幕間 6組の鳴沢さんⅡ
同刻。暖斗が空中戦艦の自室でとある夢を見ている時と同時分。
絋国、はたやま県みなと市。
市内によくある小公園で、空を見上げる女性がいる。
女性は、星空を見ていた。色白な肌につぶらな瞳。長い髪を後ろでひとつに束ねている。14歳ほどだろうか、真面目な印象の女性だ。
みなと市くらいの規模の地方都市だと、町明かりがまあまあの明るさになる。
お世辞にも星がキレイ、とはならない。
だが、女性は一心に空を見上げていた。中の鳥島――ガンジス島――のある、南の空を。
***
あの日、咲見暖斗くんと私との間に、公園でのいざこざがあった日から数日前、私は、母に連れられて親戚の家へ行っていた。
そこには、父もいるという。
久しぶりに父に会える! と、5歳の私はいつもよりはしゃいでいた。
訪れた親戚の家は、つまり「本家」、父の、私の母以外の奥さんとの通い婚家で、運よく男児に恵まれた家だった。
なので当然、居間に座る父のとなりには、私より3歳年上の男の子、異母兄がいた。
彼は父とそっくりな一重まぶたで、じろりと私を見た。
子供ながらに嫌な予感がしたけれど、果たして、それは現実になった。
男の子は、大人の見えない所で私に嫌がらせをしてきた。
父を盗られるとでも思ったのか?
母が、父と会うこの日のためにと、用意した新品の靴を泥靴で踏み、同じくおろしたての私のお気に入りのスカートを、わざと汚れた手で引っ張った。
何より私を悲しくさせたのは、その男の子の同母妹の存在だった。当時の私と同じ5歳だが、私にとっては異母姉になる。
彼女は、彼女の同母兄のたくらみに加担した。
むしろ、積極的でなお陰湿だったと言っていい。
同性であれば助け合える、と踏んでいた私は甘かった。
純白のレースのスカートに、カラフルなクレヨンの手痕が付けられたのがわかった時点で、私は怒りで我を忘れた。
「やめて!」
気が付くと私は、異母兄妹を突き飛ばしていた。
異母兄の方は打ちどころが悪かったのか、倒れ方が悪かったのか、わき腹を押えてあぶら汗をかいている。すぐさま、卑怯者の妹が「おとうさん」、と父に駆け寄っていった。
それから私は――――、いいえ。母と私は、これ以上ない、というくらい平身低頭で謝罪させられた。
ようやく顔を上げる事を赦され、仰ぎ見た父の言葉は忘れられない。
「オマエら2人とも、犯罪者な」
「あなた‥‥‥!」
母は泣き声だった。
「‥‥だってそうだろうがよ? このまま警察つき出しゃ有罪だ、有罪!」
「そんな‥‥‥‥それはあんまりです」
悲鳴をあげる母。――腕を組んでふんぞり返る父は。
「たく。‥‥めんどくせえな。オマエらが犯罪者になったら、オレが犯罪者のダンナで親っつう事になっちまうだろうがよ」
5歳の私に、当時本当にこんな事で警察沙汰になるのかはわからなかったけれど、女性であることや「本家」でない妻が、少なくとも不利益を得る世の中の空気は、母の様子から感じ取った。
――――私達母子は、「本家」から逃げるように退出した。
玄関の引き戸を跨ぐ時に、朝、この家に入った時の事を思い出した。
父に会えると、有頂天で母にまとわりつく私。母も心底うれしそうだった――のに。
一体なんでこんな事になってしまったのか。
私達の足どりは重かったけれど、母は私を責めなかった。
私のスカートや靴の異変に気付いていてくれたのだ。
「お父さんのお家で夕ご飯、だったんだけれど、食べそびれちゃったね。駅前のスーパーにまだお惣菜あるかな?」
子供心にも、母が無理して笑顔を作っていることはわかった。
生まれて初めて、「心が痛い」と感じた夜だった。
それから3日後、暖斗くんと公園で遊んだ。
母が、私の気晴らしに、と連れ出したところでバッタリ会ったのだ。
暖斗くんとは以前からよく遊んでいた。
だけど、今回は違った。
私が‥‥‥‥男の子に対して、普通に接することが出来なくなっていたのだ。
「はるとくん、どおして」
砂場に作った砂山を崩した暖斗くんを、私は執拗に責めた。
5歳の子供のする事だ。砂山を作ったら崩したくもなるだろう。
他の男の子なんかはもっとひどい。私が作っていた砂山を、わざわざ道路の方から駆け寄ってきて跳び蹴りで崩して行った事もある。だたそれだけのために。
暖斗くんはやさしい。
暖斗くんは異母兄じゃあない。
でも男の子を前にすると、どうしてもあの時の負の感情が湧き出してきてしまった。
あるいは、私なりの、母の敵討ちのつもりだったのかも知れない。
私が爪で暖斗くんの手を引っ搔くと、暖斗くんもさすがに表情を変えた。
「私」が受けた黒い感情を、目の前の男の子にぶつけれは事が収まると思ったのか? 私の単なる無差別な腹いせ、だったのだろうか?
そして、母は、今思えば過剰とも言える謝り方をしていた。
母からしたら3日前のトラウマが思い起こされただろうし、先回りして大袈裟に謝罪して、とにかく最悪の状況だけは回避しなければ、という思いだったのでは?
私は今、星空を見上げている。
今頃、この星空のどこかで戦艦に乗っている暖斗くんを想像してみる。
暖斗くんがあの時、ちゃんと私にあやまってくれたから、あの後お母さんと2人して泣いたよ。
お母さんは、
「女も強く生きなきゃね」
って言うようになったよ。
その言葉でわかった。
あの時お母さんは、とにかく私を守ろうとしてくれてたんだ。
女性の価値が毀損されてしまったこの国で、――――私が何とか生きていくために。
ふたりでよくこの公園で遊んだね。
小学校にあがると、暖斗くんには男の子の友達が増えて、この公園には来なくなっちゃったけど。
おんなじ中学入ったね。家がこれだけ近いから当たり前か。
でもおんなじクラスには、なかなかなれないね。
‥‥実はまだ、ほんのちょっとだけ男子が苦手です。
だから、麻妃ちゃんみたいに気軽に暖斗くんには話かけられないよ。
あの日以来、私達のことを色々と気にかけてくれる、ステキなお父さまにもよろしくね。
私は今日も、この公園に来て、暖斗くん達のことを心配しています。
担任の先生は、登校日に
「3人とも帰ってはこれないけれど、無事で元気でいる」
って説明してるけど、実際に顔を見るまでは正直――――心配。
今は、この国も大変なことになってしまって、子供が乗った戦艦を気にするのはその中学生の関係者ぐらいかなあ。
もしかしたら、今無理に戻って来るよりは、空を自由に飛んでいるほうがいいかもね。
でも、祈ります。
暖斗くんにもう一度逢いたいから。
逢って、この公園であったあの日の事を、私からもいつか、ちゃんと、あやまりたいから。
「どうか。ご無事で。暖斗くん」
※実は‥‥ この「6組の鳴沢さん」は、作者が一番好きなエピソードだったりします。同意の方いたらぜひ! ☆をくださいませ。




