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雪月花  作者: 湯灯畳
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第五十六夜 背中

幸せになれ――


 


その言葉だけが、


今も、頭の中で繰り返される。


 


「兄さま、これは何じゃ?」


「鬼桜の種だ。お前にやる」


 


あの日、兄さまにもらった宝物。


 


兄さまはいつも、


玉手箱のことを、自慢げに話していた。


 


子供しか知らない、


願いが叶う場所。


 


大人に話せば、


鬼に食われると、脅される。


 


だから、秘密。


 


願い事は、大事にする。


本当の願いができるまで。


 


兄さまとの、約束だった。


 


 


「兄さま、本当に行ってしまうのか?」


「ああ、これもお務めだ」


「だが――三年後の春には、必ず帰ってくる」


「約束じゃぞ」


「泣く奴があるか。十八にもなって」


 


 


そして、そのまま――


兄さまは、帰らなかった。


 


 


信じない。


 


信じられるはずがない。


 


 


「幸せに、なるんだぞ」


 


 


夕日に、溶けていく背中。


 


振り向いた、


最後の言葉。


 


 


どうして――


 


あんな言葉を――


 


 


 


そして。


 


堕ちた。


 


居場所も、なくした。


 


思い出すのは、


兄さまの、笑顔。


 


 


ただ、それだけに縋った。


 


どうしても。


 


どうしても――


 


 


 


そして。


 


後ろ指をさされながら。


 


酒に沈む、暮らしの中で。


 


ふと。


 


棚の奥にしまった、宝物を――


思い出してしまった。


 


 


夜。


 


月明かりの下。


 


玉手箱に、種を植える。


 


 


芽は、みるみる育ち。


 


やがて――


 


光を宿した、


満開の桜。


 


 


その影に、


鬼の顔を、確かに見た。


 


 


「兄さまに、逢いたい」


 


 


それだけだった。


 


 


鬼は、嗤う。


 


 


 


そして――


 


 


「兄さま……」


 


 


懐かしい顔。


 


 


手を、伸ばす。


 


 


 


「……来るな」


 


 


それだけだった。


 


 


 


 


すべてが、終わる音がした。


 


 


 


そして。


 


鬼と、結ばれた。


 


 


鬼の夜桜として、


好きに生きよと。


 


 


欲を引き出し、


喰らい、


捧げよと。


 


 


次が現れ――


その身を薪と捧ぐ、その日まで。


 


 


 


――その果てなき地獄も。


 


 


ようやく、終わる。


 


 


 


――第五十六夜・了

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