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第19話 ヒゲ ②

 




「逢初さん」


「ハイ。おかわりのミルクね」


 それから4時間くらい経った次の日の朝、まだ6時前かな。わたしは目を覚まして暖斗くんのリクエストに応えていた。

 昨日は深夜ということもあって、普段2回目のミルクを飲むはずの暖斗くんが、1本目で寝落ちしてしまっていた。当然――と言うべきか、彼は早く目覚めてきた。




 彼の右手の上でわたしが寝てたこと――は、もちろんバレてないよ。


 起きる気配を右手に感じてとっさに飛び起きたから。


 でも本当に、彼の手は魔法のマクラだ。毎回、すごくグッスリ寝れる気がする。



 まだ頬がじんじんする。彼の体温が、わたしの奥深くまで流れ込んでいた証ね。



 バックヤードに行ってミルクを用意して戻ってくる。我ながら寝起きとは思えない俊敏さだ。



「逢初さん。僕が飲む時、髪の毛上げてくれないかな?」


「うん、いいよ。ごめんね。邪魔だった?」


 彼がこんな事を言うのは珍しいと思ったが、それ以上に昨日の濡れ髪が気になったので、深く考えなかった。髪は――乾いてるし、絡まってもいない。よし、っとそのままシュシュを取り出して手早く後ろでまとめた。


 突然、彼の、わたしの髪への視線を強く感じた。


 なんで? 暖斗くん家は女兄弟も多いから、こんなこと見慣れてるでしょう?





「やっぱり。それ、僕の手の痕だね」


 唐突な彼の言葉だった。わたしは固まった。


「ずっとさあ、医務室で寝ると、似たような夢を見るんだよ。毎回。DMT(ディアメーテル)で、背後の女の子を守りながら戦うんだけど、右手が重いんだ」


「え? 何?」 


 わたしは、周回遅れのかみ合わない台詞を言う。頭をフル回転させて、この状況の言い訳を100個/3秒で考えたけれど、全部不採用にした。無理だったよ。



「で、今日も夢見て、小腹が空いてさっき目が覚めたんだけど、僕の右手に丸くて黒い物が乗ってるじゃん? あれ、なんだこれ? って思って」




 暖斗くんはニコニコと笑ってくれた。そう、彼の性情はまったくもっての善だから、わたしの行為を責めるような言い方は決してしない。


「右手が重く感じたのはこれの所為(せい)かあ、と思ったら、気が付いたら一瞬で手の上から無くなってて。あれ、寝ぼけて右手の上に何か乗っかってるって錯覚したのかな、と思った」



 わたしは固唾を飲む。そう勘違いしてくれるとうれしい――お願い。




「でもね。僕が思った通り、逢初さんだったよ」




 あ、やっぱりバレてた。わたし、終わった。全身が緊張して、汗ばむのがわかった。



 他人の、しかも男子の、しかも自分の患者の身体(しんたい)を勝手に枕にして寝ていた、わたし。



 彼はきっと、わたしが全身全霊誠心誠意で謝罪すれば――いえ、そこまでしなくても――笑って許してくれると思う。思うけれど、男性優位のこの絋国に於いて、将来医者を目指す者の倫理に於いて、わたしの行為が許されるのか? そう考えたら背中に冷たい物が走った。




「ど、どうしてわたしだと解かったの?」


 一縷の望みをかけて、聞いてみた。


「うん。だって逢初さん、まだヒゲを付けたままだったし。僕と一緒に寝落ちしたのかなって」


 あっ! と絶句して上唇に手を当てる。そこには黒い異物の感触が。



 わたしは本当に阿呆だ。


「で、もしかして、と思って、髪を上げてもらったら、ほら」



「‥‥‥‥!!」


 鏡を見るまでもなく、わたしの右ほほには暖斗くんの手の痕がくっきり残っているハズだ。


 前回20分程度でもあんなに痕が付いたのに、今回4時間も寝ていて痕が付いてない訳がないよ。



 自分で気付かずに、そんな顏を暖斗くんにずっと晒していた事、あわよくばこの場をやり過ごせないかと振舞っていたさっきまでの自分を思い出したら、恥ずかしくって、情けなくって。


 わたしは‥‥‥‥。




「ど、どうしたの!! 逢初さん!!」


 涙が溢れてきそうになった。奥歯を噛んで必死でこらえた。暖斗くんは慌ててる。


 ごめんね。わたしはこういう時泣いてしまう。


 でも、自分が助かるための涙じゃないから。




 それだけは信じてほしい。




「‥‥‥‥ヒゲ、付けたままだよ」



 やめて。


 今、そんなこと、真顔で言わないで。





「いっててててて!」



 彼が痛がるのはマジカルカレント後遺症候群だ。ひと寝入りしてちょっとだけ動かせるけれど、まだ相応の痛みを伴うはず。彼は声を上げて痛がりながら、泣きだしたわたしの手をギュッ!! って掴むと、ゆっくりと椅子に導いてくれた。



 必死に泣くまいとするわたし、と、その一方で、どうやって暖斗くんに謝れば許してもらえるか思索を始めるわたしがいた。



 小児科長(せんせい)が見つけたわたしの能力(ギフト)、【超記憶】と【超計算】。



 目立つのが嫌だから校内テストでは使わないけれど、暖斗くんの許しを得るために、もう滑り出すように使ってしまっている。


 こんな姑息な自分が大嫌いだ。いっそ、無知蒙昧(むちもうまい)、純真無垢な赤ちゃんだったらどんなにいいか。


 取りあえず手跡の付いた右ほほを覆っている右手がしびれてきたから、急いで髪を下ろして手跡を隠して、ヒゲも、外した。




 暖斗くんは、まだ困っている様子だ。


 目の前の女子が急にべそをかいて、動揺してくれてるんだね。



 卑怯者のわたしは、それを察する余裕まで出てきてしまった。

 臆病者のわたしは、暖斗くんからの言葉を待ってしまっている。



 詰問された形のほうが被害者感が出て、答えやすいから。



「どうしてこんな事をしていたの?」

「僕の手をマクラにしていたの?」

「はは‥‥‥‥。手痕がすごいね。これは治療なの?」


 ざっとこんなところだろうか。彼の口から出る言葉は。

 前半は状況説明と言い訳をして、後半は正直に、


 手が暖かくて寝ちゃった♪


 と女子っぽく謝ろう。


 大丈夫。彼はびっくりするくらい、呆れるくらいに優しいから。大丈夫。きっと。





「あ、あの」



 彼の口が開いた。わたしは努めて口角を上げて、次の言葉を待つ。


 だけど、その言葉は、わたしの小賢しい計算を軽々吹き飛ばしていた。





「ありがとう。逢初さん」






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