第24話 なんちゃって医療①
容赦なく。
事務的に。
僕のベッドは入口に一番近い、いつもの定位置に置かれて、ベッドを運んでくれた子達は医務室を出て行った。部屋には、逢初さんと、負け犬が一匹。
が、逢初さんはなかなか話しかけて来ない。
あ、僕のあまりの弱キャラぶりに、愛想が尽きてるのか? ――なんて想像するだけでも情けない。
そおっと横目で見ると、床に散らばった、なんか器具みたいなのを拾って片付けていた。
「あっ、見つかっちゃった」
振り返った彼女は、小さく舌を出して照れ笑いをした。
「急に艦が急発進したんだよね。あ、『急に急発進』って言葉は変ね。でね。わたしドジだから、第一種戦闘配置なのに器具の固定とか全然してなくて。また床にかなり落ちちゃったの。割れたのとかはないけど、滅菌からやり直さなきゃ」
あ、艦の急発進の原因は俺のやらかし。君の落ち度じゃない‥‥。
って声が出かかったけど、喉で引っかかって止まってしまった。
本当に僕はヘタレだ。
「ホントすごい加速だったんだよ。わたしが尻もちついて、さらに後ろにズズ~って持ってかれて。おかげでスカートが擦れちゃった。しわにならなきゃいいけど」
逢初さんは制服のスカートと打ち身で痛むのか、おしりをしきりに気にしている。
***
‥‥‥‥わたしは、スカートを気にするそぶりを見せながら、後ろ目でチラっとベッドを見てみる。
そこには暖斗くんが、肩を落とした感じで横になっている。
人の意思は、決定する7秒前には脳内の無意識下で決定されているのだという。
そう。
わたしはもう「そうする」と決めていた。
理由はない。
少なくとも、言語化された理由は。
咲見暖斗くんは戻って来た。
今回もまた医務室へと。
無事で何よりだった。
でも、敗北を喫していた。
わたしは慌てて、「メンタルヘルスを扱った医学書」や、「スポーツ選手の妻のエッセイ」とかを閲覧した。
「‥‥夫が負けて帰って来た時には、勝敗の事は話題にせず、必ず夫の側にいる事にしている。別に特別気の利いた事を言わなくてもいい。上手に慰めなくてもいい。ただ、側にいる――」
「ふむふむ。でもこれって、夫婦のお話よね。そのキョリ感のお話よね。あ、暖斗くんから見てわたしって何だろう。どの辺の立ち位置? 夫婦な訳ないし。そこから? あーどうしよう。暖斗くんの目に、わたしがどう映っているかによって、まるで対処法が変わっちゃう! ‥‥‥‥いっけない。床に落ちた器具とかそのままだった。あ~~!!」
「002番機が着艦」、とのアナウンスがインカムに入る。‥‥もう着艦! ここ、医務室まで来るのに、大した時間はかからないよ。全然有益な対処法が得られなかった。
「暖斗くんの敗北」
‥‥これは事前に十分、予想できる事態だったのに。
出航前、わたしは、航海の不安をバイト先の小児科長にぶつけていた。「なんちゃって医師」のわたしがやる「なんちゃって医療」で、本当に乗組員を診てもいいのか? 随伴艦に全部任せるべきではないのか、と。
小児科長は、30歳くらい、独身。割と長身の女性。長い髪をなびかせて、いつも早足で歩いている。わたしのメンター。
先生の返答は衝撃だった。
「愛依。気にするな。私の医療も、お前と同じ、『なんちゃって』だ」
え?
は?
意味が判らない。
先生は3代前から医師の家系で、大先生はみなと市の開業医、大大先生もいまだ現役医師だ。
女性ながら若くして、この れんげ市海軍病院の小児科長をしている。
その人の医療が、「なんちゃって」では、来院患者様に申し訳が立たないよね?
慌てて先生の顔をみると、きびしい表情だった。
「愛依。思い上がるなよ。決して忘れるな。そして気にするな」
「え? 先生、一体‥‥?」
先生は、レセコン――診療情報用のCP――から手を離して、こちらに向き直った。
「いいか。医療ってのは日々進化していく。どんな高名なDrが考案した基本治療でも、ある新事実が出て、実は効果が薄かった、他にもっと良い方法があった、なんて事はこの世界ザラだ。つまりな、私とお前の治療だって、経験と技量に差こそあれ、同じ『なんちゃって』なんだよ‥‥!」
「――だから、『なんちゃって』を気にするな。明日、人体の謎がいきなり全て解けるなんて事は無い。医学は永遠に発展途上だ。だから、医療も永遠に『なんちゃって』なんだよ。今現在得ている知見、今現在出来うる処置、その中で最善を尽くすしかない。そういう意味では、私の『医』とお前の『医』は、大差ない」
「――だが忘れるな。だからこそ我々医療人は日々研鑽を積まなくてはならない。決して忘れるなよ。そして、そうした努力をしていても、必ず『助けられたかも知れない患者』、に出逢う」
「――思い上がるな、とはそういう意味だ。我々の努力を嘲笑うかのように、目の前で患者は亡くなられていく。研鑽を積んで偉くなったつもりの、『救える』と勘違いした医者が一番タチが悪いのさ。オマエにそうなって欲しくない」
それが、先生がわたしにくれた金言だった。
「思い上がるな。忘れるな。気にするな‥‥‥‥」
わたしは、先生の言葉を反芻していた。
そんなわたしに先生は、「そして最後に」、と前置きしてまた語り出した。
「――下を向くな。目の前の患者を助けられなかった。事実だ。その時に、決して下を向くな。亡くなられた方はもう戻ってこない。嘆くヒマがあるなら、悔しかったのなら、ただただ研鑽を積め。医療人は、前に進む事でしか生きられないんだ」
言い終わってから、先生は、「まあ。大先生の受け売りだがな」と笑って舌を出した。
わたしは、両手を胸の前で合わせて、言った。
「‥‥‥‥はい。生涯胸に刻みます。先生」
なんでこんな事を今、思い出したのか。‥‥それは、わたしが「そうする」と決めたから、だと思う。これが今現在わたしが出来うる最良なのだと思いたくて、こんな事を思い出したんだよ、きっと。
***
「ミルク、飲むでしょ?」
「‥‥‥‥」
僕は彼女の言葉に、返事をし損なった。逢初さんはもう、ミルクを用意してくれていた。負けて、なおかつ ふて腐れている様に見られるのかな。バツが悪い。
「失礼します」
いつもの通り、逢初さんが僕の左肩に左手を回して、軽く抱くような形になった。僕の口もとに、ミルクを汲んだスプーンが近づいてくる。
この頃は、すっかり意気投合して、かけ声なしでミルクを飲めていた。スプーン一回の分量も増えて、逢初さんの負担も最小化できていた。――――なのに。
「ハイ、あ~ん」の恰好で給仕をされる――――この状況は地獄だ。
真の意味で、負けて帰ってきた罰ゲームだよ。
戦果はあげずに人に迷惑だけかけてないか、これ?
こんなんなら僕は出撃しないほうが、彼女へ負担も無くて良かったんじゃないの?
逢初さんの左手は、相変わらず熱い。肩先がじわっとしてくる。ミルクも少しだけ熱い気がする。自分の気持ちが萎えていたから、こうやって熱を貰うのは有難いかな。
逢初さんは、今日は目を開けてる。
珍しいな――あっ!
目が合ったので、反射的に顔を逸らした。
でも、あれ、彼女は僕を見て、微笑んでいた?
‥‥あ、やっぱり。
彼女は今、口角を少し上げて、微笑みながら、僕にミルクをくれている。
‥‥‥‥‥‥‥‥なんで?
2回目のミルクも飲み終えたけど、眠気が来なかった。
たぶん目をつむると、DMTに乗ってた時の感覚を思い出してしまうから、だと思う。
俯いて、自分の足を見ていた僕の視界に、誰かがぴょっこり顔を出してきた。
逢初さんだった。
「あれ? いつの間に」
彼女はTシャツにショートパンツ姿だった。
ミルクを飲み終えた僕がぼ~っとしてる間に、自室で着替えてきたんだ。
無意識に彼女の容姿を追ってしまう僕に、彼女がひと言。
「ね。一緒に寝よ」
※小児科長は桜木秋桜子Dr. れんげ市海軍付属病院勤務。




