第70話 ラフレディアの宿主
「やはり、子株に身を守らせていましたか」
怪我人の介抱を続けるアルフレッドさんが神妙な顔持ちで呟いた。
剣を構えるマリウッツさんの前に、先ほどの子株とは比べ物にならないほど大きなラフレディアの花が蠢いている。花弁は真っ赤で、白い斑点模様があり、意志を持って波打つ蔦は何十本あるのか分からない。
ラフレディアに目はないけれど、どうやらマリウッツさんを排除対象として認識したらしく、無数の蔦が勢いよくマリウッツさん目がけて降り注ぐ。マリウッツさんは四方八方から襲い来る蔦を目にも止まらぬ速さで切り落としている。
「すごい……」
マリウッツさんの戦いを目の当たりにするのは初めてで、余りの凄まじさに思わず目を奪われそうになる。
けれども一方で、ポイズングリズリー5頭を相手取る冒険者たちは、一進一退の攻防を繰り広げている。ポイズングリズリーの毒爪は、掠るだけで致命傷となる。傷を負っては解毒薬を投じているけれど、このままの調子だと薬はあっという間になくなりそうだ。
やがて、1頭のポイズングリズリーが地面を大きく揺るがせながら倒れ込んだ。やった! まずは1頭倒したみたい!
冒険者はすごい。あんなに恐ろしい魔物を相手にするんだもん。ともかく、この場に来てしまったのだから、私は私にできることをしよう。
「ピィちゃん、離れちゃダメだからね」
「ピィッ!」
私は【結界】の内側で、冒険者のみんなやマリウッツさんの戦いを見守りながら、怪我人の手当てに専念することにした。
ラフレディアの蔦は無尽蔵のようで、切り落としたそばから別の蔦が伸びてくる。再生速度が速いのか、切っても切ってもキリがない。蔦の攻撃をすり抜けて、ラフレディアの花にも剣を突き立てているけれど、すぐに新たな花弁が開く。
マリウッツさんは決定打を打ち出せないまま、襲い来る蔦の猛攻をいなし続けている。このままでは埒が明かない。
「マリウッツ殿ーッ!」
ハラハラしながら見守っていると、隣のアルフレッドさんが突然声を張り上げた。
「萼の上の膨らみ……そこがラフレディアの力の根源です!」
「っ! 承知した」
古代の文献を読み耽っていたアルフレッドさんは、しっかりとラフレディアの弱点も調べてきていたみたい。さすがだわ。
アルフレッドさんの助言を聞いたマリウッツさんは、一歩大きく飛び退いて、刀身に手を添えた。
「【反芻・凍結】」
すると、先ほど【凍結】を纏った時と同じく、凛と空気が張り詰め、刀身がキラキラと淡い光を宿した。そして、グワッと押し寄せる蔦の塊を高く跳躍して回避し、そのままの勢いで剣を大きく振り下ろした。
ガキン! と断面からどんどんと氷が広がっていき、マリウッツさん目がけて伸ばされた蔦の先までも凍りついてしまった。先ほどの子株と違い、巨体の芯まではまだ氷漬けになっていないらしく、ギギギ……と嫌な音を立てて氷が軋んでいる。
「おしまいだ」
チンッと鈴が鳴るような音がして、マリウッツさんがラフレディアの巨大な花弁の下に隠された弱点を切った。
ビキビキッと氷漬けになったラフレディアに亀裂が走り、パキンと砕け散る。そしてサラサラときめ細やかな粒子となって風に運ばれて散っていった。
「実に呆気ないですね……」
ほう、と隣で安堵の息を漏らすアルフレッドさんに、私も同意する。
「はい。すごかったです」
マリウッツさんだからこそ、これだけ迅速にラフレディアの討伐ができたのだと思う。あんな巨大で恐ろしい花を一人で片付けてしまうなんて、流石の一言に尽きる。
「後は、ポイズングリズリーをどうにかすれば、無事に帰れそうですね」
ようやく溢れた笑顔をアルフレッドさんに向けるも、アルフレッドさんは依然として真剣な目でマリウッツさんの方を見ていた。
「いえ、ここからが本番でしょう」
「え?」
バッとラフレディアが消滅した場所に再び視線を戻すと、ラフレディアが覆い隠していた地面には大穴が空いていた。マリウッツさんも剣を構えて警戒を強めている。
「ウボォォォォォォォ!!!」
穴の中で獣の叫び声が反響し、空気を揺らす。
ズゥン、ズゥン、と地面が脈打ち、そして声の主が地面の大穴からゆらりと姿を現した。
「な、なにあれ……」
大穴から出てきたのは、二階建ての家を優に越える大きさの獣だった。獅子のような身体をしているけれど、顔は猿のようであり、その爪も牙も鋭い。太くて長い尻尾を左右に揺らし、ボタボタと涎を垂らしながらグルルと喉を鳴らしている。
「まさか……マンティコアだというのですか!? 書物でしか見たことがありませんよ……!?」
信じられないとばかりに目を見開くアルフレッドさん。戦闘中の冒険者の面々にも戸惑いと緊張が走っている。
マンティコアはじとりとした目で私たちを一瞥した。そして、ひときわ大きく咆哮すると同時に前脚を大きく振り上げて思い切り地面を叩いた。凄まじい咆哮によって突風が生じ、さらにぐらりと地震のような揺れが身体を揺さぶる。思わず体勢を崩してしまう衝撃に、あちこちで「うわぁ!」と悲鳴が上がる。
私は姿勢を低くして何とか耐えたけれど、すぐに使えるようにと地面に並べられていた解毒薬と回復薬が風に吹き飛ばされてしまった。
「ああっ!?」
パリン、パリン、と地面や木の幹に叩きつけられて瓶が割れる絶望的な音がする。
歯を食いしばりながら、状況を確認しようと顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、【結界】を張ってくれていた冒険者の女性が地面に倒れ、そのすぐ近くまでポイズングリズリーが迫っている光景だった。動かない様子を見ると、打ちどころが悪かったのか気を失っているらしい。
どうやら戦闘中の冒険者たちも突風と地面の揺れにやられて、ポイズングリズリーの接近を許してしまったらしい。
「危ないっ!」
あの人が怪我をしてしまったら、誰も【結界】を張ることができない!
そう思った私の身体は、反射的に彼女の前に飛び出していた。
「サチさん! いけません!」
後ろからアルフレッドさんの切迫した声が聞こえる。でも、動き出した身体はもう止められなかった。
冒険者の女性を背中に庇うように、ガバッと両手を広げたのと、目の前まで迫ってきていたポイズングリズリーが腕を振り上げたのはほぼ同時だった。
やられる!
咄嗟にギュッと目を閉じたけれど、覚悟した痛みは訪れず、代わりに聞こえたのはキィンと何かを弾くような高く鋭い音だった。
「キュアァァァァァァッ!」
「え、ピィちゃん!?」
恐る恐る目を開けた私の前には、両手両足を広げたピィちゃんがいた。
そしてピィちゃんとポイズングリズリーの間には、ガラスのように透き通った淡い水色の膜ができていた。




