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第55話 横暴な王子とその素顔

 南方の森に群生する植物型の魔物についての調査が進んでいる間にも、魔物はどんどんと持ち込まれてくる。


 あの日以来、アルフレッドさんはギルドマスターの執務室から大量の資料を抱えて倉庫の一角で調べ物に没頭している。過去の事例から人間への寄生例はなく、そもそも寄生性の魔物自体の発生例も少ないようだ。けれど、昨日宿主を探して飛びかかった様子を見ると、うかうかしていられないのは明らかだ。

 アルフレッドさんが調べ物に専念している間、マリウッツさんが素材の運搬までカバーしてくれているので、魔物の解体は毎日積滞なくこなすことができている。解体して出てきた種は即時焼却処分ができるようにミィミィさんが調整してくれている。


 ところが、そのマリウッツさんが倉庫を空ける時間が生じている。

 決まってお昼時。昼食前にマリウッツさんは一言断りを入れてから倉庫を出て行ってしまう。そしてきっかり1時間後に戻ってくる。

 その行き先は、きっとリリウェル様の下なのだろう。


 ヘンリー様が襲来した日に手紙を受け取って以来、マリウッツさんは不機嫌そうにしながらもリリウェル様の下へ足繁く通っている。

 一体どんな話をしているのだろう。何をして過ごしているのだろう。

 気にはなっても聞けなくて、今日も苛立ちを隠すことなく出て行ってしまうマリウッツさんの背中を見送るばかりだ。


「はあ……」


 そしてお昼時。

 マリウッツさんはまだ戻っていない。ここ数日一緒に昼食を摂ることも叶っていない。

 アルフレッドさんも資料を執務室に戻してから食堂に行くと言って飛び出して行ったし、ピィちゃんはたっぷり魔物のつまみ食いをしてグースカ寝ている。私は1人でトボトボと食堂へと向かっていた。


「見ぃつけた」


「えっ」


 俯いて歩いていたから、前方から誰かが近付いてきたことに気が付かなかった。

 その人に気づいた時には、手首をがっしりと掴まれて捕捉された後だった。


「へ、ヘンリー様!?」


「やっと捕まえたよ。今日は君の騎士2人はいないようだね。ま、凄腕冒険者の方は、今頃はリリウェルのところだということは分かってて来たんだけどねぇ」


 楽しそうなヘンリー様の言葉に、ズン、と心が沈む。


「おや? その顔、随分と彼らのことが気になっているようだね。いいよ、僕に少し時間をくれたら、僕が知っている情報を教えてあげる」


「え」


 思わずその誘いに顔を上げてしまった。ヘンリー様はニコニコととても楽しそうに微笑んでいる。けれど、その目は笑ってはいなくて、獰猛な光を宿しているように見えた。

 逃げなくては、捕食される。そう思っても意外と力が強い。腕を振り払おうにもびくともしない。


「まあ、取って食おうだなんて思ってはいないから安心して。君たちは国賓扱いだからねえ。僕は君と話がしたいだけなんだ。と、いうわけで。僕が君を街に案内しようじゃないか!」


「はあ!?」


 ヘンリー様は私に意見する余地すら与えず、手首を引いてギルドの出入り口へと向かう。


「ちょっとだけだからさ。どうせ倉庫に篭りっきりで我が国の観光なんて二の次なのだろう?」


「そ、それはもちろんです! 観光なんてしていられる状況では……」


「いいからいいから。息抜きも大事だって。それに、この国を好きになれば残りたくなるかもしれないだろう? さ、行こうか」


「ヘンリー様!?」


 すっかりヘンリー様のペースに巻き込まれた私は、「ぐぬぬ……作業がありますので、すぐに帰してくださいよ!」となんとか条件を取り付けて、足取り重く街へと繰り出した。








「ほら、見てごらん。賑やかだろう」


「はあ」


 ヘンリー様に手を引かれるままに並んで街を歩く。この人は王子だというのに護衛もなしに随分と自由だ。いや、もしかすると王家の影とやらが見えないところに控えているのかもしれない。それならば、ヘンリー様が強引な手段を取ることはない……? いや、こうして連れ出されている時点で十分強引だわ。


 少し付き合えば満足するだろう。そう思って諦めた私は、街を見回した。


 ドーラン王国と同じく街は活気に溢れている。可愛らしい装飾品の店や、ブティック、青果店が立ち並ぶ中、どうしても仕事柄目を引くのは武具店なあたり、可愛くないなと自分でも思う。


「ほら、見てごらん。サルバトロス王国は、漁業が盛んだからね。この先は市場になっているんだよ。朝市が一番賑わってはいるんだけど」


「わあ……すごいですね」


 ヘンリー様に案内されたのは、広場に軒を連ねる屋台の数々。とれたての魚は、まだピチピチと氷の上で飛び跳ねているし、大きな生簀(いけす)を用意している屋台もあって大いに賑わっている。


 その場で調理して食事を提供している店もたくさんある。

 あちこちから美味しそうな香りが漂ってきて、昼食前の私のお腹は素直にキュウと鳴ってしまった。


「何か食べようか。うーん、僕のおすすめは……あ、あったあった」


 ヘンリー様は辺りを見回して目的の店を見つけたようで、私の手を引いて行く。


「店主、クラーケンの天ぷら、2本ね」


「殿下!? あんたは、またこんなところに来て……あとから国王陛下に叱られても知りませんからね」


「あはは、大丈夫。うまいこと言うからさ」


 どうやらヘンリー様は市井によく降りてくるらしく、あちこちで「あ、ヘンリー様だ!」「こんにちは!」と気安く声をかけられている。

 庶民派の王子として、国民の支持は厚いらしい。外面(そとづら)は良さそうだものね。と密かに失礼なことを考えてしまう。


「はいよ、揚げたてだからね。気をつけてね」


 店主が差し出したのは、真っ白な湯気を立ち上らせ、未だにパチパチと油の爆ぜる音がする天ぷらの串。その香ばしい匂いに思わず喉が鳴る。


「はい、食べなよ」


「……」


 串を手渡された私は、食べていいものかと逡巡してしまう。

 そんな私を見て、ヘンリー様はお腹を抱えて笑った。


「あはは、そんなに警戒しないでよ。薬なんて盛らないからさ。僕はただ、君に興味があって少し話がしたいだけなんだから。危害を加えようなんてこれっぽっちも思ってはいないよ」


「どうでしょうか……」


 まあ、目の前で手渡された食べ物に薬を盛る隙はないだろう。人目も多いし、食べないのは作ってくれた人にも失礼だ。

 私は意を決して、パクリとクラーケンの天ぷらを口にした。


「あふっ、はふっ……んーっ! おいひいっ!」


 揚げたての串はとても熱くて、ハフハフと口内で踊らせてからようやく咀嚼することができた。しっかりと弾力があり、弾けた身から旨味がじゅわりと広がっていく。


「そうだろう? 君は異世界から召喚されたそうだから、気にいると思ったよ」


「ゴッホゴッホ!」


 は? え? なんて言った?

 私、異世界から来たなんて言っていないんですけれども。


 再び警戒レベルを高めた私は、一歩後ずさる。その様子を見てヘンリー様は楽しそうに笑っている。


「あはは、警戒しない。ちょっと君の素性を調べただけさ。聖女召喚に巻き込まれたっていうのは君のギルドでは有名な話だろう? すぐに分かったよ。大変だったねえ」


「う、確かに」


 予期せず労りの目を向けられて戸惑ってしまう。

 ヘンリー様はその後も、「あ、あれも」「これもうまいよ」と何店舗かで料理を注文して与えてくれた。そのどれも美味しかったんだけど、なんだか餌付けされている気分になってきた。


 お腹も満たされて、露店で購入したココアで温まりながら、市場を抜けた先のベンチに腰を下ろした。なんだかすっかりと堪能しまった。いかんぞ、サチ。


「どうだった? 我が国の民はみんな元気で活発だったろう?」


「そうですね。素敵な国だと思います」


 少し歩いただけでも、みんな元気で明るくて、毎日を楽しんで過ごしていることがよく分かる。

 ふふん、と得意げなヘンリー様は、街行く人々を楽しそうに眺めている。


「君が頑張って魔物を解体してくれているから、守られている笑顔なんだ。それを肌で感じて欲しくてさ」


 思いがけない言葉に、ふぅふぅとココアに息を吹きかけていた顔を上げて、ヘンリー様をじっと見つめる。


「……ヘンリー様は、どうして私に構うのですか?」


 横暴な振る舞いをしたかと思えば、民を慮り、私にも労いの言葉をかけてくれる。雲のように掴み所のないヘンリー様に、私は直球で尋ねることにした。

 ヘンリー様は、「えー?」と笑いながら、スッと目を細めた。


「そりゃあ、君みたいに面白い子、気になるに決まっているじゃないか。でも、それ以上に君には感謝しているんだよ。君が居なければ、今頃魔物の瘴気が溢れて、大切な民の身に危険が及んでいたかもしれない。今この国を支えてくれている君を知りたいと思うのは当然だろう? それに、僕はきちんと弁えているからね。第一王子という立場を。危害を加えることはないから、これだけは安心してほしい」


 うーん、果たしてそうだろうか。

 つい先日、倉庫に押しかけてきた様子を思い返しても、その言葉に頷くことはできない。感謝の気持ちを素直に示してくれれば、ここまでややこしくはなっていなかったと思う。わざと誤解される言動をとっているのでは? と思うほどだもの。


「あ、すごい白い目で見てくるね。いいねいいね。王子の僕に対してその態度。とってもいいよ」


 ヘンリー様ってマゾなのだろうか。なんで蔑まれた目で見られて喜んでいるのか。


「性格悪いって言われません?」


「あはは! ハッキリ言うねえ。これぐらいじゃないとこの世界ではやっていけないんだよ?」


 白けた目で見ていると、ヘンリー様はひとしきり笑ったあと、唐突に真顔になった。


「だけどね、リリウェルには気をつけた方がいい。あの子は王妃の実子だから、生まれた時から全てを享受して育ってきて、自分の望みを叶え続けてきたからね」


 ん? あの子は王妃の実子だから……?

 随分と引っかかる言い方をする。


 私の疑問が顔に出ていたらしく、ヘンリー様は「ああ」とあっけらかんと答えてくれた。


「僕はあの人の子供じゃないからね。僕の母親は前王妃。僕を産んだ後の肥立ちが悪くてね。元々病弱ではあったらしいんだけど、僕が赤ん坊の時に死んでしまったんだ」


「ヘンリー様……」


「一応、僕が王位継承権第一位なんだけど、きっと現王妃はリリウェルを女王に据えたいと考えているだろうね。表面上は優しそうに見えるけど、あのリリウェルの母親だ。腹の中は真っ黒さ。リリウェルが求めるものは何としてでも与えようとするだろう。王位だって、今は興味がないようだけど、リリウェルが欲したらどうなるやら」


 軽い口調で話しているけれど、これってかなりの機密事項なのでは……?


「…………それ、私が聞いていい話なんですか?」


「ん? まあ、よろしくはないよね」


 なぜ話した。私は思わず絶句する。


「とにかく、僕が言いたいのはリリウェルには気をつけろってこと。今、父上も魔物の大量発生に伴う各地の状況整理や軍の派遣要否の判断、予算の再編なんかで多忙を極めているからね。リリウェルのワガママに構っている暇はないのさ。父上の目が離れている今、どんな行動に出るやら……」


 ヘンリー様は空になったコップをギュッと握りしめた。


「あいつは欲しいものを手に入れるためには手段は選ばない。それこそ、この国の民のことなんて何とも思っちゃいない。今はあの凄腕冒険者を手に入れることしか頭にないだろう。その彼も、君を気に入っているのだろう? 今日少しだが共に過ごして、その気持ちはよーく分かった。この先、リリウェルが君に目をつける可能性も十分ある。僕が君に興味を示していると公にしておけば、簡単には手は出せない」


「ヘンリー様、もしかして……?」


 私を守るために、私に興味があるふりをしてくれているの?

 そうだとしたら私はとんだ勘違いをしていたことになる。まあ、もっと上手いやり方が無かったのかと呆れる気持ちはあるけれど。


「僕が一番大切なのは、この国の民だ。その民の平和を担ってくれている君を知りたいと思うのは当然だろう? ま、そうじゃなくても君に興味があるのは本当だよ? あまりに警戒して逃げるものだから、意地になってしまったけど。それにしても……あー、楽しかった。こんなに素で過ごすことができるのは君が初めてかも。サチは裏表がなくって、本当に真っ直ぐな女性なんだね。この居心地の良さが彼らを魅了しているのかな」


 しみじみと、どこか寂しげにも見える目で私を見つめるヘンリー様。

 ようやく、笑顔で隠している彼の素顔に触れることができた気がした。


「ヘンリー様……」


「さ、そろそろギルドに戻ろうか。あんまり長い間連れ出して君の騎士たちやミィミィの怒りを買うのはごめんだからね。ミィミィは怒ると怖いんだよ」


 そう言って立ち上がり、伸びをするヘンリー様はただの年頃の男性に見えた。

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