第39話 邂逅Ⅰ①
一瞬、つないでいた折越さんの手を離しただけだった。砂塵で視界が無くなる中で、少しよろけただけだった。
なのに、その場所にはもう折越さんの手は無かった。
それを探して、2歩、3歩と歩いたら、もう方向感覚もなくなっていた。火事で煙が充満すると自分の家でも道に迷う、という知識だけはあったけれど、本当にそうなんだと今初めて思い知った。
そして、その代償は――、見知らぬ男との、望まない邂逅だった。
わたしは、焦りと恐怖で硬直した。身体も、思考も。
「聞こえなかったのか? 両手を、ゆっくりそこの机へ」
若い男の、低い声だった。わたしは理性を振り絞って、言われたとおりにする。
「そう、その両手を机から離したら反撃の意図と見做す。こちらから攻撃するからな」
思わず声のする方へ振り返ってしまった。
男の姿を確認したい、という当たり前の生存本能だけれど、良くはない。
姿を見たからには消す、という相手の行動もありうるから、慎重にすべきだったのに。
「ふうん。色白の美人だな。俺らの国には少ないからな」
男はわたしと目をあわせてそう言った。
面長に整った目鼻、栗色の髪は光の加減で金色に反射する。短髪、耳のピアス。彫刻を思わせるような均整のとれた体躯に、鍛え上げられた筋肉をカーキ色のタンクトップが包んでいる。
下は迷彩柄のパンツに、黒に近い焦げ茶の重そうな軍靴。
間違いなく軍人、絋国兵ではない。
敵性外国兵だ。
わたしは視線を自分の両手に戻した。目があってしまったのだから、もう見なかったことにはならないが、一応そうした。
机に置いた両手が汗ばんでいる。
少し前かがみで、彼に向っておしりをつき出したような恰好になった。その時に、くたくたキャミの左の肩ひもがずり落ちたが、放置するしかなかった。
彼の言うとおり、テーブルから手を離したら、何をされるか? ――想像するだに怖い。
彼が、不意にわたしに近づいてきた。ゴツン! と軍靴が床を叩く。彼の手が伸びてきた。甲にいくつもの血管の浮き出た、鍛え抜かれた手。
でも、わたしの肩に触れたのは、冷たくて硬い感触だった。
何か銀色の棒の先で、わたしのキャミの肩ひもを引っかけると、そのまま肩に戻してくれた。
「あ、‥‥ありがとう」
思わずお礼を言ってしまった。
「サイズが合って無いんじゃないのか?」
「あ、はい。‥‥い、いえ」
声は低く、拒みがたい威厳があるけれど、若い声だ。まだ、20歳前後くらいかもしれない。
少し心臓が落ち着いてきた。と、同時に、頭も回り始める。
渚さんと折越さんの現在は?
ふたりがかりで、この軍人に勝てるだろうか? とにかくわたしは、時間をかせいで隙をうかがうしかなさそうだ。
わたしは、集中する。
こんなに集中するのは、「わチャ験」以来だ。
「君に幾つか質問がある。一つ目、この家に住む、10歳の女の子だ。何処にいる?」
そう言って彼は青い目でわたしの顔を覗き込んだ。ああ、顔は見られても平気なんだ。
そして、今「10歳」と言い切った。ラポルトでもアピちゃんの年齢を正確に知ってるのは、診察をしたわたしくらい。
つまり、この軍人は、アピちゃんの事をキチンと調べている? ‥‥ということは。
「‥‥知らないわ。わ、わたしも彼女を探してこの家に来た」
「‥‥‥‥」
彼がわたしの顔をじっと見る。わたしも目を逸らさない。
「本当に知らないんだな。やけに堂々と答えるのが逆に違和感だが」
たぶん最適解だ。これは嘘を言ったりはぐらかしたりしたら、追及されてたと思う。
「じゃ、質問二つ目、君らの戦艦は一体何なんだ」
「え?」
しまった。感情を出して反応してしまった。
「こちらの静止衛星群から上手く隠れたと思えば、わざわざ位置を知らせるようなノイズを出す。小Botを次々倒したかと思えば、大型BOTにはフリーズする。しかもその対処がオーバートリートメントだ」
わたしには彼の話す内容が軍事的で、よく解らない。でも、彼の言葉。ずっと見られていた?
わたしたちの旅を?
冷たい汗がしたたり落ちる。
「君があの戦艦から来たのは分かってるんだ。DMTもね。でも変だ。どう見ても民間人の学生とかだし、軍隊格闘技を修めた気配もない」
彼はまた、銀色の金属棒をわたしの背中に這わせた。背中がぞくぞくっとして。
「‥‥っ‥‥やめて‥‥‥‥ください」
わたしは思わず背中をのけぞらせる。
「一緒に風呂に来た娘は、ふたりとも武術をやってる。あの足運び、あの筋肉の付き方はね。でもどうだ? 君の服の下は、女性らしい皮下脂肪だけだね」
「な!?」
思わず彼の顔を見た。
「のぞいたんですか!? へ、変態!!」
彼は一切悪びれない。
「いやいや。仕事でやむなくだよ。あそこで定点観測すると、村人の動向がわかるんだ。みんなちゃんと朝、風呂に入りに来るからね。もっとも俺の探し人がいなくなったと思ったら、4人も新顔を連れて戻ってきて驚いたよ」
4人‥‥暖斗くんも入ってる。DMTが、とも言っていた。やはり、下手な嘘はつけない。
でも。
彼は、190センチ近い長躯から、こちらを見下ろしながら歯を見せていた。
その視線を感じると逆にわたしは、入浴をのぞかれた羞恥と怒りで顔が熱くなった。
悪い意味で、「誰かに見られているかも」という女の勘が当たってしまっていた。
「新顔3人の内、君だけ、身体を厳重にタオルで隠したんだ。のぞきがバレたのかと思ったよ。でもそうでもなさそうで。で、そのカラダにどんな隠し事があるのかと思えば、まさかの素人だ。なんだそれ」
「もう『のぞき』って言ってる‥‥‥‥最低」
わたしは、羞恥心を押えて必死に思索する。身体を洗う時も最低限背中しか見せていないはず、と記憶を確認しながら。
まだ、あの軍人が笑っている内に突破口を。
わたしがこの人から無事逃げ出すのが100点だけど、たぶん不可能。
でも、このまま色々と聞き出されちゃうのはダメ。ぜったいダメ。
ラポルトが中学生16名で動かしていること。
暖斗くんがマジカルカレント後遺症候群で、DMT戦闘後に動けなくなること。
このふたつは敵に知られると、一気にラポルトを危険に晒すことになる。
それは素人のわたしでも容易にわかるよ。
最悪、わたしが今から「どんな目」にあっても、ラポルトと暖斗くんの情報だけは守らなくちゃ。
そう、最悪「どんな目」にあっても。
「じゃ、質問三つ目」
彼はそう言いながら、初めてわたしの真正面に立った。
背が高い。身長は本当に190cmくらいありそう。
逆三角形の上半身と厚い胸板が、タンクトップの下ではち切れんばかりだ。
わたしも、会話を重ねることで、この場に慣れてきた、かも。
彼の容姿や表情に気が向くようになってきた。
だけど。彼の次の言葉は。
わたしの心を砕きにきていた。
「君は、俺の敵か?」
鋭い、猛禽類の視線だった。身の危険を通り越して、死を感じた。
※愛依さん受難はヒロインの宿命




