第21話 右手Ⅳ②
静かな時が流れた。
そして、しばらくして。
「ぐ、いてて。これしかないけど」
また痛がりながら、暖斗くんがわたしに布を差し出してくれた。
ハンカチ――ではなく医務室の備品のタオルだったけど。
あ、わたし泣いてたんだ。
そっか‥‥‥‥。
「暖斗くんはやさしいね。これなら、きっと奥さんになる人たちを泣かせないとは思うけれど。前にも言ったかもだけど、是非、そうしてあげてね」
そう切り出してから、わたしは話を続けた。
これは、そんなやさしい暖斗くんのそのやさしさに、こんなわたしが不覚にも甘えてしまったお話。
迷惑にも甘えてしまったお話。
そうなの。
ミルクを飲んで寝落ちした暖斗くんの寝顔を見て、なんか赤ちゃんみたい! って発見したところで、5歳のわたしと同じく気づいたのね。寝ている暖斗くんの「右手」が、必ず上を向いてるって。
お父さんと同じだって。
で、気がついたら暖斗くんの『右手』をマクラにして、5歳の時と同じ格好で寝てたのね。暖斗くんの手は、わたしのお父さんみたいに大きくはなくて、ゴツゴツもしてないんだけれど、すごくあったかかったよ。勝手に人の手借りといて何ですけど。
‥‥‥‥本当にあったかくて、気を失うようなレベルの勢いで寝てしまったの。これが、わたしが暖斗くんの「右手」を勝手に借りてしまった理由。
こんなこと、人に、男の人に話すのは初めてかな? 「置かれ妻の母子家庭」だと、マウント取って来る子とか、イジリにくる子とかがいるから、学校では、広めないでほしいけれど。
まあ、こういう家の子だから、わたしは。うわべだけでもいいから、今までくらいに接していただけるとうれしいです。
最後に、もう一度、ちゃんと言わせて下さい。
「暖斗くん。本当にごめんなさい」
わたしは立ち上がって、腰をゆっくりと90度に折って、再び彼に謝罪をした。
赦されなくていい。
距離を置かれてもやむを得ない。
ただ、あの時のわたしの気持ちだけ、知っていてくれたなら、明日からのわたしは、少しだけ歩きだす力を生み出せるかもしれない。
「冷めちゃったかな?」
暫しの沈黙の後の、彼の言葉だった。
え?
何が?
「頼んでたミルクだよ」
「あ、ああああ~!! ごめんなさい!!」
そうだった。昨晩飲まなかった分のミルクを、飲む直前だった。
ミルクは――もうすっかり冷え切っていた。
暖斗くんが、
「もう一回温めてくれればいいから」
と、言ってくれたので、慌てて電子レンジに放りこむ。
そのままいつもの通り、本当にいつもの通り、彼のうなじに腕を通して、ミルクをあげた。
不思議な時間だった。
わたしの行為――しでかした事――と過去の告白によって、暖斗くんとの関係は変わってしまったはずなのに、こうして彼にミルクをあげていると、ずっとこのままでいられるような気になってきてしまう。
彼は静かに目を閉じていた。
わたしの方が、彼の表情、顔をジロジロ見てしまった。立場逆転だね。
飲み終わって、暖斗くんはわたしに向かって言った。
静かな、穏やかな表情だった。
「逢初さんは、自己肯定感が低いんだね。ま、僕もそうなんだけど。きっと似た者同士なんだね。さて、ミルクを飲んだので‥‥あ、‥‥‥やっぱり眠くなってきた。14年生きて、自分じゃまったく気がつかなかったんだけど、今からこうして寝る時にも、僕は『右手』を上に開いて寝るんだね。まるで無自覚に」
と、言った。
そして、わたしの目を、じっと見てから、‥‥ほんの少し微笑んで。やさしい目をして。
「おいで。君さえ良ければ」
ほの暗い照明、医務室のベッド。マットレス。そこに敷かれた白いシーツ。
‥‥‥‥その上に、その、手のひらを天井に向けた、
彼の「右手」は存在した。
「‥‥つまり、僕からこうすれば」
未だ動かざる彼の四肢の、無造作に投げ出されたその「右手」は、
まるで、路頭に迷うわたしを‥‥‥‥手まねきしているようだった。
じん‥‥‥!!
と熱くなった。
まだ彼の手の痕が消えないわたしの右ほほが。
わたしは、エプロンのポケットをまさぐった。
さっき彼から渡された、ハンカチ――ではなく「医務室備品③」と、マジックで書きこまれたタオルを取り出すために。
なぜって?
わたしの首を待つ彼の「右手」を、わたしの涙で濡らすのは、あまりに忍びないから。
※愛依さんの心の居場所は、この「右手」が作ります。共感した方、ぜひ☆を!
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