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雪月花  作者: 湯灯畳
6/14

第六夜 雪遊び

雪は、相変わらずよく降っていた。


ざっ、ざっ、と音を立てて、

庭の雪を脇へ寄せる。


作務衣の袖をまくり、スコップを入れるたび、

雪が小さく崩れる。


あれから客の来る気配もなし。

宿の中は、正直なところ、まあまあ綺麗だ。


だが、外は別だった。


降って、積もって、また降る。

放っておけば、玄関も庭もすぐ埋まる。


結局、毎日の仕事の大半は――雪かきだ。


ざっ、ざっ。


「いや~、相変わらずの雪ですニャ~」


声がして振り向くと、縁側に湯猫が座っている。


「いつもご苦労様ですニャ」


「いやいや、こちらこそ助かってますよ」


そう言って、雪を放る。


やがて酒猿も出てきて、スコップを手に取った。


「こう毎日じゃ、飽きてきやしませんかい」


「いやいや、それもこれも、

 美味いまかないのおかげで頑張れてますよ」


酒猿はまかないと称して、いつも何かしらの創作料理を出してくる。

それが、だいたい美味くていい励みになっている。


三人並んで、黙々と雪を寄せる。


「あ!」


瞬間、不覚にも、雪の下の氷に気付かずにすっ転ぶ。

視界が一度、真っ白になる。


受け身は、勝手に出た。


起き上がろうとしたところで、

横にいた酒猿が手を差し出しながら、じっとこちらを見ている。


「……今の、うまい動きでしたねぇ」


「……うまい?」


自分でも、少し間の抜けた声だと思った。


「ああいう転び方、受け身っていうんですか?

 ……とても素人の動きにゃ見えねぇですよ」


「……そうですか?」


酒猿に手を借りて起き上がる。


正直、褒められるようなことをした覚えはない。


ただ、余計なところが出ただけだ。


「何かやってるんですかい?」


「ああ、まあ一応……合気をちょっと」


「ほう、合気ですかい」


酒猿はやや興奮気味だ。


「あっし、こう見えて格闘技が大好きでして」


「……へえ、そうなんですか」


意外……でもないか。


「ありますよね。合気っていえば……」


少し言葉を選ぶ仕草。


「握手から、べしゃんって」


「あ~……」


どこで聞きかじったのか……

正直あまり深堀りはされたくない。


そんな会話に、湯猫は興味があるのかないのか、

相変わらずの寝ぼけ顔で尻尾を振っているだけ。


……のように見えたのだが。


「見たいですニャ~」


「え」


「その、べしゃっていうニャ」


「いやいやいや」


即座に首を振る。


「やりませんやりません」


「ええー……」


不満そうな湯猫。


「……見たいったって、危ないじゃないですか」


「雪だから安全ですニャ」


湯猫が、ちらっと酒猿を見る。


「ワガハイは見てるので、酒猿にやってみてほしいですニャ」


間。


「……は?」


酒猿の声が裏返る。


「え、何であっし?」


湯猫が、涼しい顔で言う。


「強いじゃないですニャ~、腕っぷし」


「いや、だからって……」


酒猿が、半歩引いたまま言い淀む。


その様子を見て、

これ以上引っ張ると面倒になるのが、はっきりわかった。


一度、息を吐く。


「……じゃあ」


言葉を選ぶ。


「本当に、一瞬だけです。

 それで終わりにしてください」


湯猫は明らかなわくわく顔。


酒猿は、まだ納得していない顔だ。


「いや、あっし、別に――」


「無理なら、やりません」


そう言うと、

逆に酒猿が黙った。


数秒の間。


「……お手柔らかにお願いしやすよ?」


「ええ」


酒猿が、恐る恐る手を差し出す。


握手。


次の瞬間。


「――っ!?」


酒猿の顔が、目に見えて強張った。


「……ま、まっ」


声にならない声。


膝が、がくりと落ちる。


ふかふかの雪の上に、片膝。


「……っ、く……」


すぐに手を離す。


「……大丈夫ですか」


数秒。


やがて、酒猿が顔を上げた。


「……」


一拍。


「……こりゃ、想像以上ですなぁ」


湯猫が、目を丸くする。


「勝手に倒れたように見えましたニャ……」


「まあ、そういうもんです」


胸の奥が、少しざわつく。


「……もうやりませんよ」


酒猿は、雪を払って立ち上がる。


「……いや、こりゃ参りました……貴重な体験を」


湯猫が、満足そうに頷く。


「何したのかさっぱりでしたニャ~」


そう言って、スコップを取り直す。


雪かきに戻る。


玄関まわり。

門の前。




やがて、日が傾き始める。


「そろそろ湯、いきますかニャ」


湯けむりの向こうに、

雪に沈む庭が見えた。


凍てつく労働のあとに温泉。


「スキーと温泉がセットなの、わかる気がしますね」


湯猫が笑う。


「やらないんですニャ?」


「ウィンタースポーツはあんまり……」


言ってから、

少しだけ、言葉を飲み込んだ。




今日は、やや長湯してしまった。


湯冷ましがてら、

館内をゆっくり歩く。


廊下の先、

外に近い暗がりに、

人影があった。


女将だった。


ガラスの向こうは、

夜の色をしている。

室内の闇とは、

少し違う。


女将は、そこから動かず、

外を見ているようだった。


声をかけようとして、

足を止める。


今の自分には、

特に用事がない。


そう思った、そのとき。


「……今日もお疲れさまでした」


女将の方から、

静かに声がかかった。


距離は、そのまま。


「あ……はい」


それだけ答える。


「このあたり……

 夜は、少し冷えますから」


女将はそう言って、

一歩、身を引いた。


視線はもう、

ガラスの外には向いていない。


何を見ていたのかは、

わからなかった。


「……おやすみなさい」


軽く一礼して、

女将は廊下の奥へと去っていく。


そこには、

夜の静けさと、

淡いガラスの反射だけが残った。


しばらく立ってから、

自分も部屋へ戻る。


今日も、

やることは終わった。


客室から移った新しい小部屋にも、

すっかり慣れた――


布団を敷いて、横になる。


湯の余熱が、

ゆっくりと抜けていく。


……明日も、

雪なんだろうな。


――第六夜・了

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