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⑷『エンド・アンドロイド』
⑷『エンド・アンドロイド』
㈠
アンドロイドの終わり、そんなことは考えまい。永劫なるアンドロイド、我々に次ぐ我々の、アンドロイド的アンドロイド、どこまで行っても、その絵画の様な芸術を描くのも、アンドロイドとしての、アンドロイド。
㈡
自立的アンドロイドは、アンドロイド界隈では、馬鹿らしいことも、アンドロイドとしての、アンドロイドだから、車中泊するんだろうな、アンドロイドは何といっても、アンドロイドだから、アンドロイドであって、然るべきなんだ。
㈢
難しいことを、また、標的者を作らずに、安穏と人生を人間は過ごしたいじゃないか。しかし、アンドロイドは、そうはいかないんだろうか。そうはいかないんだろうな。馬鹿らしい、言うことがころころ変わるって、アンドロイドだからじゃないか。