第122話 真っ白な世界で ◆前半マリウッツ視点
何もない真っ暗な世界で、何度も繰り返される過去の後悔の記憶。
もしも、あの時――
もしも、ああしていれば――
今更悔やんだところでどうにもならないのに、自責の念に囚われていく。
どれぐらいそうしていただろう。
不意に、赤みを帯びた一筋の光が差し込んだ。
縋るように手を伸ばし、手が暖かな光に触れたその時。
突然、世界の色が反転した。
眩いほどの白の世界。
その中心で、かつての友がこちらに笑いかけている。
あの時聞けなかった、聞くのが怖かった言葉の続きが頭の中に流れ込んでくる。
――ああ、そうか。そうだったのか。
これは夢だ。
お前はもうこの世にはいない。もう二度と、会えないはずだから。
だが、長きに渡り冷たく凍りついていた何かがゆっくりと溶けていくような、心に重くのしかかっていたものがなくなっていくような、そんな感覚がした。
「はあ、やっと誤解が解けたな」
クルトは両手を後ろで組みながら、笑った。
太陽のように眩しい、いつものあの笑顔だ。
「俺が死んだのはマリウッツのせいじゃない。俺が力不足だっただけだ。ずっとお前に言われていた戦闘時の癖を直そうとしなかったからだ」
クルトは肩を竦めながら話を続ける。
「まさか、Cランクのクエストでケルベロスと対峙するなんて思わなかったよなあ。運悪すぎんよ。でも、冒険者に危険はつきものだ。冒険者を志すからには、それなりの覚悟がいる。俺も、リーリアとソリドも、分かっていたようで分かっていなかった」
声をかけたいのに、どうしてか言葉が出てこない。
クルトが一方的に語りかけてくる言葉を聞くことしかできない。
「マリウッツ一人だったら、たとえ魔狼が何頭いようが、ケルベロスがいようが、難なく切り抜けられたんだろうなって思ったらさ……弱い自分が不甲斐なくてつい、あんなこと言っちまった」
俺はただ静かにクルトの言葉を待った。
クルトはゆっくりと腕を下ろし、真っ直ぐに俺を見据えた。
「ごめんな。夢喰いを生んだのは、俺の心残りなのかもしれない。だからその原因であるマリウッツに引き寄せられたんだと思う」
夢喰い。その魔物の名は聞いたことがある。
そうか、共同墓地で俺を襲ったのは夢喰いだったのか。
「俺はさ、お前をパーティに誘わなければよかったなんて一度も思わなかったよ。今も思っていない。お前と旅した一年間、すっげえ楽しかったよ。マリウッツとパーティを組めたことは、俺の誇りだ」
クルトの言葉で、彼らと過ごした明るく賑やかな日々が鮮明に甦った。
言葉数が少なく、表情も乏しい俺に根気強くぶつかってきたクルト。
俺の抱える過去を詮索せずに、ありのままを受け入れてくれたことに、どれほど救われただろう。
「お前はずっと俺の憧れであり、目標だ。だからさ、過去に……俺なんかに囚われてちゃダメだろ? 俺の死は俺自身の責任だ。偉そうな態度で、いつも余裕でいて……それがマリウッツじゃん」
随分な物言いだ。
けれど、ようやく過去と折り合いをつけて足を踏み出すことができそうだ。
真っ白な世界を照らす光がだんだん強くなっていく。
眩すぎて、逆光となったクルトの表情が見えなくなっていく。
「そろそろ行かなきゃ。じゃあな、マリウッツ。お前はいつも仏頂面で目つきも悪いし、何考えてるか分かんねえけどよ、少しずつでも笑える日が増えるといいな」
いつか言われた言葉に目を見開く。
「そうそう、マリウッツはさあ、分かりにくいんだから、相手に伝えたいことがあるならきちんと言葉にして伝えろよ。俺みたいに伝えられずに後悔することになるからよ」
最後にそう言い残し、クルトの姿は見えなくなってしまった。
伝えたいこと? 誰に、何を?
もう他者との関わりは不要だ。
一人でずっと、この先も生きていけばいい。
クルトの墓石を前にそう誓ったはずなのに――
『マリウッツさん!』
媚も諂いも、畏怖も躊躇いもない無垢な笑顔。
ああ、そうだ。
塞ぎ込んだ俺の世界を、固く閉ざしていた心の扉を、開いてくれた人がいる。
会いたい。今、無性に君に――
俺は目も開けられないほど強い光に向かって手を伸ばした。
◇◇◇
「うっ」
マリウッツさんが呻き声をあげ、ゆっくりと目を開けた。
「だ、大丈夫ですか?」
虚な目が宙を彷徨い、ゆっくりとマリウッツさんは私をその瞳に映した。
「サチか。ああ……長い夢を見ていたようだ。奇妙な夢だった」
マリウッツさんは右腕で顔を覆い、深く息を吐き出した。
本当によかった。いつものマリウッツさんだ。
マリウッツさんが、目を覚ましてくれた。
マリウッツさんはゆっくりを腕を下ろしてから、腕を支えに上半身を起こした。慌てて枕を背中の後ろに差し込むと、マリウッツさんは枕に背を預けて僅かに微笑んだ。
「眠っている間……なぜだか無性に、サチに会いたかった。ずっと側にいてくれたのだな。ありがとう」
マリウッツさんの言葉を聞き、ぶわりと胸の奥から何かが込み上げてきた。
張り詰めていた緊張と不安の糸がプツリと切れてしまい、途端にボロボロと目から涙が溢れてくる。感情がぐちゃぐちゃでコントロールできない。
「なっ……」
「ふっ、うう……マリウッツざんんん」
突然号泣する私を見てギョッと目を剥き狼狽えるマリウッツさん。私はお構いなしにマリウッツさんの胸に飛び込んだ。
「うっ、本当に……よがっだよ〜〜〜心配したんですから〜〜〜」
マリウッツさんに縋り付きながらわんわん泣く。
子供のようだと笑われても構わない。本当に心配したんだから、これぐらいは大目に見てほしい。
マリウッツさんは躊躇いながらも、あやすように私の頭を撫でてくれる。温かくて優しい、いつもの手。
それがまた涙を呼んで、私はしばらくマリウッツさんの胸の中で泣き続けた。
アルフレッドさんが私の背中を寂しげに見つめ、静かに医務室を立ち去ったことには気が付かずに――




