第123話 嵐の前② &第3部【キャトル・エピス】プロローグ
そうか。当たり前の話だ。
僕がDMTを扱えばマジカルカレント後遺症候群になるのは運営は予想していて、それで愛依が研修受けて色々準備してたもんな。あのほ乳瓶(の上のゴムとか)は艦の3Dプリンターで作ったものだけど、そもそも症状が出た時のノウハウは軍が持っていたんだよ。
「アレをアレで飲んだ?」
錦ヶ浦さんの質問はそういうことだ。「ミルク」って呼んでた僕用、というかマジカルカレント能力者用の医療食は、紘国軍で既に開発されていて。
まさにその、「マジカルカレント持ち」、正確には「その後遺症発現者」用の物が配備されていたんだ。
え? でもこのフリ。
なんて答えればいいんだろ? ここ記者さんとかいるし!?
憧れの国の英雄に気さくに声をかけられて僕は既にテンパってるのに、さらにキャパオーバーな質問をされて。脳がさらに固まってしまっていた。
「そちらの資料でしたらここに」
愛依が、気づいたら僕の後ろに立っていた。ピンク色のかわいいシールを貼った、軍用スマホのカバーを開く。
「あ、逢初先生か。君の考案したほ乳瓶は大反響だったよ。今回の作戦で実装されて、大変な成果だった。かく言う俺も試させてもらった。確かに咽ないね、アレ。なんか回復も若干早まってる気がするよ」
「‥‥! あ、あの! 『先生』はお止めください‥‥」
愛依が顔を赤らめてもじもじしてる。ん!? なんか愛依が他の男と話してるの、何気に初めて見る?
錦ヶ浦さんが野球のグローブみたいな手でスマホを操作して、たぶんほ乳瓶関連の画像を愛依と見ている。
「ウチの団員、特に闘士は軒並み後遺症持ちでね」
「承知しております」
「ああそっか。軍機も君は知ってるのか」
「はい。軍の医官の方から研修を。できれば二重盲検法での回復データをいただけると‥‥」
「大丈夫じゃないかな? 担当医官に言っとくよ。でもなんで?」
「私たちはラポルトでE/M/Rというスタディグループを立ち上げていて。医学のみならず、ビッグデータや材料学からのアプローチを‥‥」
「なるほど。これは噂以上の子たちだな‥‥。あ、これこれ。コイツは特に回復が顕著でね」
「では、この方の予後ついても‥‥」
錦ヶ浦さんとの会話。聞こえてるけど、半分は僕にはわからない単語。
愛依も、医学的なことを返している。
ふたりの背中が近づくのを見て、僕の心はざわついた。
と、同時に、愛依もいつか、こんな風に誰かと恋に落ちたり、結婚とかするのかなあ、と漠然と思った。本人は「結婚する気ないよ」だけど、いい人と出逢ったなら幸せになってもいいんじゃないか? そうあって欲しい、とも思う。
「さっきから愛依ばっか見て? ウチのとっておきを教えるゼ☆」
錦ヶ浦さんのプロレスラーみたいな巨大な背中を見て、式典礼装を着た愛依の、その華奢な肩に艶やかな黒髪が流れるのを見てたら、また視界に麻妃が割り込んできた。
「隠し設定その①。愛依はねえ。『前髪に命かける女子』だゼ☆」
何だよそれ。‥‥‥‥待てよ? 乗艦中、ほんのちょっとだけど前髪気にする仕草‥‥してた?
「ラポルトじゃあさ、忙しすぎてそれどころじゃあ無かったんだよ。学校戻ったら試してみ? 朝逢う度に前髪褒めるんだ。それだけで愛依はオトせる」
マジかよ!?
「‥‥さすがにそれはチョロすぎだろ?」
「いやいやどうだ? ぬっくんが試す価値はあると思うゼ☆」
「それはガセだな。まさかそんなんで‥‥」
「あ~疑うんだ? ‥‥じゃあ他の男子にでも有料でリークするか。愛依のファン実は多いし」
「ま、待てよ」
「じゃ、試してみ?」
そう。ひとつ決定的なことがある。麻妃はこの手のことに関して、僕に嘘を教えてからかったりはしない。絶対に。
しかしなあ。
「や、やんね~し。そんなん俺興味ね~し」
「ほ~。まあ試す試さないは自由。だけど試して失うモノないゼ☆ ぬっくんが試さないなら、ウチがリークしなくても他のオトコが試すかもな~☆」
他のオトコが? そうか。この情報知らなくても、純粋に愛依と仲良くなろうとした陽キャが、たまたま愛依の前髪を褒めたら‥‥? うああ。
‥‥くそ。‥‥コイツ。僕の心理読んでやがんな。僕は今、愛依と錦ヶ浦さんがニアミスしててそれが気になってる。その上でこんな情報投げてくるんだ。
でも仮にでも愛依と錦ヶ浦さんがくっついたら、それはそれでちょっと落ち着く部分もある。
どうやっても男として敵わないすごい相手だったら諦めがつく、というか。
愛依の幸せを第一に考えれば納得できる、というか。
ん? 何考えてんだ? 俺?
「ではこちらもご覧下さい」
愛依がスマホを操作して見せる。ふたりの背中がさらに近づくのを、その背後から僕はただ見守る。
「あれ? こんなの使ってんだ? 咲見くん? これ見てよ」
錦ヶ浦さんに請われて、ふたりの間に首だけ入れる。愛依スマホの画面にはあの「ぞうさんマグカップ」が写っていた。
「はい。暖‥‥咲見さんがほ乳瓶での飲用を固辞したため、担当医官のわたしが介助して経口摂取にて対応致しました。その後、このソフトビニール製のストローを艦内作成してもらったので、市販されている幼児用のストローマグを参考に」
「おおう! ラポルトのほうが騎士団より先行ってるとか? エグいな。あ、だ~め~だ~よ~咲見くん。こんないたいけなカワイイ子の仕事増やしちゃあ。どれ。コレ見てごらん」
錦ヶ浦さんは自分のスマホを操作して、僕にいくつかの画像を見せた。
「それ自分っスよう」
「どれどれ? 噂のほ乳瓶♪」
と、他の隊長さん達も集まってくる。画面には、ベッドの上でほ乳瓶をくわえ、ドヤ顔でピースサインをする騎士団の方々が。
「ほら。俺らも飲んだんだよ。アレをアレで。騎士の何人かはマジカルカレント持ちだ。君ほどマジカレ凄くないし、だから重症にもならないが」
「団長。それ軍機」
「いいだろ~? この子たちはもう当事者だってばよ~」
そんな会話が頭上を飛び交う中、僕はその画像1枚1枚に釘付けになっていた。中には苦笑いや照れ笑いもあるけれど、みんな、口に咥えたほ乳瓶を、お笑い扱いにすることで堂々と写真に納まっていたんだ。
鍛え抜かれた太い上腕を持ち上げ、厚い胸板を反らしていた。
ほ乳瓶を咥えたままで。
まるで、忘年会の余興か仮装パーティーのように、誇らしげにピースサインをしていた。
ほ乳瓶を咥えたままで。
それを見た僕は。
僕は。
ちょっとだけこの世から消えたくなっってしまった。ただ、己を恥じた。
僕が、自分に足りない物、足りていない物を思い知らされた瞬間だった。
この人たちは「本物の戦士」だから。「本物の男」だから。
自分、というものを心の中心に確固として持っている。まるで鉄のように。
ほ乳瓶をくわえたくらいじゃ揺るがないんだ。軽く笑い飛ばせるんだ。
ネタにしてる。「ほ乳瓶を咥える自分」を。
急激に、本当に急転直下だった。
「ほ乳瓶で飲むこと」が死ぬほど恥ずかしかった。ほんの10秒前までは。
何故か? 僕が何の力も無いから。何も成し遂げて無いから。自信。克己。アイデンティティが無かったから。
何者にもなっていないから。――――だから今は。
「ほ乳瓶を拒否していた自分」が死ぬほど恥ずかしい。
医務室でのやりとり。
たぶん、顔を赤くして、愛依の前で必死にそれを拒否する自分がフラッシュバックする。
‥‥‥‥本当に、死んじゃいたいくらいだよ。
「あ~。ぬっくんの寝顔だ~」
麻妃かな? 誰かの声が聞こえた。「あ、見た~い」「どれどれ」。僕の周りに急に女子の気配が増えた。愛依のスマホに女子の輪ができて、僕は外に流れた。
「逢初さんこれって?」
「‥‥‥‥医学的データよ。サプリ接種後の被験者の顔貌画像。学会発表とかで使えるの」
「ほほう。ぬっくん学会デビューすんのか」
「あ、もちろん、ちゃんと目元とかは隠すよ?」
「まあまあ」
「ふ~~」
「癒される~」
「あ、逢初さん、可能ならその、デ、データをエアドロ‥‥」
「安定のかわいさよね」
そんなセリフが遠く聞こえた。正直もう、どうでも良かった。
僕はこぶしを握り締める。
早く「戦士」にならなくては。何も変わらないし何も手に入らない。
人垣の向こうの愛依の横顔をじっと見ながら、腹の底を焼く焦燥だけを感じていた。
※今回の内容に関して。ほんの一例。
「2年の逢初さん?」
「はい‥‥?」
「ああゴメン。○年の○○です。ゴメンね急に話しかけて。なんか前髪が揃ってるよね。いつも」
「え? は、はい」
「この頃よく見かけるから、つい話しかけちゃった。いつも前髪綺麗なんで」
「そうですか‥‥」
「うん、そうだよ。手入れに手間暇かけたりしてるのかな?」
「あ、はい、まあ、‥‥それなりには」
「やっぱり。逢初さんって勉強とか医師資格とかで知ってたけど、身なりもがんばっててスゴイなあ」
「いえいえ。ただ前髪揃ってないと、自分的にイヤなだけです‥‥」
「でもすごいよ。そういうところで、色々とちゃんとしてる女の子なんだって、俺はわかるから」
「え、あ、ありがとうございます」
「変なこと言うけどさ、また逢ったらまた前髪褒めるかも」
「え~。なんですかそれ」
「だって本当に綺麗だし。いいかな? また偶然逢ったらだけど?」
「べ、別にわたしが止めることじゃないですけど、あまり言われると恥ずかしいです」
「わかった。でもイヤじゃあないんだね?」
「‥‥‥‥はい!」
「じゃ、また」
「はい。失礼します」
「‥‥‥‥そうだ。逢ったらまず『おはよう』だった。言い忘れた。いきなり前髪褒める俺って、けっこうヤバいヤツかも」
「‥‥そうかもです。‥‥うふふ」
どうでしょう?
初対面でここまで踏み込めます。
基本、愛依さんは作者もビックリするくらい、実はチョロいです。
ただ本作では紘国でこんなフェミニスト男児は希少だということ。ふたりの絆が、体験乗艦で誰の横やりも入らずに育まれたことで(某国のゼノス君という因子はありましたが笑)、こういう展開にはなりませんでしたね。
よかったよかった。




