第40話 裏切り②
「そ、その法律って! ‥‥‥‥あの!」
わたしは身を乗り出す。
「やっぱり知ってるか。簡単な名前だよね。『スパイ防止法』。ただ、内容が簡単じゃない。絋国のお姫様にとってはね」
慄然とするわたしの前で、彼はその説明を始めた。
「その水口聖子さんとやらのせいで、敵性外国兵と接触した女性は、徹底的に国家からの嫌疑を受けるようになった。疑いを晴らすのは至難だったろうね? やって無い事を証明しなきゃならない。――いわゆる『悪魔の証明』ってやつだ。道半ばで心が折れて、ウチに亡命してくる女子も多数。確か、就職とかも制限されるんだっけ?」
わたしは、その言葉に、ビクリと肩を揺らした。
そう、ダメだ。そんなスパイかもしれない女性は、いわゆるエッセンシャルワーカー、社会の基盤となる重要な職業には就けない。
当然、医者も、だ。
「ホント、気を使ったんだ。俺はまだ君の身体に一切触れていない。君の身体に俺のDNAが付着して、それが国に調べられたら、君は『敵性外国兵との濃厚接触疑い』となり、『監視対象者』になるからね。だが、まだ間に合う。まだ引き返せる。俺が銃越しにしか君をいじらないのはそういうワケさ。‥‥で、こっから俺の言い分なんだけど」
彼は、スカートの裾を引っかけた銃の先を、立ちすくむわたしの太ももの間で得意げに揺らせていた。安全装置がちゃんと掛かってるらしいし、銃口はわたしの身体には向いてはいない。
だから、命の危険はぎりぎり感じなかったけれど、わたしのプリーツスカートは、銃の動きに合わせて全く抗うことなく揺れた。
憎い人。わたしが抵抗できないのが見透かされちゃってる。
「それでさ、この家の子の居場所か、あの謎の戦艦のことなんだけど、君の知ってる事全部話してくれないかな。そうしたら、俺とお姫様がここで会ってた痕跡を、全部消すんだけど」
彼は、申し訳なさそうな笑顔でそう言った。
わたしは、ことの重大さを噛みしめるにつれ、恥ずかしいくらいに混乱した。
医者になれないどころか、スパイのレッテルを貼られて生きていく。
膝がガクガク震え出して、やがて太ももにも伝わっていく。
彼の銃口が、なんども太ももの内側をなぞったけれど、かまう余裕は消えていた。
彼とこの部屋ですごして、どれくらい時間が経ったんだろう。すごく長く感じる。
この部屋で出逢ってから、彼は。
銃をチラつかせてわたしの背中を撫ででお風呂のぞきを白状して俺の敵かと威嚇して。
譲歩のそぶりを見せて服を脱ぐかわたしの全身を調べさせろと二択を迫り。
一旦世間話で安心させてから優しくしてプロポーズして。
お悩み聞いてくれて相談に乗るフリをしてわたしの心を丸裸にしてから。
スカートをめくり股間に銃を遊ばせて。
絋国の法律を逆手に取ってわたしの口を割らせようとしている。
ああ。身も心もぐちゃぐちゃにされている気分。
「弄ばれる」って、こんな気持ちなのかな。
だけど、これがこの状況の必然だったのかも。敵兵に囚われたのだから、殺されるか、教唆されるか、無理やり連れて行かれるか。その3択だとだいたい聞いていたから。
思い直す。まだ光はある。
恥辱に塗れて、彼の顔を見た。こんなことをされても、仲間の秘密は絶対に守る。
そう改めて意気込んで、睨んだつもりだったのだけれど。
彼は、わたしを見て驚いた表情だった。ぽかんと口を開けていた。
――何よ。さんざん人をオモチャみたいに弄んでおいて。すべて計算通りなんでしょ。
でもおあいにく様。暖斗くんの秘密はまだ渡してない。渡さない。
‥‥‥‥‥‥そう、思ったんだけれど。
「‥‥‥‥こっちか。君の心はここにあったのか」
彼が、ゼノス君が、そう呟いた。
わたしは何のことだかわからない。
ただ、じわっと視界が歪んだ。
歪んだように見えたのは、瞳から溢れた何かのせいだっだ。それは――。
わたしは、わたしの目から流れる大量の涙に、この時やっと気付いた。あれ、泣いている? わたし。――――なんで?
「うわあああああん」
戸惑う表層意識のわたしに、深層意識のもうひとりのわたしが、ゆっくりと答えを告げる。
涙の訳は、弄ばれたからじゃあない。ずっと考えないようにしていた、あの事実。
わたしの中の抑圧されていた感情が、火山のマグマのように一気に噴き出した。
「いや。いやよ! あの家にあのまま居続けるなんて絶対嫌。耐えられない。なんで。なんでなの。あの家から出るためにずっとがんばってきたのに。一生懸命やったせいで、敵に捕まるなんて。スパイ疑いで医者になれなくなるなんて。どうして? どうして? わたしには何もいいことが起きないの? なんでわたしにはこの世界に居場所がないの!?」
わんわんと泣き散らして、肩で息をしだした頃、その後に訪れたのは、重たい寂寥だった。
結局、彼がわたしにした恫喝も、優しさも、セクハラも、お悩み相談も、すべて情報を引き出すための揺さぶりに過ぎなかったと。
わかってた。頭ではわかってたつもりだった。
だけど、わたしはまんまと彼の手の上で弄ばれただけだったのね。
せめて、「もう情報は要らないから、君を国へ連れて行きたい」と言われたかった。そのほうがいくらかは気楽だった。
わたしは、彼の中でも、やはり彼のお仕事以下の優先度だったんだね。
無言で、彼に背中を向けて、むせび泣く。
震える肺のまま、弱弱しく深呼吸をした。
そして。
疲れ果てたわたしは、自分でも信じられないことを口走っていた。
「‥‥ります」
「何? お姫様」
「しゃべります。わたしの知っていること、すべて。戦艦のこと、パイロットのこと」
わたしの中で、何かが壊れていった。
いいえ。
もっと早くから、すでに壊れていたのかもしれないけれども。
わたしは、その場に、崩れるようにひざまずいた。
「‥‥‥‥だから、あなたとここで逢ったことを、消してください。それが叶うなら、わたし、あなたの言うこと何でも聞きます」
「おいで」
瞳の綺麗な少年が、やさしい表情で、わたしに『右手』をさしのべてくれていた。
ありがとう。――こんなわたしに。
うれしかったよ。
でももう遅い。遅いよ。手遅れだよ。だって。
わたしは今から、自分のためだけに。
あなたを裏切るのだから。
※この結末や如何に? 気になる方は。
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