第31話 「陽キャは損」説②
僕の自室。愛依とふたりきり。
彼女は、語りだした。
「『暖斗くんにあのこと、話したよ。自分の口で言ったほうがいいんじゃない?』って麻妃ちゃんからメール来たんだ。だから、お話しに来たの。4月のこと、相野原先輩のこと」
「いいの? 麻妃がそんな勝手な事して。迷惑じゃない?」
「いいんだよ。いずれ暖斗くんの耳にも入ることだし。だったらわたしが自分自身でキチンと伝えたいって、彼女はわかってるから」
そうなのか。それならいいが。
「相野原先輩とデートしました」
唐突だった。反射的に左を向くと、愛依の大きな黒瞳が僕を覗き込んでいた。
「びっくりした? わたしのこと、嫌いになった?」
真剣で不安げな瞳。
喉に何か詰まったような苦しさの中、何とか返事をする。
「い、いや‥‥別に。そ、そういうのは自由だし、僕が愛依の事知らないのは当然、‥‥というか」
「ごめん。さっきからわたし、話の順序がバラバラで。きっとあまり話したくないんだよね。本当は。うん、ちゃんと最初から話すよ」
彼女の瞳は、悲しげだった。愛依がこんな顔をするなんて。
「あのね。わたし、土曜日はバイトに行ってるの。れんげ駅の駅南に、れんげ市海軍病院、ってあるでしょう?」
れんげ市というのは、みなと市の西に隣接する市で、電車でふた駅、10分もかからない所だ。市街がつながってるから、みなと市とはほとんど一緒の町、と言っていい。
「そこの小児科に、わたしのお師匠様がいて、院内の雑用とかのバイトやってるんだ。それでね」
そこまで言うと愛依は、目を落とした。
その視線の先には、膝の上で固く握りしめた両手。
ゴクリと喉を鳴らす音がすると、意を決したように前を見つめて、話し出した。
「れんげには電車で通ってるんだけど、そこで、必ず、っていうくらいわたしの後ろに立つ男の人が居るのね。知らない人。電車が混んでくると、不自然に身体がくっつく感じがして。バイトを始めて1年。最初の内は‥‥自分がそういう事のターゲットになるなんて思いもしなかったから。『なんか変だな』くらいにしか考えなかったんだけど。今年の4月くらいから、もう、ハッキリわかるような感じになってきて」
愛依はここまで一気に打ち明けて、――また視線を落とした。
僕は混乱した。正直、予想のかなり上をいく告白だった。
とりあえず何かしゃべらなくては、と思ってしまった。
沈黙が怖かった。
「えっと、それって、愛依の思い過ごし‥‥とかは無い?」
不用意な発言だった、と思う。――愛依は両手で顔を覆って否定した。
「ううん。‥‥‥1回帰りにみなと駅を降りた時に、駅の外まで尾けてきたことがあって。わたしがみなと駅から乗るのを知ってるから、だと思う。必死で撒いたよ。‥‥‥怖かった」
そんな重いのは勘弁だ、どうか思い過ごしであってほしい、という僕の期待が霧散した。
くすん、と愛依が鼻を鳴らした。‥‥‥‥泣いてるんだ。
「親とか、警察には?」
「お父さんもお母さんも助けてくれないよ。わたし、『そういう家の子』だって言ったよね?もう自分では何とかできないから、泣き寝入りするしか、と思ってたの」
愛依は、こっちを見て、無理に笑って見せた。
「陰キャやめたら、こんな事になるなんて。知らなかったよ。はは。陽キャもいろいろ大変だ」
髪がふわっと揺れて、シャンプーなのか、甘酸っぱい香りが僕の鼻をくすぐった。
そう、僕のとなりにいるのは、中学2年生の女の子、生身の身体に、生身の心を入れた、女の子だ。
――――何とかしてあげなきゃ! 僕が! 誰も助けてくれないんだから!!
「そうしたら、同じ電車にみなと一中の3年女子が乗り合わせてて。わたしの異変に気がついて、相野原先輩に相談してくれたの」
「え?」
どうやったら解決出来るのか死ぬ気で考え始めた所で、急に話の方向が変わった。そこで相野原先輩‥‥!?!?
「相野原先輩が周りの大人に相談して、何か、警察OBみたいな人が動いてくれたらしいの。わたしは被害届とか出してないから、あくまで非公式に、って事だったみたい」
「出して無いの? その、被害届」
「出したくなかったの。だって、いろいろ訊かれて、事が大きくなるでしょ? 犯人にも恨まれるし」
「でも、もしそのままだったら、もっとヒドイ事に‥‥‥‥」
「‥‥‥‥耐えるしかないと思ってた。だから、助けてもらって良かったよ。えっとね。わたしが具体的に何かされた、とかは無いのね。うん、ないよ? ただ、不自然だし怖いなってわたしが思っただけ。あ、ほら、サジタウイルス以前には、『女性専用車両』とかあったらしいじゃない。そのくらい昔から痴漢被害とかはあったんだよね。今回も、そういう電車があったら良かったのにね」
医学の徒の彼女には似つかわしくない、根本的な原因が何ひとつ解決しないセリフだった。
「じゃ、もう大丈夫なんだね‥‥」
「うん、それについては。あれ、何か暖斗くんが落ち込んでない? わたしが無事で」
その通り。――――ああ、愛依が無事な事で、じゃあないよ。
大丈夫、と聞いて安心したのと、僕の知らない所でそんな事があって、もうすでに他の男が解決してしまった事。
4月と言えば、もう同じクラスだったじゃないか!
安堵感、無力感、焦燥感のトリプルアタックだった。
「まあ、その男の人が帰りに尾けてきたっていうのもね。その1回だけだし、本当にたまたまみなと市の方に用事があったのかもしれないし。わたし、1年前にキャラ変して、周りから『変わった』って言ってもらえるようになったんだけど。‥‥何か損した気分だよ。見た目を気にして、良くなるように願ったり、努力したらダメなのかな?」
僕は彼女にかける言葉を必死に探していた。――なので、少しだけ暴走した。
「‥‥とにかく事が収まったようで良かった。あと、悪いのはその男で、愛依が可愛いのが悪いわけじゃあないよ」
「‥‥‥‥暖斗くん。‥‥‥今何て?」
「あ!」
僕は愛依から目を逸らした。今変な事言ってしまった!? 慌てて話題変換!
「相野原先輩とかがそう言ってるんでしょ? ファンクラブがあるって聞いたし」
「うん。陽キャイメチェンしたら、急に上級生から連絡先訊かれたり、が多くなったよ。その‥‥‥ファンクラブも、相野原先輩が、わたしを守るために3年と1年を統合したって。『組織がデカい方が良い』って。それでわたしに交代でガードをつける、とかって話になりそうだったんだけど、それは全力でお断わりしました」
なんだこれ。
話題のドラマを、最終回の2話前から視聴してる気分だ。僕のいない所で、どんどん話が始まって、そして既に――――終わっている。
「そんな事が。でも何か変? なんでそこからデートに?」
「そうなんだよね。相野原先輩には感謝というか、大きなご恩ができたのね。日を改めてお礼を言いに行ったら、お礼はいいから、と何故か食事に誘われて。こういうことでお世話になってるから断れないよね。でも何とか2対2のダブルデートになったよ。ふたりっきりで会話が続かないのって恐怖だよね」
「う~ん。相野原先輩とは付きあってる‥‥‥‥」
「ええ!? 違うよ。誤解ゴカイ!」
「‥‥ってウワサを麻妃が言ってた」
僕は慌てる愛依を見て、ちょっと笑った。
「もう。変なトコでセリフ切らないでよ」
「いや、実際付きあってて、その流れでデートもしてるのかと」
愛依は、はあ、とため息をついて、僕を正視した。
「ちゃんと説明させて。確かにダブルデートと相成りました。みなとホテルの最上階ね。みなと市民なのに行くのは初めて。ドレスコードが無いから、制服で行ったよ。わたしだけ‥‥ね。すっごい恥ずかしくて、料理の味憶えてないんだからね。そのウワサも、ちゃんとした理由があるんです」
「理由? だって相野原先輩は生徒会長だし文武両道だしガッチリ体型のさわやかイケメンだし。付きあっててもおかしくないとは思ったよ」
「なに? 暖斗くんはわたしと相野原先輩が付きあっててほしいの? でもまあ、それは相野原先輩の思惑どおりね。デートもして、付きあってるってウワサが流れれば、変な人がわたしに近づきにくくなるから、って。正直、何かちょっと違うかな? って思うんだけど、止めてください、とは言いづらいし。本当につきあう訳じゃないから、まあいいか、と」
「でもそれって、本気で誤解する人とかいるし、電車の社会人には関係ないよね」
「いいの。どうせわたしは結婚しないから。だから誤解されても実害はないよ」
そう愛依が言って、会話は一旦途切れた。ふたりして麦茶を飲んだ。
ただ、話はこれで終わらなかった。
この後僕に、ものすごい大きな変化が訪れてしまう。
時間は22時を回ってしまっていた。
でも、夜はまだ長かった。
※このリアルなもやもや感こそが「ベイビーアサルト」




