表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神獣の在るべき姿は〜不遇の王子に懐いたら、とことん溺愛されました〜  作者: 白凪珠希


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/19

10_洗濯


(……私だって、人型になれたりしないのか?)


 神獣だというのなら、姿を変えることくらい出来てもおかしくないのではないか。さきほど神殿で見た、あの美しい神獣の姿を思い出す。人の形を取り、言葉を話し、堂々と兵士たちの前に立っていた。


 それに比べて自分はどうだ。


 ミルクを夢中で舐めて、顔中を白くしている猫である。


(いや、待て。落ち着け)


 イグニアは小さく首を振った。

 神獣として生まれ変わったのは確かなはずだ。ならば、何かしら力があるはずだろう。

 試してみる価値はある。


 そう思い、ぐっと身体に力を入れてみる。


 しかし――何も起こらない。

 ただ毛が逆立っただけだった。


(……違う)


 もう一度、力を込めてみる。

 だが結果は同じだった。

 ぴん、と尻尾の毛がふくらみ、背中の毛並みがわずかに立つだけである。


(……え)


 沈黙。

 机の上で固まる猫。


(まさか)


 じわじわと不安が胸に広がる。


(私……本当に神獣なのか?)


 あの神殿で見た光景は夢だったのではないか。神様のような存在に語りかけられた記憶も、戦場で死んだあとの出来事も、全部――。


 イグニアはぶんぶんと頭を振った。


(そんなはずない)


 しっかり思い出せ。

 落ち着いて。あの光は確かに言った。

 記憶を持て、と。


 ならば――


(想像するのかもしれない)


 自分のなりたい姿。

 神獣としての姿。


 イグニアは目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。胸いっぱいに空気を吸い込み、静かに吐く。


 そして思い浮かべる。

 かつての自分を。


 剣を握る腕。


 戦場を駆ける足。


 鍛えられた身体。


 それでも、少しでも女らしくなりたいと伸ばしていた長い髪。

 騎士として生きながらも、どこかで憧れていた女性としての自分。


 その姿を、はっきりと。


 強く、思い描く。

 その瞬間だった。


 身体の奥が、じわりと熱くなる。

 次の瞬間、熱は一気に広がった。

 まるで炎が身体を駆け抜けるような感覚。


 イグニアは思わず目を開いた。


 姿見に映っていたのは――


 猫ではなかった。


 そこに立っていたのは、人――イグニア自身だった。


 見慣れた顔。


 整った輪郭。


 長い睫毛。


 だが、ひとつだけ違う。


 鏡に映る髪は、かつての栗色ではない。

 燃える炎のような、鮮やかな赤だった。


(……)


 数秒、固まりゆっくりと両手を見る。


 指がある。

 腕がある。

 足もある。


 ちゃんと人間の身体だ。


(な、なれた……)


 神獣の力だ。

 やはり自分は神獣だったのだ。


 そう理解した瞬間――イグニアは気付いた。


 視線が、ゆっくりと自分の身体を下へと辿る。


(裸……)


 沈黙。


(いや、当たり前か)


 猫の姿の時から裸だったのだ。

 当然である。当然なのだが――


(いやいやいやいや!)


 慌てて両腕で身体を隠す。

 心許なく部屋を見回し、何か羽織れるものはないか探した。


 机。


 椅子。


 棚。


 鎧。


 剣。


 そして――ベッド。


 そこに掛けられているシーツ。


(あれだ!)


 手を伸ばしたその瞬間だった。

 廊下の向こうから、人の気配がした。


 足音が近づいてくる。


(え⁉︎)


 イグニアの背筋が凍る。


(うそ、帰ってきた⁉︎)


 もしアルディスだったら。

 突然部屋に裸の女がいたら、そんなもの怪しいどころの話ではない。


 完全に不審者だ。

 イグニアは慌ててシーツを掴み、力任せに引き寄せる。


 だが――間に合わない。


 勢いよく扉が開いた。


「猫ちゃ〜ん」


 明るい声に、ぎょっとしてイグニアは固まる。

 そこに立っていたのは、さきほどの侍女だった。触りたそうにこちらを見ていた若い女性。

 濃いブラウンの髪を肩口で揺らし、錆色の瞳をした若い侍女だった。柔らかな雰囲気の顔立ちで、どこか人懐こい笑みを浮かべている。砦の侍女たちの中でも年若いのだろう、どこか無邪気な気配があった。


 彼女は部屋を見回し――驚愕に目を見開く。


「きゃっ……やだ!」


 口元を手で覆う。


「可愛い〜! シーツで遊んでるの?」


 イグニアはぱちぱちと何度か瞬きをした。

そして恐る恐る、自分の身体へ視線を落とす。


 そこにあったのは――さっきまでと同じ、赤毛の猫の身体だった。


(……)


 シーツに埋もれていたのは、赤毛の猫。

 しかもそれは――ついさっきまで人の姿をしていたはずの、自分自身である。


 どうやら、いつの間にか猫の姿に戻っていたらしい。


(戻った!)


 イグニアは安堵の息を吐いた。


「あらあら……でもアルディス殿下に怒られちゃうわよ」


 侍女はくすくす笑う。


「ミルクだらけでシーツで遊んじゃうなんて」


 侍女は呆れたように笑いながら、くしゃくしゃになったシーツを持ち上げた。


「これは取り替えなきゃ駄目ね」


 イグニアはわずかに身構えた。侍女がにこにことした笑顔のまま、こちらへ近づいてくる。


「猫ちゃんもミルクまみれだし……洗わなきゃ」


(洗う?)


 嫌な予感がした。

 だが次の瞬間、イグニアの予感は見事に当たることになる。侍女は迷いなくシーツごとイグニアを抱え上げたのだ。


「いい子ね〜」


 にこにことした笑顔のまま、侍女は楽しそうに声を弾ませる。


「ミルクでかぴかぴになっちゃうから、お身体洗いましょうね〜」


 抵抗する暇などまったくなかった。イグニアはシーツに包まれたまま抱き上げられ、そのまま部屋の外へと運び出されてしまう。


 廊下をいくつか曲がり、連れてこられたのは洗濯室だった。


 石造りの床の上にはいくつもの桶が並び、壁際には布や洗濯板が整然と置かれている。室内には湯気がゆらゆらと立ちこめ、温かな湿気が漂っていた。


 侍女は鼻歌まじりに桶のそばへ歩み寄ると、迷いなくイグニアを持ち上げる。


「すごいおとなしい子!」


 そう言って、ためらいなく湯をかけた。


 じゃぶ、じゃぶ、と小気味よい音が洗濯室に響く。


「毛がふわふわ……可愛い〜!」


 イグニアは完全にされるがままだった。抵抗してもどうにもならないと悟ってしまったのだ。

 そのときだった。


 洗濯室の扉が開き、侍女が数人入ってくる。


「あ!」


 一人が声を上げた。


「さっきの殿下の胸の中にいた猫じゃないか!」


 その言葉に、周囲の侍女たちが一斉にこちらを見た。


「可愛い〜!」

「小さい〜!」


 あっという間に人だかりが出来る。


「エル、あんた勝手に連れてきたの?」


 一人が呆れたように言うと、イグニアを洗っていた侍女――エルがふふんと胸を張った。


「だってミルクまみれだったんだもの。あの殿下が猫ちゃん洗ってくれると思う?」


 その言葉に侍女たちは顔を見合わせ、すぐに納得したように頷く。


「……確かに」


 そして次の瞬間だった。


「可愛い〜!」


 歓声とともに、イグニアは一斉に手を伸ばされる。

 撫でられ、抱き上げられ、また別の腕に渡される。柔らかな声で囁かれながら頬を寄せられ、ふわふわの毛を指先でくしゃくしゃにされる。


 完全にもみくちゃだった。


(ど、どうしよう)


 次から次へと抱き上げられ、撫で回され、こねくり回される。

 最初こそ大人しくされるがままだったイグニアだったが、さすがに疲れてきた。頭がくらくらしてくる。

 侍女たちの注意が一瞬それた、その隙だった。


 するり、と腕の間をすり抜ける。


 床に着地すると、イグニアは一目散に駆け出した。


 廊下へ飛び出す。

 石造りの長い廊下がまっすぐ伸びている。砦の内部は広く、天井も高い。壁には等間隔で灯された燭台が並び、揺れる火が廊下に長い影を落としていた。


 イグニアはその中を小さな赤い影となって走り抜ける。


 だが――


(どこだここ)


 途中で足を止めた。

 完全に迷ってしまったようだ。


 どの廊下も似たような造りだ。灰色の石壁、同じ形の扉、同じ配置の燭台。方向感覚を頼りに戻ろうにも、どこから来たのかすら分からない。


 アルディスの部屋が見つからない。

 そのときだった。


 曲がり角の向こうから、人の話し声が聞こえてきた。


 イグニアはぴたりと動きを止める。

 耳がぴくりと立った。

 すぐに近くの物陰へと身を滑り込ませる。壁際に積まれた木箱の影に身体を押し込み、気配を殺す。


「おい、それじゃあ……」


 低い声が聞こえた。


「神獣様はレグナス殿下を選んだってことだよな?」

「ああ」


 別の兵士が吐き捨てるように答える。


「あんなへっぽこ王子を選ぶなんて……」

「やめろよ」


 すぐに別の声が割り込んだ。

 だが、その忠告を無視するように別の兵士が続ける。


「あんなのが次の王になったら……それこそ俺たちの命なんて使い捨てだ」

「へっ」


 鼻で笑う声がした。


「王妃様は鼻高々だろうよ」


 そこで声が少し低くなる。


「自分の息子を王にしようと必死だったんだからな……年端も行かないアルディス殿下の顔を……」

「おい!」


 鋭い声が遮った。


「その話はやめとけ」


 ぴたりと会話が止まる。

 短い沈黙が落ちた。

 兵士たちは互いの顔を見合わせ、気まずそうに視線を逸らした。


 やがて誰かが小さくため息をつく。

 それ以上、誰も口を開こうとはしなかった。


 やがて重い足音が遠ざかっていく。

 兵士たちはそのまま廊下の向こうへ歩き去っていった。


 足音が完全に消えたあと、イグニアはそっと物陰から顔を出す。

 廊下にはもう誰もいない。


 小さく息を吐いた。


(……やっぱり)


 胸の奥で確信が深まる。

 この砦にいる人々は、アルディスを慕っている。


 そして――何かを知っている。


 兵士たちが途中で口をつぐんだあの話。そこにはきっと、この国の事情が隠されているのだろう。

 イグニアはゆっくりと顔を上げた。

 暗い廊下の奥を見つめる。

 どこへ続いているのか分からない石の通路。その先のどこかに、アルディスがいる。


(アルディス……)


 その名を心の中で呼ぶ。


 胸の奥で、何かが静かに動いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ