表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神獣の在るべき姿は〜不遇の王子に懐いたら、とことん溺愛されました〜  作者: 白凪珠希


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/19

16_王


 アルディスの紫の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。


 仮面の奥に沈んでいたはずのその眼差しは、いつものように冷えきってはいなかった。鋭さの中に、戸惑いにも似た色が混じっている。目の前の相手を敵か味方か見極めようとしているのに、どこか確かめるようでもある――そんな、不思議な光だった。


(……見てる)


 イグニアの胸が、どくりと大きく鳴る。


(どうしよう)


 なのに、自分も目を逸らせない。


 戦場の喧騒は戻り始めていた。どこかで兵士が叫び、別の場所では断末魔が上がる。だが、耳に入ってくるそれらがどこか遠い。

 アルディスの瞳だけが、妙にはっきりと見えた。


(でも……よかった)


 心の中で、ふいにそんな言葉が零れた。


(無事で)


 それは驚くほど自然に出てきた言葉で、自分でも一瞬遅れて意味を理解する。


(いや、違う)


 慌てて打ち消そうとして、その時になってようやく気がついた。


 視界が、やけにはっきりしている。


 いつもなら、兜の狭い覗き穴越しに見えていたはずの戦場が、今は端までよく見える。風が、直接頬に当たっている。血と煙の匂いも、金属越しではなく、むき出しの肌にまとわりつくようだった。


(……あ)


 時間が止まったみたいに、思考が一拍遅れる。


(そうだ……兜、弾かれて……)


 そして、次の瞬間。


(というか! 顔、しっかり見られてしまった‼︎)


 頭の中で叫ぶ。


 イグニアは思わず一歩引きそうになった。

 返り血が頬に貼りつく感覚が、やけに生々しい。髪もほどけてしまっている。馬でここまで来た時から、せっかく顔が分からないように装っていたのに、全部台無しだ。


(どうする、どうする⁉︎)


 せめて今すぐ顔を隠したい。

 だが、そんな隙などあるはずもなかった。

 周囲の空気が、先ほどとは別の意味で変わったのを、イグニアは肌で感じ取る。


 ざわり、と。

 殺気が動く。


 統率を失ったはずの魔獣たちが、二人のあいだに生まれた一瞬の静寂を嗅ぎつけたように、近くから一斉に身を翻したのだ。


「……っ!」


 アルディスの顔つきが変わる。

 ほとんど同時に、イグニアも剣を構え直した。

 右から一体、左から二体。さらに正面の屍の陰から、腹を裂かれながらもまだ生きていた魔獣が這いずってくる。

 イグニアは舌打ちしそうになるのを堪えた。


(最悪の間だな!)


 だが――


 魔獣が飛びかかる、その瞬間だった。


 アルディスが半歩だけ後ろへ下がる。

 ほんのわずかな動きだった。だが、その一歩で正面の死角が開く。

 考えるより先に、イグニアの身体はそこへ踏み込んでいた。

 剣を斜めに振り抜く。

 前に出た一体の前脚が断ち切られ、地を転がった。咆哮を上げる暇もなく体勢を崩したその横を、アルディスの刃が走る。喉を深く裂かれた魔獣が血を噴き上げて倒れた。


(……今の)


 息が合った。

 偶然かもしれない。

 だが、そう思うにはあまりにも滑らかだった。

 右側から迫った二体目が、長い尾を薙ぐように振るってくる。イグニアは身を低くして避け、そのまま尾の下をくぐり抜けた。振り返りざまに斬り上げようとするが、一瞬遅い。

 その隙を埋めるように、アルディスの剣が横から割り込んだ。

 重い金属音。

 尾の動きが逸れ、そのわずかな乱れをイグニアが拾う。

 勢いよく踏み込み、魔獣の懐へ入ると、胸を深く刺し貫く。

 黒い体液が飛び散り、甲冑と頬を汚した。

 魔獣の重みが剣に乗る。引き抜こうとした瞬間、今度は背後に気配を感じた。


「伏せろ」


 低い声が飛ぶ。

 短く、命令のようでいて、躊躇がない。

 イグニアは反射的に身を沈めた。

 次の瞬間、頭上をアルディスの刃が薙ぎ払う。背後から飛びかかってきた魔獣の顎が半ばから裂け、その身体が横倒しに吹き飛んでいった。


 砂塵が舞う。

 イグニアは膝をついたまま、思わず息を呑んだ。


(……助けられた)


 その事実が遅れて胸を打つ。

 アルディスが、こちらを一瞥する。


「立てるか」

「……っ」


 一瞬、返事に詰まる。

 イグニアは無言のまま立ち上がり、短く頷いた。

 アルディスの瞳がわずかに細まる。

 だが、それ以上は問わない。


「来るぞ」


 その言葉と同時に、三体の魔獣が前方の火煙の中から躍り出た。

 もはや統率はない。

 だからこそ厄介だった。予測不能に暴れ、無差別に噛みつき、爪を振るう。ただの獣の狂気が、かえって動きを読みにくくしている。

 イグニアは剣を握り直す。

 アルディスが一歩前に出る。

 それを見て、イグニアもほとんど同時に逆側へ回った。


 左右から挟む形。


 打ち合わせなど何もしていない。それでも、その位置が自然に選ばれていた。


(……なんで)


 自分でも不思議だった。


(こんなに、やりやすいんだ)


 前へ出るタイミングも、退く間も、なぜか分かる。

 アルディスの剣がどこへ向かうのか、その気配だけで察せる。

 アルディスもまた、イグニアの動きに無駄な驚きを見せなかった。初めからそこにいた味方であるかのように、呼吸を合わせてくる。

 最初の一体が、アルディスへ牙を剥いて飛びかかる。

 アルディスは受けず、半歩斜めに身をずらした。

 露わになった脇腹へ、イグニアが踏み込む。

 剣を深く突き立てると、魔獣は苦鳴を上げながら転がった。


 だが、そのまま終わらない。


 二体目が、今度はイグニアへと爪を振り下ろす。

 避けきれない、そう判断した瞬間だった。

 横から飛んできたアルディスの剣が、その爪の軌道を逸らした。火花が散る。重い金属音が手元まで響く。

 イグニアはその勢いを借りるように身体を捻り、返しの一撃で魔獣の首筋を裂いた。

 残る一体が、二人の間を割ろうと低く飛び込んでくる。

 イグニアは咄嗟に剣を上げた。

 だがそれより先に、アルディスが前へ出る。


 剣と爪がぶつかる音が響く。

 押し返しきれない――魔獣の力が強い。

 その瞬間、イグニアの身体の奥で、再びあの熱が膨らんだ。


 今まで何度か、剣に乗っていた異様な力。

 それが、今ははっきりと分かる。


(出て)


 命じたわけではない。

 願っただけだった。

 けれど次の瞬間、イグニアの刃は、鈍い赤金の光をうっすらと纏っていた。


 自分でも驚く暇はない。

 踏み込み、横から一閃。

 魔獣の胴が、ありえない深さで断ち割られる。

 焼けるような臭いが立った。

 斬られた断面から、まるで火に炙られたような煙が上がる。魔獣が絶叫し、数歩もつれるように後退すると、そのまま崩れ落ちた。

 近くにいた兵士たちが、息を呑む。


「……今の、何だ」

「刃が……光った……?」


 動揺が走る。

 だが戦いはまだ終わっていない。

 遠くではなお、散り散りになった魔獣たちが各所で暴れていた。

 ただ、先ほどまでの絶望的な圧迫感は薄れている。


 その隙を逃す兵ではない。


「押せ! 今だ!」

「殿下に続け、崩すな!」

「残党を散らせ!」


 怒号が飛ぶ。

 士気が、一気に持ち直す。

 兵たちの剣筋が変わった。守るだけだった動きが、明確に“討ちにいく”ものへと変わっていく。

 イグニアは荒い息を吐きながら、その様子を見た。


(……よかった)


 胸の奥に、安堵が広がる。

 前線は守られた。

 まだ完全に終わってはいないが、少なくとも、今この場で一気に崩れることはない。

 その時、耳元で低い声がした。


「怪我は」


 アルディスだ。

 振り向けば、彼がすぐ近くに立っていた。仮面の奥の瞳が、イグニアの顔を、頬を、肩を、そして剣を流れるように見ていく。

 傷を確認しているのだと分かる。

 その視線が、妙に熱かった。


(近い)


 イグニアの喉がひくりと鳴る。


(近い近い近い)


 返り血と土埃にまみれた、ひどい有様のはずなのに、そんなことより、とにかく彼が近い。

 紫の瞳が、逸らせない。

 猫の姿の時は、抱きかかえられたり、それこそ今より近くにいたはずだ。なのに、人の姿だと何故か妙な感覚になる。


 イグニアは咄嗟に首を横に振った。


「……問題、ありません」


 低く、短く。

 なるべく声を潰すようにして答える。

 アルディスの眉が、わずかに動いた。

 声を聞いて、何かを感じ取ったのかもしれない。

 だが、彼はその違和感を今は追及しなかった。

 代わりに、戦場全体へ目を走らせる。


「撤退を始めているな」


 確かに、魔獣たちは少しずつ後退を始めていた。仲間同士でぶつかり合いながら、闇の奥へと消えていく。追撃している兵もいるが、深追いはしていない。夜の荒野で散開した魔獣を追うのは危険だと、皆理解しているのだ。

 イグニアはそれを確認しつつ、内心で焦り始めていた。


(まずい)


 顔を見られた。

 声も聞かれた。

 しかもこうして並んで戦ってしまった。


(これ以上ここにいたら、本格的に問い詰められる)


 それは困る。

 困る、はずなのに――足が動かない。


 アルディスが無事だと分かった今、すぐに離れるべきだ。そう理性では分かっているのに、目の前にいる彼から離れがたいと感じている自分がいる。


(……何なんだ、これは)


 さっきまで、あれほど必死だった。

 守らなければと、ただそれだけを思って走ってきた。


 そして今、その役目を果たしたはずなのに、胸の奥のざわめきは収まるどころか、余計に強くなっている。


(これって……)


 アルディスの瞳をもう一度見つめる。


(私は神獣で……)


 そうだ、神獣。

 平和をもたらす存在――そして、王を選ぶ獣。王たるものを主とし、仕える獣。


(アルディス……なのか?)


 だから気になる。

 だから守りたい。

 だから無事でいてほしいと、こんなにも強く思うのだ。


(だから……こんな)


 やっと己の神獣としての使命をイグニアは理解する。

 何故アルディスにおとなしくついて来たのか。そして理解した途端、一層にアルディスを守らねばならないという気持ちが強くなる。


 アルディスが、一歩だけ近づいた。


「所属は」


 問いは短かった。

 けれど、その一言だけで空気が引き締まる。

 イグニアは目を瞬いた。


「どこの部隊だ」


 低い声。

 だが、詰問というよりは確認だった。

 戦場で現れ、突然自分を救い、異様な力を見せた騎士。放っておけるはずがない。

 当然の問いだ。


 イグニアは一瞬だけ息を詰めた。


(どうする)


 咄嗟に浮かんだのは、砦内で耳にした兵士たちの会話だった。すれ違いざまに聞いた部隊名や、人名の断片。それらが頭の中で必死に繋がる。


(……ええと、確か)


 心臓がうるさい。

 間を空ければ怪しまれる。

 だから、ほとんど反射で口を開いた。


「……第三遊撃隊、です」


 言ってから、遅れて後悔が押し寄せる。


(そんな部隊あったか⁉︎)


 自分で言っておいて、自信がない。

 だがもう引き返せない。

 アルディスの眉がわずかに動く。


「第三遊撃隊……?」


 低く繰り返される。

 疑われている。


(終わったかもしれない、そもそもアルディスなら全部隊を把握してるはず……だけど)


 イグニアは内心で冷や汗をかいた。

 だが、アルディスはすぐに否定も追及もせず、ほんの一瞬だけ考えるように視線を落とす。

 ――その隙に、イグニアは言葉を重ねた。


「……南側の斥候に回っていました。魔獣の動きが変わったと聞き、こちらへ」


 少しだけ具体性を足す。

 さっき耳にした「前線が押されている」という話を思い出しながら、辻褄を合わせる。

 アルディスはゆっくりと顔を上げた。

 その視線が、再びイグニアを射抜く。

 嘘を見抜こうとしている目だった。


(やめて……そんな目でこっちを見ないで)


 心臓が潰れそうになる。

 だが――


「……そうか」


 短く、それだけだった。

 完全に信じたわけではない。

 だが、今はそれ以上踏み込まないという判断。

 それがわかる声音だった。

 イグニアは内心で、ほんのわずかに息をつく。


(助かった……)


 だが安心するにはまだ早い。

 アルディスの視線は、相変わらず外れていない。


「名は」


 さらに問いが重なる。


(まだ来るのか!?)


 思わず叫びたくなる。

 イグニアは一瞬だけ口を開きかけて、言葉を飲み込んだ。

 名前まで出してしまえば、完全な偽装になる。そこまでやれば、いずれ必ず破綻する。


(だめだ)


 ここで切らなければ。

 それに――


(これ以上、話したくない)


 この距離で、この目で見られながら、これ以上言葉を重ねるのは危険だと本能が告げていた。


「……」


 イグニアは答えず、わずかに視線を逸らす。

 ほんの一瞬の沈黙。

 その間に、アルディスが一歩近づいた。

 手が届きそうな距離。

 その気配に、イグニアの肩がわずかに揺れる。


(近い。だめだ)


 これ以上は――

 イグニアは反射的に一歩退いた。


「……失礼します」


 低く告げると、間を置かずに踵を返す。


「待て」


 背後から声が飛ぶ。

 だが、止まらない。

 止まれない。イグニアはそのまま駆け出した。

 地面に突き立てられていた槍の影を抜け、倒れた魔獣の死体を飛び越え、夜の闇へと紛れ込むように走る。兵たちの怒号も、戦勝の歓声も、背後へ流れていく。

 心臓が痛いほど脈打つ。

 夜風が、火照った頬を切り裂くように吹いた。


(落ち着け)


 アルディスを守らなければと思ったのも。

 無事でよかったと、心から安堵したのも。

 近づかれて、あんなにも胸が騒いだのも。


 イグニアは唇を噛みしめる。


「彼が私の主だから……なんだ」


 背後で、戦場の灯が小さく揺れる。

 そのどこかに、まだアルディスが立っている。

 振り返らなくても、それだけは分かった。

 夜風の中を駆けながら、ただ一つだけ、はっきりとしていることがあった。

 この戦いで、自分が守るべき相手が誰なのか。



 ――神獣とは。

 ――平和をもたらす存在。

 ――王を選ぶ獣。



 ――アルディス。


 ――彼がこの国の次の王なのだ。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

よろしければブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ