し寂しそうでもあった。

 アルディスは背もたれに身体を預ける。イグニアは自然と彼の胸に身体を寄せた。アルディスが少し驚いた顔をする。


「どうした」


 イグニアはまた鳴く。


「ニァ」


 アルディスはふっと息を吐いた。


「慰めてくれるのか」


 その言葉は冗談のようだったが、どこか本気にも聞こえた。

 指先が、イグニアの耳の後ろをくすぐる。


「……優しい猫だな」


 イグニアの胸がじんわりと温かくなる。


 アルディスは窓の外を見た。


「レグナスは今頃、神獣と祝福の儀か」


 その声にはほとんど感情がない。

 ただ事実を言っているだけのようだった。


 だが、どこか遠い。


「神獣、か」


 小さく呟く。


「どんな奴なんだろうな」


 イグニアの心臓がどきりと跳ねる。

 アルディスは続ける。


「……本当にレグナスを選ぶとはな」


 少し考えてから、言った。


「もちろん、選ばれないとはわかっていたが……」


 その声は静かだった。

 まるで、自分には関係のない話をしているように。イグニアは思わず、アルディスの胸に身体を押しつけた。


 ふわりと毛が触れる。


 アルディスが少し驚く。


「……どうした」


 イグニアは鳴いた。


「ニィ」


 アルディスは小さく笑う。


「そうか」


 そして、ゆっくりと言った。


「お前がいてくれるなら」


 静かな声だった。


「この部屋も、少しは悪くない」


 イグニアの胸の奥が、じんわりと熱くなる。


 ──……どうして、こんな気持ちになるんだろう。


 不思議な感覚だ。

 アルディスの声が、手の温もりが、眼差しが全て安心する。このままここで眠りにつきたいほどに。


 その時だった。

 廊下の奥で、遠く足音が響いた。アルディスの表情が変わる。先ほどまでの柔らかな空気が、一瞬で消えた。

 アルディスはイグニアを胸に抱き寄せ、小さく囁いた。


「静かにしていろ」


 低い声だった。


「面倒なのが来たようだ」


 イグニアは腕の中で小さく丸くなる。

 だが胸の奥では、別の感情が芽生えていた。


(……この人を守りたい)


 理由はわからない。

 だが、その気持ちは確かだった。

 アルディスは扉を見つめながら小さく息を吐く。


「さて」


 静かな声だった。


「顔を出すなよ。ここに入ってろ」


 少し強引にアルディスの胸元にすっぽりと収められ、イグニアは目を丸くする。


「わざわざ向こうから来てくれたようだ。せっかくだ、神獣様の姿を拝ませてもらおうか」


 アルディスは微かに笑った。

 だが仮面に触れた指が離れたとき、その瞳には一片の温度も残っていなかった。


 扉の向こうから、多くの足音が近づいてくる。

重く、どこか張り詰めた気配を伴ったそれは、やがて扉の前でぴたりと止まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ