第136話 ドキドキお宅訪問
マリウッツさんのお家は、ギルドから程近い場所にある。
住宅街に入ってすぐの一等地にある二階建てで貸家らしい。一人でゆっくり過ごすために戸建てにしたんだって。
夜なのでぼんやりとしか分からないけれど、洗練されたシンプルな外観のお家だ。
マリウッツさんらしいなあ、なんてぼんやり考えながら見上げていると、クンッと手を引かれた。
「何もないつまらない家だが、入ってくれ」
「お、お邪魔します」
マリウッツさんはいつにも増して口数が少ない。
緊張しているのは私だけじゃない、のかな……?
なんてことを考えながら、恐る恐る中に足を踏み入れる。すぐにマリウッツさんが灯りを点けてくれた。
「わあ……!」
室内は物が少なく落ち着いた雰囲気をしている。
こちらの世界のお家は、玄関で室内履きに履き替える文化でとても親しみ深い。土足で入るのはなんか落ち着かないもんね。
マリウッツさんが予備の履き物を出してくれたので、ありがたくお借りする。ブカブカだわ。
カポカポさせながら中に上がると、すぐにリビングだった。コンパクトなキッチンは綺麗に片付いている。
そして部屋の真ん中にはローテーブルとソファが置かれていた。ソファはゆったりしたサイズで、三人は座れそう。
私の視線に気づいたマリウッツさんが、「ああ」と一つ頷いた。
「横になれるサイズのものを買った。寝室に上がるのが煩わしい日はここで寝ることもある」
「なるほど……それは最高ですね」
社畜時代は持ち帰った資料作成で夜遅くまで作業することもしょっちゅうだったなあ。ワンルームの広いとは言えない部屋だったから、こたつと座椅子を愛用していたのよね。よくそのまま座椅子で寝落ちをして翌朝身体がバキバキになったことが懐かしい。
このソファだったら寝落ちをしてもぐっすり快眠できそうだわ。
手を洗い、カバンを部屋の隅に置かせてもらって、促されるがままにソファの端にちょこんと腰掛ける。
マリウッツさんはボトルワインとつまみの干し肉を取り出して、ローテーブルに並べてくれた。ボトルにはラディッシュベリーのラベルが貼られている。
「ありがとうございます」
「ああ」
コツ、とガラスのコップが前に置かれたので、お礼を言ってワインを注ぎ合った。
マリウッツさんは今日クエストには出ていないので、黒の長袖にスラックスというラフなスタイルをしている。
お家に上げてくれたことといい、服装のことといい、随分と気を許してくれているんだなあと嬉しい気持ちとむず痒い気持ちで胸がいっぱいになる。
少し距離を空けて、マリウッツさんもソファに深く腰掛けた。
ソファがグッと沈んでドキリと胸が高鳴ってしまう。
うう、隣に座っただけなのに、妙に構えちゃう……! 平常心、平常心……!
お互いに黙り込んだまま、ちびちびとワインを口に運ぶ。
しばしの沈黙の後、さっきのことを聞いてもいいかな、とマリウッツさんの様子を窺う。
すると、こちらを見ていたらしいマリウッツさんとパチリと目が合ってしまった。
「あっ、えっと、ギルドの前にいた男の人が言ってた王子って……マリウッツさんのこと、なんですか?」
目が合ってびっくりした拍子に、ずっと聞いていいのか悩んでいたことがポロリと口からこぼれ出てしまった。しまったと思って片手を口元に運ぶがもう遅い。私のおバカ!
マリウッツさんは表情を変えずに、じっと私の顔を見ている。
「……昔の話だ」
マリウッツさんはグイッとグラスを傾けてワインを飲み干してから、吐息を漏らした。胸の内に燻っていた何かと共に吐き出したようにも見えた。
「俺が生まれた国は、ドラグア王国という。フィードラシア大陸を北上した先にある小さな島国だ」
「ドラグア王国……」
私は頭の中でこの世界の地図を広げる。
ここドーラン王国やお隣のサルバトロス王国がある大陸がフィードラシア大陸だよね。大陸の北の海を渡った先が、確か梨里杏たちが目指している魔王がいるとされる大陸。その北の海にいくつか点在している島があったような。
「俺はその国で、第二王子として生まれた。だが、王子としての俺はもう死んでいる」
マリウッツさんは空いたグラスをローテーブルに置き、膝に肘をついて両手を硬く握り締めた。
「俺が国を出たのは、十年以上も前の話だ。俺はもうあの国とは無関係だ。それを今更……」
マリウッツさんはそう言ったきり口を噤んでしまった。
十年以上前、マリウッツさんの身に何があったのだろう。
マリウッツさんは過去を思い出しているのか、見たことのないような苦悶の表情を浮かべている。私は思わず、硬く握り締められた拳にそっと手を重ねた。
「サチ……」
話して楽になるのなら、私はいつだってマリウッツさんの話を聞く。でも、話したくないことを無理に聞くつもりはないし、安易な気持ちで彼の過去に踏み込んではダメだとも思う。
私は少しでもマリウッツさんが安らげるように、ニコリと微笑んだ。
「すまない、昔のことはあまりいい思い出がなくてな……いつか、折り合いがつけれる日が来たら、聞いてほしい」
「もちろんです」
マリウッツさんはようやく、僅かに笑みを浮かべてくれた。




