第127話 翼Ⅰ②
「ど、どうしたの暖斗くん。身体動かして大丈夫? あ、そういえば、騎士団の人たち、やっぱり凄かった?」
僕の視線から顔を逸らして、そんな話題をふってきた。
「‥‥ああ、えっと。そりゃあ凄かったよ。だって騎士団の各隊長だもん」
思わず、というかそれならば、と話を合わせてしまった。
「そんな人たちと一緒に戦うなんてねえ」
「それに皇太子殿下まで。光栄すぎて震えたよ。でも愛依は騎士団のこと知らないんじゃないの?」
「え~知ってるよ。お国の英雄だもん。ただ、そんなに男子に人気だとは存じませんでした」
「隊長さんって『そんな機動できるの!?』ってくらい自在に動けるんだよ。空中戦でも。大型BOT仕留めまくってた‥‥。僕はカタフニアにぶら下がってるのがやっとなのに」
「ふ~ん。仕事できる大人はカッコイイよね。でも、そうじゃないのに、できる人に立ち向かっていった暖斗くんも、スゴイと思うよ」
僕は視線を上に外して少し考えた。今愛依が言った僕が立ち向かった「できる人」って、騎士団のことを言ってないよね?
置いた右手からゆっくり体温が伝わってくる。あらためて感じる。愛依の腰ってけっこう細くて、そのあとすごい角度でウエストからヒップにかけて急激にふくらんでいる。こうしていると、そこに置いた手の傾きでわかる。女子の骨格って男子と全然違うんだ。
「それって『英雄さん』のこと?」
「うん」
愛依は、にっこりと笑顔を作ってうなずいてみせた。‥‥確かに、感慨深い夜だよ。僕らがこうやってまた一緒に寝ることはもう無いだろう。
数日後からは学校だ。
クラスメイトと頻繁に一夜を共にしてきた日常は、今日を最後に、絶っっ対に起こりえない非日常へと変わる。
色々とこの夏休み、一緒に旅をした思い出を総括するくらい、いいのかもしれない。
けど。
僕は腕まくらにしていた左腕を曲げると、愛依のうなじに沿って密着、彼女の左肩を抱いて。同時に右手を背中に廻して、ぐいっとこちらに引き寄せた。
「あうう!?」
完全に予想外だったろうね。愛依は変な声を上げたけど、かまわずそのまま近づいた。
「ちょ? 暖斗くん!?」
今まで一緒に寝るっていっても、気恥ずかしいからお互い天井を向いていて、たまに目を合わすくらいだったんだ。だからこんな風に正対、向き合って寝るのは実は初めてだ。彼女が僕の胴に巻きついたり、まつげが触るくらい頬に近づいたことはあったけどね。
互いの視線が至近距離でぶつかったところで、動きを止める。10センチ向こうの愛依に、僕は、あの質問をしなければならない。
「ごめん。説明聞いたから知ってるんだ。今日『治験は無い』」
「ごめんなさい」
愛依はすぐあやまった。
治験はない。そう。愛依がここに来ているのは、愛依の自由行動。
言いかたを変えれば、無許可の不法侵入なんだ。
「どうして、僕のところに来た?」
「暖斗くんの家って、今日はやっぱり特別な料理とかを用意してたよね?」
僕の問いには答えず、唐突に切り出してきた。珍しい。
「ああ。岸尾家も呼んでね。『お疲れ様会』だったはずだよ。敵のせいでここにいるけど」
「ふふ、そうよね。‥‥‥‥‥‥見て」
彼女が差し出したのは、薄いピンク色のスマホだった。黒い軍用じゃなくて、連絡先を交換した、個人のほうのヤツだ。
画面には、家族グループでのメールのやりとりが見て取れた。「ただいま」「おかえり」「何時ごろに家?」って。たぶん妹たちとのやりとり。
それがひとしきり終わった後、道を塞ぐ大岩みたいにごろっと、文脈を無視してそのフキダシが置かれていた。
「愛依。ずっと家空けてたんだから今日から夕食ちゃんと作ってよね」と、その後の、「了解」の小さな返信。
「は~~~」
安いドラマみたいな、演技くさいため息だった。
「普通、さ。娘が40日ぶりに帰ってきたら『ゆっくりしなさい』って言うよね? まともな親は」
開き直ったように、愛依は天井に目を移す。
「‥‥‥‥帰りたくない。わたしはまだ名目上は暖斗くんの主治医だから、その介入権で診療録書きかえて、むりやりここに来たの。ごめんね。暖斗くん。‥‥‥‥わたしを‥‥どうか‥‥‥‥追いださ‥‥で‥‥さい」
最後は聞き取れなかった。えんっえんっと、咳き込む様に愛依は泣き出した。
この旅で何度か聞いた、愛依の泣く声。僕の鼓膜を叩いた感触は、今でも鮮明だ。
でもそれは彼女の意思だった。理不尽な濡れ衣に抗ったり、敵に屈した自分が赦せなかったり、医師としての責任を果たそうとして、彼女は泣いた。
でも今日は違う。違うんだ。
旅が終わるという事実に。家に帰らなければならない、という事実に。
彼女の「芯」が揺らいでしまったから泣いているんだ。どうしようもない現実が、どうしようもなく悲しい。
「やだよう。帰りたくないよう。‥‥ごめんね。わかってる。こんなこと言ったらウザがられる。‥‥嫌われるってわかってる。でもさぁ」
指先で白いシーツをかじりながらすすり泣く。
「‥‥‥‥誰か、わたしをどこかに連れ去ってくれないかなあ。どこか遠くへ」
「愛依」
「ごめん。冗談よ。そんな都合のいい、翼をくれる人。‥‥いないもんね‥‥‥‥」
胸がざわついた。きっと、それなりの人が現われて、今、目の前で「翼」を授けてしまったら、愛依は、のこのこと付いていってしまう気がする。天然だから。
「翼」か。なぜか僕は今日の戦闘を思い出していた。飛行ユニットを駆使した高度な空中戦。僕は「コーヌステレスコープ」をカタフニアに接続させて、それにぶら下がってるだけだった。
プロテシス浮遊はできるけど、不安定だ。しくじったら墜落するんだもん。
あの騎士団レベルで海の上で砲撃を避けながら鳥の様に戦う。
他の飛行ユニット、雲装備だったら? できるかなあ?
翼。 確かに僕は今日、空の上にいた。
翼。 愛依に授けてあげたい。ふたりで手をつないで羽ばたいたら、どんな顔で喜んでくれるかな?
翼。 歌の歌詞とかで出てくる、いい感じの言葉。
愛依が可哀想だ。笑顔になって欲しい。でも。
翼。 そんな都合のいい物は、きっと無い。
僕は僕なりに、ミミズみたいに地面でのたくって、僕にできることを探すだけだ。
「ごめんね。愛依。翼は、僕は持ってないけど」
「何? ごめん。変なこと言ったのを真に受けてくれたの?」
「ハグしてもいいですか?」
「え!? ええ? ‥‥‥‥えっと」
返答を待たずに僕はいざり、両腕に力を入れて、愛依の身体を引き寄せた。
この40日間、戦って、介けられてきた。愛依がピンチの時は、結果論だけど何とか救えた。けど、この腕の中の女の子の現状を何とかする方法を、今現在の僕は何も持っていない。
ホント、この医務室でさんざん密着してきたなあ。でもこうやって面と向かって抱き合うのは初めてだった。だって、こんなことしたらまるで「恋人同士」だ。でも今日は。
「‥‥むぎっ」
抱きしめた愛依の肺から、変な声とともに空気が漏れて。
僕らの距離はゼロになった。




