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⑺『エンド・アンドロイド』
⑺『エンド・アンドロイド』
㈠
いつからだろう、アンドロイドのことを、アンドロイドだと、規定し始めたのは。確かに、アンドロイドはアンドロイド、この言葉の運びに、何ら異論もないし、無論、意見もあるまい。しかし何故か、立ち止まる自分が居る。
㈡
それはまさに、アンドロイドはアンドロイドだと、言い放ってしまうには、アンドロイドに失礼な気がしているということからなんだと思う。俺は懐疑する、アンドロイドにも、精神があるんじゃないか、という風に。
㈢
憐憫の情など、アンドロイドはいらない、というかもしれない。それはそうだろう、アンドロイドにもしも、意思があるのならば、聞いてみたいものだ、と、悲しくなって蹲る刹那、上方に太陽が上がった、俺はまだ、眠れない。