第45話 左目Ⅱ①
「あ、どうぞ」
ドアが開いて、暖斗くんの返事がした。この戦艦の防音はスゴイらしい。ドアが閉まってると各部屋の物音は、廊下にはもれてこない。
「浜さん。あらためて、ごめんね。僕のかわりに。ありがとう。退院なんだよね。怪我はもう大丈夫?」
「あ、はい。タンコ‥‥頭の打撲も順調だし、口の切れた所も、な、なんかカサブタみたいになって大丈夫な感じです。レ、レーザーで撃たれるって聞いた時『げえ!』って思いましたけど、治りが早くてびっくりです」
緊張して早口になってしまう。滑舌も気をつけなくては。
だけど、そんな昨日の状況の振り返りみたいなハナシは、すぐにネタ切れとなった。
やはり、話題が尽きるのは早かった。
「あ、『アンチエイジング恋愛術』‥‥ですか。変なタイトル」
私は、そう言ってしまってから、慌てて訂正と謝罪をする。暖斗くんは「でも確かに」と笑ってくれた。
「体験乗艦の直前研修の時に「紙の本を持参するように」ってあったでしょ? なんで? って思ったけど、こうしてネットが何日も使えないとこういう本もいい暇つぶしになるような。艦のライブラリは更新されないし、見尽くしちゃうしね」
「あ~。そうですか。わ、私も持ってきてますけど、全然読みませんね」
「‥‥‥‥」
暖斗くんとの会話は、正直盛り上がるという感じにはいかなかった。焦る私。こんな時にうたこがいてくれれば。
「そ、その、『アンチエイザー恋愛』って、どんな内容なんですか?」
やむなく、本の話題で間をもたせる。
「『アンチエイジング恋愛術』ね。えっと、言葉で説明しにくいな。一緒に読む? 序文だけでも」
そう言うと、暖斗くんは、対面して座る私を、ベッドに座る自分の横側に引き寄せてくれた。
「カ、カップルやん! ‥‥し、しんどい!」
私は卒倒しそうになるのを堪えながら、彼の左側に椅子を動かして座る。本をのぞき込むと一瞬肩があたった。
「えっとね、古い本なんだ。言い回しが歴史の参考書みたいなんだよ。浜さんも目で追ってくれたほうが」
彼は読み始めた。
「小生鑑みるに、世にアンチエイヂングといふ言の葉が生まれ、廣く人口に膾炙されるやうに成て久しい。旧来のアンチエイヂングとは主に、副栄養素を補遺として摂食したるがその主流であった。補遺に於いて滋養分を摂取したるに於いては、小生毫も異論は無し。而るに、アンチエイヂングの成を取り果を求むるに於いては、滋養分の摂食を惟唯一の仕法と為すに非ず。アンチエイヂングの神髄とは活性酸素の除去にあり。所謂世の婦女に於いては、恋愛に於ける心労こそが其の最大と鑑みる。是則恋愛に於いて、その良人、その情人の良き言行を顕し、その婦女の言行の肯ぜざる無かりせば、畢竟婦女の心労減じ、人気和合し、アンチエイヂングの達する事と思料する。故を以て記を遺す」
「だって」
「だってじゃねーよ!」 と思わずツッコみそうなのを何とか踏みとどまった。え? 何? 古いとかそういう次元じゃなくて、なんでその本チョイスしたの?
「なんかさ。荷物に勝手に入ってたんだよね。父親の本棚にあったのは知ってたんだけどさ」
なあんだ、そうか。暖斗くん趣味悪いのかと思っちゃった。でも、暖斗くんのお父さんって、「梅園先生」でしょ? 軍に勤める学者さんで、けっこう偉い人だと。まあ、それなら納得かな。そういう学者さんなら、こういう本もあるかもしれないし。
でも、また話題が無くなってしまった。しょうがないから、怪我のハナシに戻る。
「え? いいの? じゃあ、触るよ」
暖斗くんにタンコブを触ってもらう。話題的には微妙だけど、もうネタが無いし、これもスキンシップと言えなくもないし。
「でも本当に、浜さんには悪い事をしたね」
おそるおそるの指先が私の少し盛り上がった頭蓋をさすりながら、そう言ってくれた。
私は「キタ!!!」と身構える。
真面目で義理堅そうな暖斗くん。「これの埋め合わせを」と言ってくれる事を、私は既に、密かに、前向きに、予想していた。
「埋め合わせ、ですか。じゃあ、ひとつだけお願いがあります。‥‥私の事、‥‥『一華』って呼んで‥‥ください」
こう答える予定だった。――――そう、「だった」のさ。
「そう言えば殴られた後、アイツに乗りかかられたけど、それも大丈夫だったのかな?」
そうだ。自分で忘れてたけど、そんなことされたんだっけ。
あの時は私も変なテンションで、英雄さんにボールペン刺そうとしてたから。
押し倒されて羽交い絞めにされて、ボールペンむしり取られたんだった。
そんな事まで心配してくれるとは。やっぱり暖斗くんはいい人だ。そして、私の事をちゃんと見ていてくれた。
やった!! ちょっとうれしくなった私は、少し大げさに答えた。
「は~そうですね~。殴られて床に倒れてから、あの英雄さんに上に乗られた時はキツかったですね~。正直絶望的? みたいな感じで。キモイし。あの時は無我夢中でしたけど、今あらためて思い出したらトラウマですね。は~。キツかった」
私は、横目で暖斗くんをチラリ。
彼はうなだれていた。
あの時の事を思い出して、怒りを新たにしてくれているのか、と嬉しくなった。
「いや~。ホント。一生モンのトラウマですよ。マジモンの兵隊に組み伏せられるとか。いや~、ははは」
「そう‥‥‥‥だよね」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。
うつむいていた暖斗くん。声が‥‥震えていた。
その頬に、涙が流れていた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥は? え? ちょ☆¥#は*%く$ん!!」
私はただ混乱した。どうして。どうしてこうなった!?
「‥‥‥‥‥‥‥‥え~っ‥‥‥‥と‥‥‥‥」
下げた頭は動かない。ただその頬が濡れていくだけ。
ど、ど、ど、‥‥‥‥どうしよう?
声をかける? 名前を呼ぶ? 他にどうすれば!? あ~~!?
事態が飲み込めない私は、良くない選択をした。ある名前を叫んでいた。
「うたこ!」
私は、暖斗くんの部屋から逃げ出した。
※浜一華。非公開設定では「15人の中で一番心が綺麗」。「思い」は届く事が使命なのか?




