第121話 記録の補完
目まぐるしく流れていた映像が徐々に遠のき、空に引き上げられていく感覚に襲われて――気づけば元いた医務室の景色に戻っていた。
「あ……」
呆然としながら頬に手を添えると、そこはしっとりと濡れていた。
知らないうちに涙を流していたらしい。
マリウッツさんがソロの冒険者を貫いてきた理由を知り、どうしようもなく胸が締め付けられた。
きっとマリウッツさんには、クルトさんの本当に伝えたかった言葉は……
「ああ、最後の言葉はこの坊やに届かなかったんだろう。だからこそ、この子は友の死の責任をずっと胸に抱き続けている」
私の気持ちを代弁するように、静かな声音でヴァイオレットさんが告げた。
マリウッツさんはずっと自分を責め続けてきたのだろうか。
冒険者は死と隣り合わせの危険な職業だ。
かつて冒険者であり、辛い過去を持つアルフレッドさんは、マリウッツさんの気持ちがよく分かるのだろう。鎮痛な表情をして両手を握りしめている。
重い空気を破ったのは、ヴァイオレットさんのよく通る声だった。
「さて、ちいと荒療治をするよ」
ヴァイオレットさんが人差し指を立てると、その指先に赤い光が集まっていく。
何をするつもりかと、私とアルフレッドさんは赤い光の灯る指先をただジッと見つめている。
「アタシは過去の事実に基づき、対象の記録を補完することができる。アタシがこの子の友人の言葉をしっかりと書き込む。そうすればきっと、夢喰いとの繋がりが薄まるだろうさ。折り合いをつけられるかどうかは、この坊や次第だけどね。あとは――任せるよ」
ヴァイオレットさんはチラリと私に視線を向け、すぐにマリウッツさんに視線を戻した。
しゅるしゅるっと空気中に何かを記すように滑らかに指が動き、赤い光の軌跡が宙を漂う。
ヴァイオレットさんは、何か文章のようなものを紡ぎ終えると、最後に軽く指を振った。
光の文字の羅列が吸い込まれるようにマリウッツさんの身体に染み渡っていく。
そして、マリウッツさんの身体が淡い光を放った。
「これでよし。じゃ、アタシは行くよ」
「えっ、あ……ありがとうございました!」
パンパンッと手を叩いたヴァイオレットさんは、来た時同様颯爽と医務室を横切って扉へと向かおうとして、私の前で足を止めた。
「いいかい。その時々の気持ちは、しっかり言葉に残しておきな。言いたい時に言わなきゃ、そのうち言えなくなっちまうことだってある。さあ、坊やと夢喰いとの繋がりが弱まったはずさ。夢喰いはアンデッド系の魔物だ。あんたのスキルであとはどうとでもなる。あとは……言わなくても分かっているね?」
優しい声でそう言うと、ヴァイオレットさんは私の頬を撫でた。
「はっ、はい!」
「ふふ、いい返事だ。今日のこともしっかりと記録しておくとするよ」
力強く返事をすると、ヴァイオレットさんの真っ赤な唇が満足げに弧を描いた。
そしてヴァイオレットさんはカツカツとヒールの音を鳴らしながら医務室を出て行ってしまった。嵐のような人だった。
「まったく、自由なお人ですね……ですが、彼女のおかげでマリウッツ殿の抱えるものを知ることができました。彼は怒るかもしれませんが」
アルフレッドさんは困ったように眉を下げてから、真っ直ぐに私を見据えた。
「では、サチさん、お願いできますか?」
「もちろんです!」
私は医務室を飛び出して魔物解体カウンターに戻ると、愛用のオリハルコンのナイフを手に駆け戻った。ドルドさんが驚いていたけれど、事情は後で説明させてもらおう。
医務室に戻り、マリウッツさんが横たわるベッドの傍らに立つ。
アルフレッドさんとピィちゃんが見守る中、私は深く息を吐いた。
「いきます。【遺恨解放】」
ナイフを構えてスキル名を唱えると、マリウッツさんに絡みついた禍々しい靄が現れた。
レイスの未練を断ち切った時や、【天恵解放】の時とは明らかに違う、黒く澱んだもの。これが、マリウッツさんを苦しめているのだと思うと、沸々と怒りが込み上げてくる。
靄の残滓は、医務室の窓の外に続いている。方角で言うと、共同墓地の方面だ。
つまり、やはり夢喰いの本体は共同墓地に潜んでいるのだろう。
「アルフレッドさん。多分、夢喰いはまだ共同墓地にいます!」
「! 分かりました。引き続き調査を進めるように指示を出しておきましょう」
アルフレッドさんは頷くと、医務室の扉を開けて外にいた職員に何か指示を出した。
私はマリウッツさんを蝕む靄に意識を集中させる。
「マリウッツさん、戻ってきてください」
私は願いを込めて、ナイフを振り、マリウッツさんと夢喰いの繋がりを断ち切った。
 





 
 
 
