第106話 アンのお悩み相談室
王都に戻って五日後。
ようやく休みが合ったので、私はアンと二人で半個室のカフェに来ている。
「アン〜〜〜」
「何よ」
「聞いて!!!」
席に通されるや否や、私は情けない声を出してアンに縋りついた。
アンはとても面倒臭そうな顔をしている。
私はお構いなしにロスマン湖での出来事を梨里杏のことも含めて細かく説明した。
「それでね、湖を背に立つマリウッツさんがキラキラして見えたの。何あれ。颯爽と現れて一太刀でシーサーペントを切り伏せちゃったんだよ!? 何者なの」
「Sランク冒険者様だわねえ」
「帰りの馬車も長かった……! 近いの! なんで私の隣に座るの!? ローランさんの隣じゃダメだったの!? いや、スペース的に無理か……それにしてもさあ!」
身振り手振りで訴える私を、アンがニヤニヤしながら見つめている。
心なしか、注文したシフォンケーキを運んでくれた給仕の人の目も温かかった気がする。
「やれやれ、鈍チンのサチもようやく自覚したってことね? うふふ、そっかあ。優勢かしらとは思っていたけど、マリウッツ様に軍配が上がったってわけね。大丈夫かしら、あの人」
「ん? 誰のこと?」
「ううん、こっちの話」
アンはフォークでシフォンケーキと生クリームを掬いながら誤魔化した。どっちの話よ。
私も勢いよく喋って喉が渇いたので、アイスティーで喉を潤してからシフォンケーキにフォークを入れた。うわっ、ふわっふわだわ。
「マリウッツさんのことを考えると、わああ! って叫びたくなるんだけど。ねえ、何これ。わ、このシフォンケーキ美味しいね」
「知らないわよ。シフォンケーキは最高ね」
「うう、親友が冷たい。私を満たしてくれるのは甘味だけだわ……」
メソメソしていると、露骨なため息が返ってきた。
仕方がないわね、と言うようにアンが口を開く。
「それで、サチは何に困っているわけ?」
「全部だよ! マリウッツさんを前にするとそわそわして落ち着かなくて……」
そう、ロスマン湖から帰ってきて日々の業務に戻っている私のもとへは、これまで通りマリウッツさんが討伐した魔物を運んでくる。
カウンターに立っているのは基本的にドルドさんだけど、マリウッツさんが視界に入ると胸がギュッてなると同時に顔のパーツが中央にギュッと寄ってしまう。その状態で目が合おうものなら、マリウッツさんに物凄く怪訝な顔をされてしまって居た堪れなくて仕方がない。
テンパってしまっていつも天気の話題を振ってしまうのも辛い。
「ねえ……私、今までマリウッツさんとどんな話してたっけ?」
「知らないわよ」
うう、やっぱり親友が冷たい。
「まあとにかく、まずはその気持ちをサチ自身が受け止めるところからじゃないの?」
ですよね。
でも、肝心なことが分からないから困っているのよ。
「……ねえ、これって好きってことなの? 好きって何?」
「え、なに? 急に哲学?」
異性に対してこんな気持ちを抱くのは生まれて初めてのこと。今私の胸の中で荒れ狂っているこの気持ちが、果たして恋なのか否かが分からない。
だって、彼氏いない歴イコール年齢の恋愛超初心者なんだよ!?
アンさん、恋のいろはを教えてください!
「私も殿方とお付き合いしたことはないわよ?」
「ええっ!?」
花の受付嬢であり、いつも差し入れや貢物を貰っているアンのことだから、恋愛経験もさぞかし豊富なのだと思っていた。まさか、アンも私と同じだったなんて……!
密かに仲間意識を抱いている私に対し、アンは頬に手を添えて物憂げにため息をついた。
「まあ、好意を寄せてくれる人は今までもいたんだけど……ほら、パパが、ねえ?」
「あー……」
察した。私は全てを察しました。
困ったように眉を下げるアン。
確かにオーウェンさんにビビってアンに告白する猛者は少なそう。
「そういえば、最近オーウェンさんを見かけないけど、また調査に行ったの?」
「そうなの。でも、今回は近場よ? 当面国を跨いでの調査は控えろって各方面から釘を刺されたらしいから。でもずっと書類仕事できるような人でもないし、サブマスターの隙をついては調査に出ているわよ」
「強い」
オーウェンさんに振り回されるアルフレッドさんの様子が目に浮かぶようだわ。
オーウェンさんが戻ってきてから、少しは書類仕事の負担が軽くなったと言っていたけど、空いた時間はオーウェンさんを見張る労力に充てられている様子なので、果たしていいのか悪いのか。
「まあ、何やかんやでうまくやってるみたいよ」
「そう、ならいいんだけど……」
アルフレッドさんは仕事人間だからなあ。
無理をしていないか心配だわ。今度見かけたらお昼に誘ってみようかな。
なんて考えていると、アンがジッとこちらを見ていることに気がついた。
「サチは自分の気持ちにもだけど、自分に向けられる想いにも疎いんだから」
「え?」
どういうこと?
詳しく話を聞く前に、先にアンが口を開いた。
「まあ、湖のことがきっかけで一気に自覚したんだろうけど、これまでしっかりと気持ちが積み重なってきての今だと思うわよ。マリウッツ様がサチのことを気にかけているのは間違いがないんだから、積極的にアプローチしてみたら?」
「アプローチ!?」
何それ美味しいの。
「今何か変なこと考えたでしょう。アプローチといえば、デートに誘うとか……さりげないボディタッチとか?」
「無理無理無理無理」
「このヘタレめ」
そんなこと言われても、今は話をするのもいっぱいいっぱいなんだから、アアアアアアプローチなんてできるわけないじゃない!
顔を真っ赤にして口をパクパクさせていると、アンがフッと微笑んだ。
「とにかく、マリウッツ様と今後どうなりたいかを考えてみたら?」
「どうなりたい……」
そう言われて、私はアイスティーが入っていたグラスに視線を落とした。
マリウッツさんとどんな関係になりたいか……
マリウッツさんが仕留めた魔物を解体したり、ナイフの訓練に付き合ってもらったり、たまに一緒に食事をしたり、他愛のない話をしたり……今までと変わらず、そうして過ごすことができるだけで幸せだと思う。
そう言うと、アンは不敵な笑みを浮かべた。
「そのうち欲が出てくるわよお」
「え、やだ。怖いこと言わないでよ」
「ふふっ、じゃあ……せっかくサチが打ち明けてくれたんだもの。私の話もしちゃおうかな」
なんの脈略もなく突然投下された爆弾に、危うく咽せるところだった。
「え、もしかしてアンもいい人がいるの!?」
「さあ? どうかしらねえ」
これはいる。絶対にいる。
え、誰だろう? 私の知っている人?
そもそもアンの好みのタイプってどんな人だろう。
「実はこのあと、少しだけ遊びに行く約束をしているのよ」
「えっ!?」
確かに、今日アンを誘った時、お昼間だったら大丈夫だと返事をもらったんだった。この後に予定が入っていてもおかしくはないけど、まさか、ええっ!?
プチパニックの私を差し置いて、当のアンは「すみませーん」と給仕の人を呼んでお会計を頼んでいる。
いやいや、聞きたいことがたくさんあるんだけど!
とにかくお会計を済ませてカフェを出て、アンとお相手との待ち合わせ場所へと向かう。
歩きながら、「誰?」「私の知ってる人?」などなど聞いてみたけれど、アンは笑ってはぐらかすばかりだった。
そして待ち合わせ場所だという噴水広場に到着し、私は見知った人物の姿を見つけた。
「あっ、アンさん! こっちっす!」
ん? ……えっ、ナイルさん!?!?
予想外の人物の登場に、思わず「えっ!?」と大きな声が出そうになって慌てて両手で口を押さえた。
いや、待てよ。そういえば前にもナイルさんのお家にお邪魔するほど家族ぐるみで仲良しになったって話していたような……ええっ!? 仲良しって、そういうこと!?
はわわ、と両手で口元を押さえて二人を交互に見つめる私を差し置いて、アンは小走りでナイルさんのもとへと向かっていく。私は慌ててその後を追った。
「ごめんなさい。待たせちゃった?」
「時間ぴったりっすよ! 俺が早く来すぎただけで……って、サチさん!?」
モジモジと照れくさそうに頭を掻いていたナイルさんが、私に気づいて目を見張る。そして恥ずかしそうに鼻を搔いた。
「ええっと……その、二人はお付き合いを……?」
とにかく状況を整理したくておずおずと尋ねると、ナイルさんが「えっ!」と顔を真っ赤にした。
「やだあ、付き合っていないわよ。今はまだ、ね」
「…………えっ!? 今はまだって……えっ、えっ、ええっ!?」
パチリと可愛いウィンクをしてみせたアンに対し、ナイルさんは両手で頬を押さえてキャーキャー言っている。乙女か。
「じゃあ、また明日、ギルドでね」
「あっ、お疲れ様っす!」
「あ、うん。じゃあ……」
完全にアンのペースに飲まれてしまったけれど、ナイルさんと並んで歩くアンの表情が優しい。ナイルさんも嬉しそうに表情を緩ませているし、さりげなく人通りの多い方を歩いてアンを守っている。
「えええ……そうなの?」
仕事にはたまに不真面目でサボり癖のあるナイルさんだけど、家族思いで心優しいお兄ちゃんだということは、私もよく知っている。
きっとアンも、ナイルさんのそういうところに惹かれたのかな。
「へええ……ふふっ、ナイルさん頑張って」
アンのパパは手強いわよ。
そう思いながら、二人の姿が見えなくなるまで見送った私は、ピィちゃんと食べる夕飯を買うために露店が立ち並ぶ通りへと向かった。




