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雪月花  作者: 湯灯畳
9/13

第九夜 宴(前編)

朝の空気は、

思ったより普通だった。


雪は残っているが、

昨日の出来事を飲み込むほどの重さはない。


玄関前を掃きながら、

どうしても、あの言葉が頭から離れなかった。


――戻れる人と、戻れない人。


戻れない、とは何だ。


考えかけて、やめる。

今は、答えを出せる気がしなかった。


 


廊下の先で、

女将とすれ違う。


目が合い、

小さく会釈を交わした、そのとき。


「……実は」


女将が、ほんの少しだけ言い淀む。


「今日も……お客様がお見えになります」


胸の奥が、かすかに揺れた。


また、来る。


それが当たり前のことのようで、

どこか当たり前じゃない気もする。


 


昼下がり。


館内の掃除を終えた頃、

つい気になって、ロビーの方へ足が向く。


女将は、すでにそこにいた。


ほどなくして、

玄関の外から足音。


迷いのない足取りだった。


現れたのは、

大きめのリュックを背負った男。


登山靴に、使い込まれたストック。


年は、五十前後だろうか。

日に焼けた頬に、妙に屈託のない笑顔。


「いやぁ……」


玄関を見回して、

男が、しみじみと言った。


「いいですねぇ。

 この感じ」


その一言で、

場の空気が、ふっと緩む。


女将は、

いつもと変わらぬ所作で頭を下げた。


「ようこそ、お越しくださいました」


男は嬉しそうにうなずく。


「今日は、お世話になります」


そのまま、

案内されるように奥へと消えていった。


 


夕方。


廊下で浴衣姿の客を見かける。

露天風呂からの帰りらしい。


向かう先は、自販機コーナー。


がこん。


瓶を取り出し、

栓を抜くと、腰に手を当て一気。


「……っぷはぁー!」


絵に描いたように豪快な吐息。


「やっぱ、湯あがりはこれだよなぁ」


独り言のようで、

どこか誰かに向けた声。


「えーと……」


しかしすぐに、

何か困った様子になる。


「……何か、お探しですか?」


「あ、この空き瓶は……」


「こちらでお預かりしますよ」


「あ、どうもー……」


そう言いながら、

瓶を渡すことなく、しみじみと眺めている。


「いやー、良いですよね、ここ」


「……」


「何と言うか、

 懐かしい気分になれるんですよ」


「……ありがとうございます」


「このカップ麺の自販機なんか……

 夕食の後でも、つい寝る前に食べちゃいそうで」


確かに、

温泉旅館にカップ麺の自販機など、

昔の映画でしか見たことがない。


「それに、あのゲームコーナー」


「ああ……」


「レトロって言うんですかね」


客は、瓶を眺めながら続ける。


「……最近はさ、

 何でも便利で、味気なくて」


「……」


「こういうのが残ってる宿、

 なかなかないんですよ」


その言葉に、

居候の身でありながら、

胸の奥がじんわりと温かくなる。


湯猫にも、

聞かせてやりたいと思った。


 


そのとき、

廊下の奥から足音がする。


女将だった。


こちらに向けて、

静かに告げる。


「……お食事の用意が整いました」


客は、目を輝かせた。


「お、待ってました」


その声に、

胸の奥で何かが、少しだけほどける。


今夜は――

賑やかになりそうだ。


――第九夜・了

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