第17話 スタンピード発生①
アンの杞憂を吹き飛ばすように、それからしばらくは平和で代わり映えのしない日々が続いていた。
私はというと、相変わらず日々の仕事に追われている。
マリウッツ様も変わらず魔物を持ち込んでは私を指名し、解体の作業を満足げに観察しては帰っていく。
そういえば、固有スキルの【三枚おろし】を魚型の魔物に使ってみたところ、瞬く間に美しい三枚おろしが仕上がった。魚型の魔物も大切な食糧らしく、保存食として干物もよく作られるようで、【三枚おろし】は結構需要があるみたい。
ちなみに、こっそり台所を借りて普通の魚に試してみたけど、きっちりスキルは発動して綺麗に三枚おろしすることができた。元料理人志望だった私は感動に打ち震えた。便利過ぎる。
もう1つの固有スキルの【骨断ち】も、武器や装飾の職人さんたちに随分と感動されてしまった。やっぱり魔物の骨を加工するには特別な道具と処理が必要らしく、硬い骨を豆腐のようにスルスル断つ様子は驚愕ものだったみたい。これまた個別で依頼が入るようになり、私はさらに忙しくなってしまった。
流石にドルドさんが業務量を調整してくれているけれど、日中は冒険者以外からの依頼を受け、夕暮れ時にはクエスト帰りの冒険者が持ち込む魔物の解体に追われる日々を送っている。
そんな生活が2週間ほど続いたある日、ギルドを揺るがす一報が入った。
『魔物の大量発生、スタンピードが発生した』と。
スタンピードとは、魔物が大量に押し寄せることを言い、王都付近で魔物が多くみられる森や草原を監視していた冒険者がその兆しを察知した。
ギルドの調査員がここしばらく近辺の調査に当たっていたが、どうやら森の奥深くに強力な個体が出現したとみられている。力を蓄えているのか、姿を捉えることはできていないようだけど、明らかに周囲の魔物が興奮状態に陥っているらしい。
ここ数年、王都付近では確認されていないBランク以上の魔物が現れた可能性が高いようで、ギルド内でも緊張感が高まっている。
そして今日、ギルドに所属する冒険者が招集されている。
その招集者はギルドのサブマスターであるアルフレッドさんだ。
アルフレッドさんはいつものポワポワした朗らかな笑みを引っ込め、表情を引き締めている。その様子から、緊迫する事態であると容易に窺うことができる。
ギルド職員も緊張した面持ちで控えている。もちろん私も。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。すでに通達済みのことですが、強力な個体の発生に伴うスタンピードが発生しました。ここ王都を目指し、四方の森や草原から魔物の群れが進行中です。冒険者の皆さん総出で魔物を迎撃します。これは緊急クエストです。どうか、皆さんのお力を貸してください」
アルフレッドさんの声に、冒険者一同は「おおおおお!!」と士気を高めて雄叫びを上げた。ビリビリと空気を揺るがすほどの迫力で、思わず身をすくませてしまう。
「5つの班に分かれて討伐にあたります。4つの班は王都の東西南北の門から出て、押し寄せる魔物を撃退してください。残る1班は、マリウッツ殿を中心とする精鋭で構成します。その討伐対象は、北の森の最奥に潜む強力な個体。今回のスタンピードの原因となるイレギュラーの討伐です」
私はチラリと壁際で静かに話を聞いている様子のマリウッツ様に視線を移す。
マリウッツ様は腕組みをして壁にもたれているけれど、その瞳は固く閉ざされている。
イレギュラーって言われるほど、強力な魔物を相手にするんだよね……
実力的に一番危険な魔物を担当することは頷ける。
でも……怪我、しないで欲しいな。
いつものように、無表情を携えて、ドカッと魔物解体カウンターに魔物を持ち込んできてほしい。
私が心配するようなことではないのかもしれないけれど、最前線を任される彼の無事を祈らずにはいられなかった。
その後もアルフレッドさんが細かく指示を出し、準備の調った冒険者たちから続々とギルドを出立していく。
「サチ」
「ドルドさん……大変なことになりましたね」
半ば放心しながら冒険者たちを見送っていた私に、声をかけてくれたのはドルドさんだった。
「ああ。スタンピードなんざ何十年ぶりだろうな。まあ、安心しろ。初めてのことでもねぇし、冒険者どももやわじゃねぇ。アルフレッドの指揮も的確だし、それに何よりマリウッツがいる。奴に任せておけばいかに強力な個体とはいえ、敵うはずがねえさ」
「そうだといいんですけど……」
私にとっては初めてのスタンピード。
どれほどの被害がもたらされるのか、未知数で、恐ろしい。
「まあ、俺たちはいつも通り仕事をするだけだ。スタンピードとなれば大収穫祭に匹敵するほど大量の魔物が持ち込まれるぞ! 気合い入れとけ!」
「は、はいっ!」
バシッと背を叩かれて、私は気合を入れ直す。
ドルドさんに続いて魔物解体カウンターに向かおうとして、もう一度だけマリウッツ様を振り返った。
「ぎゃっ!」
「なんだ、人を化け物のように」
振り返ったずっと先にいるはずのマリウッツ様が、なぜか背後に立っていて、私は思わずカエルを踏み潰したような声を出してしまった。そのことに不服そうに眉を顰めるマリウッツ様。いつものようにその視線は鋭い。
「す、すみません……えと、マリウッツ様も出立されるのですか?」
「ああ。森の最奥となると数日はかかる。準備が調い次第出立する」
「そう、ですか……」
その実力から最前線を任されたマリウッツ様。飄々として見えるけど、最も危険な場所に向かうんだよね……
「きっと、無事に帰ってきてくださいね。あなたが仕留めた魔物は私が解体するんですから!」
私は胸に渦巻く不安な気持ちを吹き飛ばすように、あえて明るく言った。
マリウッツ様は驚いたように目を見開くと、僅かに相好を崩した。
なぜか、どきりと胸の奥が軋んだ気がした。
「ふ、待っていろ。とびきりの獲物を仕留めてきてやる。……だが、高ランクの魔物は解体できないのだろう?」
「うぐ……お、お手伝いぐらいはできます!」
図星を指されてたじろいでいると、ポンッと頭に軽く手が触れた。
「お前の腕は信頼している。俺が帰るまで倒れるんじゃないぞ」
いつもの凍てつくような声音ではなく、どこか優しさの滲む声に、瞳が揺れる。
頭に手が触れたのは一瞬のことで、マリウッツ様は颯爽とギルドの出口へと向かっていった。
「あ……い、いってらっしゃい! 気をつけて!」
我に帰った私は、マリウッツ様の背に向かってそう言うので精一杯だった。
マリウッツ様は振り返ることなく、けれどひらりと片手を上げて私の声に応えてくれた。




