第127話 展望台にて
「泣きすぎだろう」
「だってえ……感動しちゃって」
ハンカチを握りしめ、ズビズビ鼻を啜る私を呆れたように見るマリウッツさん。
とんでもない爆弾発言をされたため、観劇に集中できなくなったらどうするんだと思っていたけど、めちゃくちゃ良かった。ものすごい集中して観てた。世界観に入り込みすぎてボロ泣きですわ。
今日の演目は、王女と護衛騎士の恋物語だった。
伯爵家の三男である護衛騎士は、ずっと王女を想い続けていた。王女もまた、護衛騎士を愛していた。
けれど、王位継承権第一位の王女はいずれ女王として国を治める身。伯爵家の三男では到底その隣に立てない。身分の差が二人の恋路を邪魔していて、護衛騎士は身を引こうとする。
そんな時、戦争が起こって二人は離れ離れに。護衛騎士は夢中で敵を薙ぎ払い、王女の窮地に駆けつける。敵も味方も入り乱れるものすごい戦闘を経て、戦争は王国の勝利に終わり、護衛騎士は武勲を立てたことで褒美を授かることになる。
彼は王女を所望し、王女もまた彼を所望する。王女は王位継承権を放棄して、女公爵となり、護衛騎士を伴侶に迎えることになるというハッピーエンド。
途中で王女の婚約者候補の王子が出てきたり、横恋慕するご令嬢が出てきたりとハラハラするストーリーだった。
殺陣っていうのかな? 戦闘シーンは手に汗握ったし、王女に凶刃が向けられた時はもうダメだと思って目を閉じちゃったもん。
興奮冷めやらない私は、昼食を摂るために入ったカフェに着くや否や、どこに引き込まれてどこが感動したのかを鼻息荒く語った。
マリウッツさんは口元に微笑を携えつつも、少し眉間に皺を寄せて複雑そうな表情をしていた。
あ……そういえば、マリウッツさんって王族嫌いだったっけ。
開演前に今日の演目について尋ねると、「詳しくは知らないが、一番人気らしい」としか言っていなかったので、内容について事前に知らなかったみたいだったし……国家の話や王族のしがらみ、戦争なんて内容は好みじゃなかったのかもしれない。
詳しく話を聞いたことはないけど、なんで王族が嫌いなんだろう?
Sランク冒険者だから、王家から直々にクエストの依頼を受けたこともあるだろうし、過去に揉めた経験があるとか?
ドーラン王国に関していえば、私や梨里杏を強引に召喚したり、おまけで呼ばれた私を無下にしたりと、マリウッツさんも何かトラブルに巻き込まれたことがあっても不思議じゃないわ。ブライアン王子だって、悪い人ではないけど……随分と偏った考え方をしていたし、サルバトロス王国でも、リリウェル王女に酷い目に遭っていたもんね。
うーん、これは歌劇の内容から話題を変えた方が良さそう。
「えーっと、あ! 衣装、とっても可愛かったですね!」
舞台衣装だから当たり前と言われれば当たり前なんだけど、遠くからでも映えるデザインのドレスや騎士服はどれもキラキラしていて素敵だった。
思い返してうっとりしていると、マリウッツさんは不思議そうに首をもたげた。
「そうか? ゴテゴテし過ぎて動きづらそうだったぞ。それなら、今日のサチの装いの方がずっと可愛いと思うが」
「ヒュッ」
こ、この人はサラッととんでもないことをおっしゃる……!
マリウッツさんの言葉は真っ直ぐすぎるので、たまにこうして不意打ちを喰らってしまうから困ってしまう。
消え入りそうな声でなんとかお礼を言ったタイミングで料理が運ばれてきたのでホッと息を吐いた。
その後、デザートまで堪能した私たちは、少し胃を休ませてからブラブラと街を散策することにした。
なぜか私の手はしっかりとマリウッツさんに握られている。カフェを出る時に自然と握られてしまい、あまりの自然さに何もリアクションできなかった。
相変わらず緊張はしたものの、気になる店があったら足を止めて店頭を覗いたり、中に入ったりして楽しく過ごした。
でも、観劇後からマリウッツさんは時折心ここに在らずといった様子で何やら考え込んでいる。何か嫌な記憶でも呼び起こしてしまったかと心配になったけど、声をかけると微笑みかけてくれたので、深くは問わないことにした。
そして、少し日が傾き始めたおやつ時、私たちは再び王立歌劇場の前までやって来た。
歌劇場の隣には、大きな時計台がある。展望台も設置されていて、王都の街並みを見渡せる人気の場所なんだって。こっちの方にはあんまり来ないから、遠目にしか見たことがなかったけど、真下から見ると本当に高い。
時計台の中には昇降機があって、展望台まで一気に登ることができた。元いた世界のエレベーターみたいな感じね。
「わあ……!」
昇降機を降りて展望台に出ると、視界いっぱいに王都の街並みが広がっていた。
空は雲ひとつなく晴れ渡っていて、時折頬を撫でる風が心地いい。
「綺麗ですね」
「そうだな」
柵に手を置いて、しばらく景色に見入ってしまった。
ふと、視線を感じて隣を見ると、風に濃紺の髪を靡かせたマリウッツさんが、ジッとこちらを見ていた。吸い込まれるようなアメジストの瞳を見つめ返すと、マリウッツさんが静かに口を開いた。
「サチには、恋人はいるのか?」
「ええっ!? いたらマリウッツさんと二人で出かけたりしませんけど!」
っていうか、今更ですか!? こっちの世界に来てからの私をよく知っているはずだから、恋人がいないことぐらい見ていたら分かるはずでは? あああ、自分で言ってて辛くなってきた。
「そうか」
愕然とする私に対し、ちょっと嬉しそうなマリウッツさん。なんなの。
ムッスリしながらマリウッツさんの言葉を待つ。
マリウッツさんは視線を王都の街並みに投げた。
「今日の歌劇を見て……考えていた。サチの横に他の男が立ち、親しげにしていたら、と。想像をしたら、胸が張り裂けそうになった。サチが笑ってくれれば、幸せであるならそれでいいと思っていたのだが」
……だが、何?
一体何を言おうとしているの?
ドクンドクンと、心臓がうるさい。
マリウッツさんは瞳を伏せてから、再び顔を上げて私を見つめてくれる。
「これからは、積極的に口説いていくことに決めた」
「え」
誰に、何を。
熱を孕んだマリウッツさんの瞳に見据えられて動くことができない。
……そんなの、都合よく解釈してしまいますけれど。
「え、えっと、それって……」
真意を問いたいけれど、声が震えてしまう。
いつも優しい眼差しを向けてくれるのはなぜ?
誕生日に誘ってくれたのはなぜ?
口説くってなに、どういうこと?
もしかして、マリウッツさんも――?
そんな期待と、都合のいい勘違いだったらどうしようという不安が胸の中でせめぎ合っている。
「俺は誰にでも優しくしないし、こうして外出に誘うこともない。そうしたいと思うのは、サチだからだ」
マリウッツさんの言葉は、ただひたすらに真っ直ぐだ。
「仕事柄、そして立場上、ランクが高く危険な魔物を相手取ることが多い。昔の俺だったら、冒険者として戦い、散ったらそれまでだと思っていたが……サチと出会ってからは、必ず生きてサチの居る魔物解体カウンターに行くのだと、強くそう思うようになった」
胸が詰まって、どうしてか熱いものが込み上げてくる。
涙が溢れそうで、俯いてしまいたいのに、マリウッツさんの瞳から目を逸らすことができない。
「――サチ、俺の帰る場所になってはくれないか?」
マリウッツさんが何か大事なことを言ってくれたであろう正にその瞬間、耳を劈く鳴き声が響いた。
咄嗟に目を閉じ、耳を塞ぎたくなるほどの大きく高い鳴き声。
一体何事? そう思い、薄っすらと目を開けると――雲ひとつないはずなのに、大きな影が、私たちの足元に広がっていた。
マリウッツさんがバッと頭上を見上げ、私もつられて天を仰ぐ。
遥か高く、頭上を何かが滑空している。
「ギェェェェェェッ!!」
「まさか……渡りか?」
空を飛び交っていたのは、大きな翼を目一杯広げた無数の魔物だった。




