第二十八夜 嘘
村は、
変わらなかった。
朝。
鍋の音。
湯気。
その日、
隣村から流れ着いた、
母と子。
事情は、
詳しくは、
聞かれない。
「ここ、
空いてるから」
それで、
決まる。
誰かが、
拒むこともなく。
誰かが、
強く主張することもなく。
ただ、
受け入れられていた。
ゆき姉は、
少し離れたところで、
それを見ていた。
この輪に、
自分もいる。
ずっと、
そう思ってきた。
なのに。
胸の奥で、
小さく、
音がした。
笄の、
冷たさ。
「普通に育てて――」
あの言葉が、
遅れて、
浮かび上がる。
普通。
ここにいる人たちと、
同じように。
笑って。
年を取って。
――隠さずに。
それが、
できなかったら。
できていないと、
知られたら。
今までの、
全部が。
ひっくり返る気がした。
*
夕方。
水場。
大根を刻む。
包丁が、
少し、
ずれる。
指先に、
走る感触。
――でも。
赤は、
出なかった。
一瞬、
動きが止まる。
その背後で、
気配。
はる坊が、
立っていた。
目が、
指先に、
落ちる。
ほんの、
一拍。
はる坊は、
何も言わず。
視線を、
外し。
「火、
強いよ」
それだけ言って、
向こうを向いた。
ゆき姉は、
包丁を、
置いた。
胸が、
少し、
あたたかくなる。
それが、
怖かった。
この人は、
見た。
でも、
聞かなかった。
聞けるのに、
聞かない距離に、
来てしまった。
「ゆき姉」
名前を、
呼ばれる。
それだけで、
胸が、
詰まる。
この呼ばれ方が、
もし。
嘘の上に、
乗っているものだったら。
自分は、
何を、
返してきたんだろう。
笑った顔も。
撫でた頭も。
全部。
――騙していたことに、
なってしまう。
噂話が、
よぎる。
雪女。
確かめたわけじゃない。
でも、
否定も、
できない。
はる坊の背中が、
そこに、
ある。
優しいまま。
何も、
聞かないまま。
それが、
一番、
逃げ場がなかった。
*
夜。
部屋で、
ひとり。
笄を、
外す。
「普通に――」
なろうとした。
なっていると、
信じたかった。
でも。
もし、
そうでなかったら。
ここにいること自体が、
間違いになる。
朝になれば、
きっと。
何事もなかったように、
声をかけられる。
役割も、
居場所も、
用意されている。
だからこそ。
その前に。
全部が、
壊れる前に。
自分が、
壊してしまう前に。
消えるしか、
なかった。
荷物は、
少しだけ。
笄を、
握る。
理由は、
言葉にならない。
誰にも、
うまく、
話せない。
だから。
――行く。
春になる前の、
まだ、
冷たい夜だった。
――第二十八夜・了




