第22話 下の名前②
隣の食堂へ向かった。
「おっ。愛依じゃん。んん? なにそのテープ。あれからずっと医務室だったん?」
そう話しかけてきたのは、麻妃ちゃんだった。
「そうだよ。麻妃ちゃんも深夜の出撃ご苦労様」
「あ~。しんどかったね。自分のKRMの点検やってから寝たからね。それよりどやった? 暖斗くんとの初夜は?」
麻妃ちゃんはわたしの顔を見てニヤニヤしながら言った。
わたしはすまして返す。
「――別に。彼はとっても紳士で、ベッドの上ではすごく優しかったよ」
「え? は? ‥‥‥‥それマ?」
「冗談よ。彼は動けないんだから、何かあるワケないでしょ?」
「あせった。愛依がそんな冗談言うなんて誰も予想しないし」
――――まあ、全部昨日から医務室で起こった、事実なんだけどね?
わたしは、人差し指を立てて、暗記してる「旅のしおり」の一文を言う。
「乗船規約。体験乗艦中ハ男女ノ慇懃是有間敷事」
「あ~ね。ある程度仲良くなるのはしかたないとして、ちゅ~とかは体験乗船を無事終えて、艦降りた後にしてね。ってヤツ」
「何かあったら来年から中止になっちゃうかもだし」
そう言ってわたしは、「菜摘班」が採って来てくれた、アルファルファのサラダを口に運びながら。
「むしろ!『何もなかった方の女子のPTAが黙ってない』――――んだよね」
と、言う。
「だよねえ。『何抜け駆けしてんのよ! 梅園家のご子息と!』ってなるね」
「でもねー。はぁ」
わたしはため息をついた。相手が麻妃ちゃんだからできる態度だ。
「どした? 愛依」
「優しすぎるのよ、暖斗くんは。わたしが負い目を感じるくらいに。わたしの『なんちゃって医学』で、ちゃんとお返しが出来るのか不安になっちゃったよ」
「ふーん。モヤモヤしてんだ。でもそれ、ウチから見たらいい事だけどな」
「え?」
「だあって愛依。入学当初とか、キミは『自分のことでいっぱいいっぱい』で、そんな風に人のことに関心持つなんで余裕、なかったでしょ?」
わたしはドキリとした。
「それは、た、確かに‥‥」
「な? いい兆候だって。体験乗艦応募してよかったじゃん」
「でもね、麻妃ちゃん。そんな陰キャなわたしは、男子とあんなにお話するの初めてだから、距離感とかノウハウがないのよね。暖斗くんの前では平静なつもりだけど、いつかバレるかも、って。それがモヤモヤの原因かも」
「陰キャじゃなくて元陰キャ、ノウハウじゃなくて経験、だゼ☆」
「陰キャだよ。どうしよう。メッキが剥がれて、この先暖斗くんが怪我して帰艦してきたりして、『ごめんなさい治せません』じゃ、申し訳ないよ」
「戦闘に関してはウチもフォローするけど、もしそうなったら、こんな中2だけで旅させてる運営のせいだよ。ウチらは出来る範囲のことで、ベストを尽くすしかないでしょ?」
と、言う麻妃ちゃんに、ポンポンって、肩をたたかれた。そして。
「あんまり思いつめるなて。誠心誠意、全身全霊で愛依はやってるんだから、暖斗くんは分かってるって。あ~、それにしても、早くぬっくんのミルク飲んでる現場を押えたい。はは」
「誠心‥‥誠意‥‥」
ああ。麻妃ちゃんに聞いてもらってスッキリしたかも。
「全身‥‥全霊‥‥!」
わたしの中に芽生える物があった。
***
お昼、僕はまた人の気配で目が覚めた。う~ん。今のところいいけど、厨房とのドアは、防音強化をした方がいい気がする。
「あ、目が覚めた?」
逢初さんの、明るい声が、間髪入れず。
ずっと側にいてくれたのだと思うと、頭が下がるよ。
「そろそろ、どう? 身体は動く?」
言われて、手足を動かしてみる。うん、まだちょっとだけ痛いけど、普通に動く。
「じゃあ、二択です。ミルクにしますか? それとも、食堂でランチ?」
「‥‥‥‥」
僕は少し考えてから、「ランチ」と答えた。
そろそろ固形物をちゃんと食べたい。
「わかったよ。じゃ、仲谷さんにオーダー入れてくるね。車椅子でわたしが介助するから。戻ってきたら、運動負荷心電図検査して、クリアなら退院、と」
「やた。退院だあ!」
僕が1人で喜んでいると、逢初さんがゆっくりと近づいてきた。両手を後ろ手に組んで、上半身を揺らしながら。
セーラー服の胸の青いリボンが、蝶々みたいにヒラヒラした。
「暖斗くん。‥‥‥‥ひとつお願いあるんだけど」
「何?」
うつむき加減の彼女に、僕は気軽に応えた。
「愛依、って呼んでほしい」
「‥‥‥‥え?」
唐突だった。
「こういう、2人きりの時だけでも、みんなの前とかではなくても。もし、暖斗くんがそうしてくれるなら、だけど。下の名前で、呼んでほしいの」
逢初さんは、ゆっくりと、言葉を噛みしめる様に話す。
僕は戸惑う。
「逢初さんの下の名前? や、いやあ、‥‥ちょっとハズかしい‥‥かな。急にそう呼んだら、みんなはなんて思うかな」
「――――暖斗くん」
「はい」
僕は思わす背筋を伸ばした。声に重みを感じたから。そのまま彼女は柔和な笑顔で、その理由を語り出した。
「あのね、昔。大昔よ。人々はほら穴とかに住んで、まだこの国に文明や科学がない頃。かわりに占いやおまじないが『科学』だった頃。病気や不運不幸は、すべて呪いや魔物のせいだったのね。そのオカルトが支配する世界で、わたし達の下の名前は、その人の『本当の名前』で、いわば究極の個人情報だったんだって」
彼女のクセ。
「なぜなら、誰かが、例えばわたしの『愛依』って名前を、その誰か、第三者に知られてしまったら、その人はそれを使ってわたしに呪いをかけられるから。‥‥‥‥そうね。ネットで身バレしたり、パスワードが盗まれるのと同じくらい危険なことだったんじゃないかなあ。――あ、あくまでオカルト的な世界でのお話、よ?」
顔の横に人差し指を立てながら。
「あ、ほら、授業で習う昔の女性って、『下の名前』無いでしょう? 誰々の女、誰々の母、何々少納言とか丸々式部とか。‥‥‥‥でね」
そして、逢初さんから、その柔和な表情が、一瞬消えた。
「わたし、覚悟ができたよ。暖斗くんにわたしの『下の名前』を渡したいの。暖斗くんの身体に何があっても、ゼッタイ何とかする。わたしのすべてを使って、何とかするから。『愛依って呼んで』ってお願いしたのは、証。医療人としての誓いの対価よ!」
初めて、かもしれない。彼女の気迫!? みたいな物に圧された。
「‥‥た、対価‥‥? う~ん、重いよ。難しい事はわからないけど、でも何となく気持ちは伝わったよ。これからも僕を全力サポートしてくれる、ってことでしょ? じゃあ、よろしくお願いします」
なんとか、そう答えた。
なぜ急に彼女がこんな事を言い出したのか、僕にはよく解らない。僕にとって女子とは、未だにナゾの生き物だよ。
でも、僕の言葉に、彼女は大きく頷いた。
「うん!! わたしが介ける。必ず!」
逢初さんは笑顔になった。
よかった。何はともあれ、だね。
なんだかやっぱり、僕が操縦席に向かう理由と、彼女がこの医務室にいる理由が、似ている気がした。
これでいいんだよね? きっと。
***
逢初さん、いや、愛依さんに付き添われて、食堂に移動する。
席に座ると、仲谷さんが厨房から出てきていた。長い髪をひとつに束ねて、右側に垂らしている。表情はいつも無い。ポーカーフェイスが彼女の個性だ。
「咲見さん。お加減はもういいみたいですね」
うお! 話しかけられた。彼女が厨房から出てくるのも、ましてや誰かに話しかけるのもレアだ。
「これから、咲見さんには試練があるかもしれません。でも、どうか気に病まずにがんばってください。それ以上の『いい事』がありますから」
そう言われた。
ん? 何それ?
※仲谷さんの言葉。




