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第102話 ブライアン王子

「まあ、せっかく旅の仲間がいるんだから、まずは腹を割って話してみたらいいんじゃないかな」


「うん……」


 昨晩と今朝、梨里杏としっかり話をしたおかげで、結構打ち解けることができたと思う。

 初対面は最悪だったけど、まだまだ子供だもんね。全く知らない世界で、知らない人に囲まれて、聖女に担ぎ上げられて不安を抱かないわけがない。


 年越し祭りで買ったペンダントをカバンに入れたままだったので、ちょうどいいなと思って梨里杏に一つ渡した。

 いつでも相談できる人がいる。そう思うだけで、随分と心が軽くなるもの。お守りとして持っていてもらえるといいな。


「じゃあ、朝ごはんを食べにいきましょうか。私も仕事があるし……げっ、結構ギリギリだわ」


「え、ごめんなさい。急ごう」


 時計を確認すると、昨日ローランさんと約束した時間が迫っていた。私たちは慌ただしく身支度を整えてから部屋の鍵を開けた。


「リリア! 無事だったんだね!」


「げっ、ブライアン……あなたすごいクマじゃない。もしかして寝ずにずっと廊下にいたわけ?」


 部屋の扉を開けると、ブライアン王子が廊下をウロウロしていた。梨里杏の言う通り、ずっと廊下にいたの?

 梨里杏は呆れたように頭を抱えている。


 ふむ、梨里杏はみんなが自分を聖女としてしか見ていないって言っていたけど、本当にそうなのかしら。


 少なくとも目の前にいる少しヘタレそうな王子様は、純粋に梨里杏の心配をしてくれているように見える。


 廊下に出た梨里杏の様子を隈無く確認し、無事だと判断したのか安心したように息を吐き出した。


「よかった……何もされていないようだね。流石に淑女の部屋に押し入ることはできないからさ。少しでもおかしな様子があれば突入できるようにと控えていたのだけど、杞憂でよかった。顔色も随分と良くなったね。心なしかスッキリしたような表情をしている」


「あら、ブライアン。あなた意外とよく見ているのね」


 そう言ってからかう梨里杏だけど、なんだかちょっと嬉しそう。


「当たり前だろう。僕にとって梨里杏は女神も同然なのだから」


 あ、一転して白けた目をしているわ。仕方ないか、今のブライアン王子の目は崇拝に近い熱を灯しているものね。前言撤回。


「さ、下で食事にするわよ」


「あ、待て!」


 きっともうローランさんが下にいるはず。私は二人を置いてさっさと廊下を進んでいく。


「ローランさん、お待たせしました。おはようございます」


「いえいえ、おはようございや……す!? ちょ、ちょちょ! ちょお!?」


 階段を降りるとすぐに手を振るローランさんを見つけた。側まで行って挨拶をすると、私の背後に視線を向けたローランさんがギョッと目を剥いた。

 ものすごい速さで手招きされたので、スススと耳を寄せる。


「なんでブライアン王子がここにいるんすか! え、もしかして隣の女性は噂の聖女様……?」


「なんででしょうねえ。私もびっくりしました」


「え、なんか当たり前のように同席してるんすけど……先に食べててよかったですぜ……王子殿下を前に食事が喉を通るわけがないですからね」


 梨里杏たちに視線を戻すと、ちゃっかりローランさんの対面に腰掛けて店員さんに注文をしている。いや、馴染みすぎでしょう。もう何日も滞在しているからか、周りのお客さんも全く気にした様子はないし。


 とりあえず、私もローランさんの隣に腰掛けてサンドイッチを注文した。 


 食事が運ばれてくるまでの間、なんとも気まずい空気が流れる。

 ブライアン王子はまじまじと興味深そうに私とローランさんを見ている。遠慮というものを知らないのかね。


「あー、ブライアン。この人はあたしと同じ世界から来たサチさん。ギルドで働いてるんだって。で、えーっと、こっちの人は……」


 痺れを切らしたように梨里杏が私のことを紹介してくれた。それからローランさんに視線を向けて戸惑いがちに私を見た。そっか、梨里杏もローランさんとは初対面よね。


「あっ、こちらはローランさん。魔物解体カウンターの同僚よ。ローランさん、この子は梨里杏。私と同郷なの」


「えっ、あっ、ローランっす。よろしくお願いしますっす」


 ローランさんったら、動揺しすぎてナイルさんみたいになってるわ。


「リリアと同郷……ああ、そういえば君の召喚に巻き込まれてやって来た者がいると報告があったね。そうか、あなたがそうなのか」


「ええ、そうです。なんのお伺いもなく強制的に巻き込まれてやって来ました」


 ブライアン王子は悪びれる素振りもなく、一人納得したように頷いている。


 こいつ、謝罪の一言もないのか。

 ピキッと眉間に青筋が浮かぶけれど、私は大人なので笑顔を貼り付けて対応する。少しの嫌味ぐらいは許されるよね。

 ニコニコしていると、隣のローランさんが居心地が悪そうに身じろぎした。


 ブライアン王子の態度に、梨里杏も呆れた様子で頭を押さえている。


「はあ、ブライアン。せめて形だけでも謝罪しなさいよね。サチさんはあたしの召喚に巻き込まれて連れてこられたんだから」


「ありがと、梨里杏。まあ、そもそもあなたが召喚されたこともどうかと思っているわよ、私は」


 このタイミングで食事が運ばれてきたので、手を合わせてから卵焼きが挟まったサンドイッチに齧り付いた。うん、美味しい。美味しいものを食べたら、トゲトゲした気持ちがちょっと落ち着いたわ。


 一方のブライアン王子は、腕組みをしながら思いっきり首を傾げている。四十五度は傾いてるわ。傾きすぎじゃない? そんなにおかしなことを言ったかなあ。


「聖女召喚が不服かい? どうして? 僕たちの世界の平和が脅かされているんだよ? 世界を跨いで救世主を呼び寄せることも致し方ないだろう? リリアも聖女として歴史に名を残すことができる。それはとても名誉なことじゃないか」


 ……この脳内お花畑王子め。

 悪びれる様子もなく、それが正しいと疑いもせずに信じ込んでいる。

 せっかく前を向けそうだったのに、梨里杏も俯いちゃってるじゃない!


 分かったわ。きっと、元凶はこいつなのね。

 梨里杏に理想の聖女像を語って聞かせ、自分の思い描く聖女を無意識に強要している。こんなに期待と憧憬の篭った目で見られたら、そりゃ聖女として期待に応えるために頑張らなきゃって自分を追い詰めても仕方ないじゃない。そんなことも分からないのか。


 私は次のサンドイッチに伸ばしかけていた手を下ろし、ふしゅう、と息を吐いた。

 そして、キッとブライアン王子を睨みつける。王子がびくりとたじろいだ。


「あのですね、突然聖女召喚で呼びつけて、元の生活やその人の人生を奪っておきながら、致し方がない? 巻き添え食らった私のアフターフォローもなしにどの口が言っているのですか? 全部自分達の都合でしょうが。その上、身勝手な理由で梨里杏に役目を押し付けるあなたたちのこと、私は簡単に許すことはできないわ。この子は確かに聖女らしいけど、その前に一人の年頃の女の子なの。ただの女子高生だったの。いきなり知らない世界に一人呼び寄せられて……私もいたけど、まあ、ややこしいから置いといて。やれ魔王討伐だ、聖女様万歳なんて言われてみなさい。過度の期待は負担でしかないのよ。あなた、いずれ人の上に立つ人間なのでしょう? それぐらい分かりなさいよね! このポンコツ王子がっ!!!」


 シーーーーーーーーーン。

 酒場が水を打ったように静まり返る。誰もが固唾を飲んでこちらの様子を見ている。


 …………………………や、やってしまった〜〜〜〜!!!


 昨日に引き続き無礼を働いてしまった!

 相手は王子! ドーラン王国のトォップ! 消される! 不敬罪で消されるわ!

 闇の魔術とか暗殺部隊とか、なんかその辺を使われて消されるわ!

 自分が思っていたよりも聖女召喚を主導した王家に鬱憤が溜まっていたのかもしれないけど、言いすぎた!


 流石の梨里杏も呆れて……いや、笑いを堪えてるな。肩が震えてるもの。ローランさんは合掌して昇天している! 待って! まだ逝かないで!


 当のブライアン王子はというと、ポカンと口を開けて呆けている。

 え、今のうちに逃げてもいい? チャンス?


 チラッとローランさんに目配せをすると、視線の意味を察してくれたらしく、神妙に頷いてくれた。よし、逃げよう。


 ローランさんと目で合図を取り合って、よしいくぞ! というタイミングで、ブライアン王子が勢いよく立ち上がった。

 お、終わったーーーーーっ!!!

 さよなら、今世。来世は平和で穏やかな世界でのんびり暮らしたいです!


「…………驚いた。この僕にそこまで正直に本音をぶつけ、ましてや諌めるようなことを言う者は君が初めてだよ。そうか、そうだね。僕は自分の理想をリリアに押し付けていた。リリアの元の生活のことも、必要な犠牲だと正当化して、顧みようとしなかった。すまない、リリア。これからは一人の女性として、君と向き合っていきたい。そして共に成長し、いずれ魔王を討とう。そしてゆくゆくは……いや、それはその時まで取っておこう」


「ブライアン……うん、あたしも頑張る。ねえ、よかったらあたしの話を聞いてくれない? あたしがどんな人間で、どうやって今まで生きてきたのか。あなたに知ってほしい。話したいことがたくさんあるの」


「ああ、もちろんだよ。是非聞かせておくれ」


 お、おお……なんかいい雰囲気?

 盲目的で危なっかしいところはあるけれど、きちんと自分の非を認められる王子と、正義感が強くてしっかり者の梨里杏。うん、案外いいコンビなのかもしれない。

 ブライアン王子の意識改革にも成功したみたいだし、結果オーライでお咎めなしって解釈してもいいでしょうか?


「それで、サチと言ったね?」


 いい雰囲気だったので、フェードアウトしようと少しずつ後退りしていたのに、ブライアン王子がグルンと首を回してとってもいい笑顔を向けてきた。ひいっ!


「ええっと……サ、サチでございます」


 背中を冷たい汗が伝っていく。隣にいるローランさんの顔面も蒼白よ。倒れないでくださいね。


「そうか、サチ……いや、サチ嬢!」


「ん? サチ嬢?」


 キラキラした王子スマイルで身を乗り出してきたブライアン王子は、ガッシと私の手を握った。……はっ! 捕まってしまった!!


「昨日の一喝もそうだったけど、先ほどの言葉、雷に打たれたように脳天から足先まで衝撃が走ったよ……! 僕は第一王子として生まれ、勇者たるべく生きてきた。だからこそ、僕に間違っていることをハッキリと指摘してくれる者はいなかったんだ。サチ嬢……いや、姐さん!」


「マジで勘弁して」


 どうやらブライアン王子の変なスイッチを踏み抜いてしまったらしい。梨里杏が堪えきれずに吹き出した。


「あははははっ! サチさん、諦めて? ブライアンはこうと決めたら中々自分の考えを曲げないからさ。それにしても、姐さんね……プハッ。どこでそんな言葉覚えてきたのかしら」


「梨里杏〜〜〜!?」


 何が楽しいのか、クスクスとおかしそうに肩を震わせる梨里杏。


「姐さん! どうか、もっとお叱りの言葉を!」


 ブライアン王子もブライアン王子よ。そんなうっとりした目でこっちを見ないでよ!


「ああ、もう! 仕事だからそろそろ失礼します! ローランさん、行きますよ!」


「喜んで!」


 私は残ったサンドイッチを素早くハンカチで包んでから、ローランさんの腕を引いた。「待ってよ、姐さーん!」と追い縋ってくるブライアン王子を躱しつつ、私たちは昨日の作業場所である倉庫へと一目散に駆け出した。

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