第14話 右手Ⅲ②
「どおちて、おてては こうなんでちゅか?」
寝かしつけた暖斗くんの、必ず手のひらを上へ向ける、右手。
小声でそっと問いかける。指でつついて、じっと見つめた「右手」にまた、幼い頃の記憶が蘇った。
と、同時に、あの時の彼の手のひらの熱も。
「もう、毎回この形で寝入る暖斗くんが悪いんだからね‥‥!」
また、吸い寄せられるように、手に顏を乗せてしまった。
「コーヒー飲んだ‥‥のに。‥‥あ、手‥‥‥‥」
再び、彼の体温が濁流のように、冷房で冷えた頬に流れ込んできてきた。この侵入を許してしまったら、もう抗えない。
「‥‥‥『宴』までに、‥‥レポート終えるつもりだったのに‥‥‥‥ああ」
またしても、そのまま寝てしまった。
***
僕は夢を見た。またもや、なんだか既視感のある夢。バイト先の厨房で繁忙時なのか、異様に忙しかった。右手が重い。こんな時にどうして? 不意に視線を感じて振り向いたところで目が覚めた。
ぼおっとする頭を起こすと、部屋は暗い。中央モニターの柱が光っているのが見える。よくわからない数字の羅列――は僕のバイタル――ああ、ここ医務室だ、と思い至ったところで、「右手」に違和感を感じた。
「いてて」
身体は少し動くようだ。まだ痛いけど。だけど右手が重くて動かない? 自然と視線が右手に移動すると――――。
黒い物体が乗っていた。部屋の照明が落ちていて、はっきりとはわからない。中央モニターの明かりが反射して、かろうじてそう分かるくらいだ。黒くて、丸くて、ああ、光沢がある。つるん! とした物だ。
「あっ!!」
声を出す前に、誰かの声がした。先を越された感じだ。えっ、なになになに、と固まっている内に、医務室の照明が点いた。
「おはよう。暖斗くん」
逢初さんがいた。いつもと変わらない、白セーラーに白のドクターズコート。
「どお、調子は? 体は動く?」
「ああ、‥‥‥えっとね」
寝起きで頭が回らない。床に落ちた単語を拾うような感覚で、答えた。
「動く。‥‥‥いや、痛んだけど。まだ。動かすと痛いや」
「そお、わたし、暖斗くんが寝てる間に、例のマッサージやらせてもらったよ。効果あったかな」
「え?‥‥‥う、どうだろ? マッサ‥」
「ごめんごめん。1回じゃあ、有意差はでないね。ごめんごめん」
珍しく僕の言葉を待たずに、彼女がかぶせてきた。
ん。何かおかしいぞ? そういえば右手の黒い物体消えたし。
じっと、逢初さんを見つめた。あらためて見ると、髪型が違う。
「逢初さん。髪型ちがうね。耳出してたのに」
彼女は、ストレートの黒髪のセミロングだ。で、いつも両耳を出している。
「あ、うん。たまにはいいかな、と思って」
「右頬どうしたの? ずっと手で押さえてるね」
「あ、これ。ちょっと歯が痛くて」
「歯?!」
「大丈夫。わたし医者だから」
「え、歯医者なの?」
「う‥‥ううん。歯科医師免許は取ってないけど。あ、あのね。歯科医師って、医師の勉強もするのね。被る部分が医師免許と多くて、コスパ悪いかな、と思ってチャレンジしてなくて」
「あ、そうなんだ」
「歯科衛生士も看護師もね。医師と被るから後回しでして。あははは」
「‥‥‥まだ痛む? さっきからずっと手で押さえて」
「う~ん。どうでしょう?」
「大変だよ。僕の病気どころじゃないよ。虫歯って、治らないんでしょ? 子恋さんに相談して近くの町に‥!!」
僕はそう提案したんだけど、やっぱり逢初さんの様子がおかしい。ほほに手を当てたまま目が泳ぎだした。なんだ。右ほほに何か‥‥隠してる?
「えい!!」
医務室が、また真っ暗になった。
「え、何? 何?」
驚く僕に、逢初さんの声がする。
「え~~~~~とね。暖斗くん。さっき言ったように、今日、夜から『宴』なのね。暖斗くんも行くのよ。私服に着替える娘もいるの。でね。そんな戦闘後のパイロットスーツじゃああんまりだから、着替えましょう。今、ここで」
「え~!! 着替えないとダメ?」
彼女の声には、普段無い強さがあった。
「それはやっぱりダメでしょう! 15人のヒロインをがっかりさせないで。着替えは今から持ってくるから」
「‥‥着替えって、全取っ替えするってこと? あの、全部?」
「全部です。あ、気づいてないんだね? 前回も前々回も、パイロットスーツも下着もわたしが洗ったんだよ。もう。男子って、洗濯物はカゴに放り込めば全自動で洗ってたたんでタンスにしまわれるって思ってるって聞いてたけど、本当だったのね」
「え、マジ? あ、いえ、ごめんなさい」
暗闇の中、彼女と思われるシルエットに、とりあえず謝った。それから、手探りで逢初さんが僕のパイロットスーツを脱がすと、身体を拭いてくれた。バイト先で慣れているそうで、それは手際が良かった。
暗いのでは? と聞いてみたが「じゃあ明るくする?」と返された。
パンツ一丁じゃ従うほか無いじゃんか!!
何しろ暗いので、たまに逢初さんの手があらぬ方向へ行ったり、彼女の頭や身体がぶつかったりしたけれど、何所がどうとか判らないから、そのまま流した。
何しろ暗かったので。
で、さすがに下着の中のほうは痛みに堪えて自分で拭いた。彼女が僕の自室に着替えを取りに行った合間に、2人で示し合わせてね。
ちなみにもう、僕の自室の着替えが置いてある場所は把握している、との事だ。
「ふ~! 生き返るね」
パジャマに着替えた僕は、上機嫌だった。こうしてみると、パイロットスーツは、戦闘中の汗とか染みついてるし、そもそも就寝具じゃあない。この方が全然気持ちいい!
あ、逢初さんがまだ顔を押さえている。まだ痛むのか。でも、よく考えたら、彼女が大丈夫って言ってたら、医学で僕ができる事はないんだっけ。
そうか、大丈夫か。ならいいんだ。
***
ああ~。やってしまった。恥ずかしいな。
昼食のミルクを飲んだ後、再び眠った暖斗くんを見届け、わたしはバックヤードの洗面台の大鏡を覗き込んだ。鏡には、あいかわらず十人並みのルックスに不健康そうな青白い顏をした、いつものわたしが映っていた。
ただひとつ違うのは、右頬にくっきりついてしまった、暖斗くんの「右手」の形の寝あと。
わたしは鏡を覗きこんで、ふうぅっ、とため息。
「どうしよう。『宴』までに取れるかなあ」
※愛依先生の取得資格については「人物紹介2回目」を。




