第57話 マリウッツの苦悩 ◆マリウッツ視点
いつまでこんなことを続ければいいのか。
すっかり日も落ちて、部屋に戻る時間だという時に届けられた今日二度目の呼び出し。俺は苛立ちを隠そうともせずに、王城の一室の壁際に立っている。
「ふふ、お前は今日もそうやって時間を過ごすつもりなの? 彫刻のようで美しいけれど、いい加減、こちらに来て共に食事をしなさいな」
コロコロと鈴を転がすような耳障りな声に、舌打ちで返す。
これだけ不敬な態度を取っていても、この国の王女はただただ楽しそうに微笑むばかりだ。
ヘンリーとかいう王子がギルドの倉庫に押しかけてきて渡された手紙。王女の部屋へと呼びつける内容だったので、馬鹿らしいと無視しようとした。だが、文末に書かれていた一言が、そうさせてはくれなかった。
『もし、部屋に来なければあなたの大事な女がどうなっても知らないわよ』
もちろん、これも虚言だと無視することはできただろう。
だが、もしも冗談ではなく、本気だとしたら?
俺の行動1つでサチの身に危険が及ぶかもしれない。そう思うと王女の誘いを無視するわけにはいかなかった。
部屋には王女と、いつも俺たちの部屋に夕食の配膳をしてくれる気弱そうなメイドが壁際に控えているだけだ。豪勢な食事が用意されていて、隣に座るようにと促される。
もちろん王女と楽しく食事をしに来たつもりはない。俺は入り口付近に立ったまま答えた。
「俺は部屋に来いという言葉に従ったまでだ。それ以上の要望には一切応えるつもりはない」
「まあ、生意気ね。いいわ、そういうところも気に入っているもの。うふふ、お前が私の手に堕ちてくるのが楽しみね。いい? これから毎日お昼時、私の部屋に来なさい。一緒に食事をしましょう」
「はあ!? ふざけるな。お前のお遊びに付き合うつもりは毛頭ない」
なんとも身勝手な物言いに、ビキリと額に血管が浮き出る。
この女は自国の状況を理解しているのか?
サチ、アルフレッド、ミィミィ、誰もが国の危機を乗り越えるべく東奔西走としているにも関わらず、自室で呑気に茶を飲んでいるだけの女がこの国の王女だと?
「あらあら、いいのかしら。ねえ、知っている? 魔除けの草があるのと同時に、魔寄せの草もこの世には存在するのよ? それを、そうねえ、確かあなたたちはギルドの倉庫で作業しているのよね。うふふ、倉庫の外ででも焚いたらどうなるかしら? 風に乗った魔寄せの香りが魔物たちを引き連れて、倉庫に押し寄せるでしょうね。それとも、わたくしお抱えの暗殺集団を使おうかしら。こう見えてわたくしはこの国の王女。わたくしが指を1本振るだけで、小娘の首なんて簡単に落とせるのよ」
「俺がそうはさせない」
「おほほ、口ではどうとでも言えるわ」
こいつは正気なのか?
もしギルドの近くで魔寄せの草を焚いてみろ。ギルドは王都の中央に位置している。それも王城の隣に、だぞ。
そこに魔物を誘き寄せてみろ。民はどうなる。ギルドの職員も、王城さえも危険に晒される。ましてや魔物の発生量が増えているこの時期に。
真意を探るべく睨み付けるが、ほほほ、と何が楽しいのか笑みを深めるこの女の考えていることは掴めない。だが、冗談ではないということはどうしてか分かった。
この女はやる。自分の欲望を叶えるためならば、どんな犠牲をも厭わない。
こうして俺は、不本意にもこの女の招集に応じることとなった。
毎日昼前に王城の王女の私室に向かう。流石に婚前の王女が一介の冒険者と密室で2人きりというわけはいかないらしく、いつも気弱なメイドが控えていた。
昼食時ということで、毎回部屋には豪勢な料理が用意された。今だって肉料理を中心とした夕飯がずらりと並べられている。
だが、俺は一度もそれらを口にはしていない。この女の用意したものなど喉を通るわけがない。
念のために【反魔法】の効果を有するチャームを忍ばせてはいるが、どんな薬を盛られているか分からない。毒かもしれんし媚薬かもしれん。
王女は1時間楽しくもなんともない無駄話を話して聞かせる。
俺は壁際に突っ立ってそれを聞き流しているだけ。地獄のような時間だ。
この場にいるときは、決まってサチが恋しくなる。
サチの隣は居心地がいい。Sランク冒険者だからと色目で見ることもないし、自分らしく居られる。
「どうやら、兄様もあのサチって小娘を気に入ったようね。あんな小汚い女のどこがいいのかしら」
今日も興味の惹かれない話ばかりだと聞き流していると、不意にサチの名前が飛び出したため、ピクリと眉を動かしてしまった。
今日の昼間、俺が留守にしている間に押しかけてサチを街に連れ出したというヘンリーの顔を思い浮かべて舌打ちをする。
「ねえ、あなたって相当の実力者なのでしょう? ギルドなんて粗暴なところに所属するよりも王家直属の騎士におなりなさい。そして、生涯わたくしを守りなさいな」
「断る」
いつもは何を聞かれても無視をするのだが、固く閉じていた目をゆっくりと開いてはっきりと拒絶した。
俺が反応を示したことが嬉しいのか、王女は身を乗り出して尚も御託を並べる。
「わたくしは王女なのよ? お前の求めるものをなんでも与えてあげるわ。それのどこが不満なのかしら?」
依然として王女は試すように俺を見ている。はっきり言ったところできっと伝わらないのだろう。
だが、こいつはサチを侮辱した。
それに、いつまでもこのようなことを続けるわけにはいかない。
「俺はこの国の人間ではない。逆に問おう。他国の冒険者にとやかく言う権限が貴様にあるのか」
俺の一言で、初めて王女の笑顔の仮面が剥がれた。スウッと開いた瞳には僅かに怒りが滲んでいる。
「わたくしは王女なのよ?」
「それが何だ」
「ぐ……お前は少し生意気すぎるわ。そこが面白くもあるのだけど……どうしてこんなに気高く美しいわたくしが、そばに置いてやると言っているのに、一向に応えようとしないのかしら。甚だ理解ができないわ」
なんとも傲慢な物言いに、思わず鼻で笑ってしまう。
「美しい? 俺が美しいと思う女はこの世でただ1人だ」
彼女の神業の如き仕事ぶりは、心を奪われるほどに美しい。屈託なく笑う姿を思い浮かべるだけで、荒んだ心が和らぐ。
俺の心を安らげてくれるのは、彼女ただ1人なのだ。
「は……? もしかして、あの小汚い女のことを言っているのではないでしょうね? 女なのに魔物の解体を生業にするだなんて、恥ずかしくないのかしら。血生臭くて野蛮ですこと。きっとあの女も魔物の匂いがこびり付いているのでしょうね。不潔ですわ。ああ、穢らわしい」
この女は、サチだけでなく、サチの仕事まで侮辱すると言うのか。
「サチを愚弄することは、この俺が許さない。あいつは誰よりも誇り高く、美しい」
「ひ……」
これほど低い声が出るのかと自分でも驚いた。まっすぐ偽りのない俺の言葉に、初めて王女がたじろぐ。
「ついでに言うと、俺が守りたいと思う女もサチただ1人だ。いいか、もう二度と俺を呼びつけるな。サチやギルドに危害を加えることも許さん。何か起これば、俺は真っ先に貴様を疑う。貴様の仕業だと判断する。そのときは王女であろうと構わない。その美しいという白い首を刎ねてやる」
サッと顔を青ざめさせ、王女は咄嗟に首を両手で押さえた。
これで話は終わりだ。
俺は踵を返して部屋の扉に手をかける。
「お、お待ちなさい!」
叫ぶように王女が喚いているが、もうあの女の言葉を聞くつもりはない。
俺は振り返りもせずにバタンと扉を閉めた。
長い廊下をズンズン進む。
大きな窓からは月光が差し込んでいる。
昼も夜も食べていないので流石に腹が減った。だが、今は無性にサチの顔が見たかった。
来賓室が並ぶ廊下に到着し、俺は自室ではなくサチの部屋の前に立った。
こんな時間に訪ねるのは不躾だという自覚はある。だが、ここしばらくゆっくりと共に過ごすことができていないのだ。
顔が見たい。ただ、それだけだ。
顔を見たら大人しく引き返そう。
俺はゆっくりと腕を持ち上げると、コンコン、と扉を叩いた。




