第130話 翼Ⅰ③
「面と向かってだと、なんだか‥‥‥‥ね?」
こつん、とおでこがぶつかって、僕は鼻先が触れるくらいの距離から、苦笑してみせる。
「暖斗くん‥‥」
愛依は、きょとんとしていた。泣きはらしたままの瞳で。
息がかかるのを気にしてか、さっきの「むぎっ」のせいなのか、消え入るような声だった。
僕らはしばらく、そのままお互いの目を見ていて。愛依の眉が一瞬曇ってから、彼女は恐る恐るって感じで、目を閉じた。
‥‥‥‥‥‥で、15秒くらい経ってから、またゆっくりと瞼を開いた。
ちょっと、微笑んでいた。「やっぱりね」と声が聞こえた気がした。
「?」
「手が、あったかい。‥‥そうだったね。暖斗くんとひっつくために、空調下げたままだった」
僕の手は、彼女を抱き寄せたまま、その肩と腰に乗ったままだ。
「じんわり。じんわりするよ。温まってきた」
「愛依、あの‥‥‥‥」
「ごめんね。変なこと言って。でもありがとう。あなたが抱いてくれたから、少し元気になれるかもだよ」
偶然だった。計算外だ。そういうつもりじゃ無かったけど。――とここで、さらに計算外が起こる。
「顔が近いよ。暖斗くんの手で温めて欲しいところ、リクエストしてもいい?」
僕は「うん」と頷き、いつもの腕まくらに体を戻した。愛依が、僕の手をその場所へ導く。
それは、心臓と下腹部だった。
まず僕の右手を心臓の上へ。複雑な地形の上に降ろされた。腕まくらをしたままだから、肘の可動域ギリギリだった。
次に左手。柔らかい愛依の手が、そおっと僕の手を引っぱって、おへその下あたりに着地させた。そこまでは別に良かったんだけど、左手の小指がホットパンツの中に2センチほど入りこんだので、その事実に思考が停止した。
「ふう。ぬくとい」
仰向けの愛依は目を閉じている。僕は――――固まったままだ。下手に手を動かせない。さすがにこれは。
「‥‥‥‥‥‥なんだか体が温まったら少し気が楽になってきた。因果関係あるんだよね」
「本当?」
「うん。そうだよ。ありがとう」
いやさっきまで泣いてたろ? それに愛依が泣いた理由が何一つ解決してないじゃん。泣き止んだのはいいけど、いいのか? これで?
「どんどん熱が来るよ。そういえば‥‥わたしはこうやって何度も助けてもらったね」
「本当に大丈夫? だって、家に帰りたくないんでしょ?」
「うん。できれば帰りたくないよ」
「ほら‥‥‥‥」
「でも明日から何とかやっていくよ。――だって今までだってやってきたんだもん。何とかなるよ」
「でも今『帰りたくない』って」
「えっとね。わたし、この40日間が幸せすぎたんだよ。‥‥色々はあったけど。医師として頼られて、みんなと仲良く旅して。こんなに幸せだったのが普通に戻っちゃうから、その落差で泣いてただけ。きっとそう」
そう、だろうか。僕は知ってる。愛依が医師として重責を負っていたこと。僕への対処でハードワークだったこと。敵に脅かされたりピンチだったのも。愛依が泣くところも何度も見てきた。
その「40日間」が「幸せ」だっただって?
「最後の最後にまた暖斗くんに甘えちゃったね。忘れないよ。あなたの手のぬくもりは」
愛依の瞳がこちらにじっと向いていて。
「学校に戻ったら、もうこんな風に話すことも無いかもだけど。40日間、ありがとね‥‥‥‥」
言いながらうつらうつらと目を閉じる愛依を、思わず揺さぶっていた。
冗談じゃない。
こんな「幸せの終わり」僕は認めない。愛依はこれからもずっと楽しく生きていくんだ。
僕がそう望むから。そうでなければムカつくから。
「愛依。ごめん聞かせて。どうすればいい? どうすれば君は幸せを感じる?」
彼女は僕の手を抱えながらむにゃむにゃしてる。ちょっと強引にゆすったけど、すごく眠そう。――あ、「右手」だ。手熱でぽかぽかだからだ。
「‥‥‥‥また、食べたいな‥‥‥‥」
「何を?」
「‥‥‥‥また、ケーキ作ってくれたら幸せ‥‥」
「作るよ。それくらい」
寝言かわからない。けど愛依は確かにそう言って。
じっと耳をすましていた。
次の句を待ってる間に、静かな寝息が聞こえてきた。彼女は寝てしまった。すう、すう、と息の音が聞こえる。
愛依の方から先に寝るって、珍しいような。いつも後遺症の僕が当たり前のように先に寝落ちするから。
彼女の整った横顔をじっと見つめてみる。
愛依の家の事情は、何となく察している。
この40日間、本当に愛依は幸せだった?
女の子の「幸せ」って何なんだろ?
この戦艦に乗ったみんな。ハシリューやアマリアの若い子たち。みんなそれぞれ人生があって、それぞれがこれから違う道を歩いていく。それぞれの人生を。
幸せの形って、一体どんななんだろう。
僕にできることは無い? 本当にケーキでいいのかな?
心配だよ。愛依は頭はいいけど天然っていうか、簡単に人を信じるようなところがあったりするから。変な男に騙されなきゃいいけど。
いつか、ちらっとそんな心配をしたら「わたし? 大丈夫よっ?」って即答してた。‥‥いや、僕だって言うほど世の中知ってるワケじゃないけど、そういう風な答え方する人が一番危ないんじゃないかな。僕は心配だよ。
ああ、「救国の英雄」とか「空を舞うDMT」とか「名誉騎士」とか。
今気が付いた。僕がそんな呼ばれをしたって、愛依の幸せに1ミリも寄与してない。
無力な中学生のまま、じゃないか!?
もう21時か。時間は経っていく。
ああ朝が来る。朝が来たら、愛依は家へ帰らなくちゃならない。
気がついて良かった。‥‥‥‥いや良くないけど。僕は無力な中学生のガキだ。改めてそれを思い知りながら、意識が眠りの沼に沈んでいった。
夢を見た。起きたら憶えてるヤツだ。皇太子殿下が出てきて、愛依の境遇をなんか何とかしてくれる夢だった。そう、お金とか権力があれば大抵の問題は解決する。それは物理的な「家に帰りたくない」を叶えるだけで、根本的なところはそのまんまなんだけど。
それでも、何もアクションができない僕よりは天と地ほどの差だ。「さすが殿下」と群衆に混じって、殿下と愛依に拍手をしていたところで目が覚めた。
朝。愛依の姿は、僕の腕の中から消えていた。
手のひらをシーツに滑らせて、彼女の気配を、ぬくもりを探した。
「なんで、『ずっととなりにいる』って思っていたんだろ?」
そんな喪失感を知った、14歳の秋だった。




