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雪月花  作者: 湯灯畳
37/59

第三十七夜 糸

辻から離れた、

湯の裏手。


普段人気のないその場所に、

妙な人だかりがあった。


仲居の主人は、

その輪の中心にいた。


声は低く、抑えられている。

聞かせないようにしているのに、

逆に「聞いてほしい」焦りが滲んでいた。


「……だから、念のためだ」

「誰が悪いって話じゃない」

「ただ、みんなを護るためなんだ」


村にいられなくなる――

そんな恐怖を煽る空気が、

言葉の端々から伝わってくる。


湯気よりも重たい、不安の塊。


そこへ——

不意に、爺ちゃんが現れる。


輪の外から、歩みを止める。


「皆を護る、か」


声は張らない。

しかし、不思議と湯音に負けなかった。


「いつから、この村は――

 人を選び、追い出す場所になった」


誰に向けたともつかない言葉。

けれど、主人の背がわずかに強張る。


爺ちゃんは、主人を見ない。


「ここは、湯治場だ」


「疵のある者、

 病を持つ者――

 みな癒しを求め、

 ここを目指す」


「人に言えぬ者は去れ、

 などと言うのなら——

 湯など、信心など、

 最初から、意味を持たぬ」


一瞬、空気が止まる。


「去れば、村は軽くなるのか?」


「違う。

 痩せるだけだ」


爺ちゃんは、ゆっくり息を吐いた。


「この村は、

 ずっと——

 そうしてきたはずだろう」


主人は、口を開いた。

だが言葉が、見つからない。


喉が鳴る。

何か言おうとして、

息だけが漏れた。


「村のため」という言葉は、

もう爺ちゃんの手の中にあった。


「……余計なこと、

 言いやがって」


目を背けたまま、

絞り出すような声。


怒りではなく、

縋りだった。


爺ちゃんは、

主人を見据える。


諭すような、

優しい眼差し。


「余計なものか」


「……戻れるうちに、

 戻すだけだ」


それ以上、何も言わない。


輪は、いつの間にかほどけていた。


 


桜のほころび始めた、

雪月花の裏――


その声は、

ゆき姉にも届いていた。


 


胸の奥に、

冷たいまま置かれていたものが、

また少し、溶けた気がした。


 


――第三十七夜・了

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